“夢見て行い、考えて祈る”

筑波大学基礎医学系・免疫学

渋谷 彰

             JSI Newsletter は私の愛読誌(?)の一つであり、私のオフィスの書棚には199310月1日発行の創刊号から最近までの全14号がファイルにしてとり揃えてあります。個性的で偉大な多くの先達の先生方から、免疫学の来し方を教わり、行く末についての展望を聞き、そして行間に現れる研究者としての生き様に触れ得ることは、まさに私の研究にとって大きなdriving forceとなっています。かくして人の論文はあまりたくさん読む方ではない私でも、このようなものは最初から最後まで大いなる興味を持って読むことになります。

             JSI Newsletterの歴史は実は私の免疫学研究のそれとちょうど重なっています。大学を出てから12年間、私はきわめて多忙な内科(血液)臨床の一線に従事し、その後半にはヒトのNK細胞の分化の研究をそのかたわらに行っていました。しかし2足の草鞋にジレンマを感じ始めていた私は、心機一転のつもりで、職を辞し、DNAX研究所のLewis Lanier博士の研究室に飛び込み、免疫学のイロハを学び始めました。ちょうどその頃、日本から届いたのが本Newsletterの創刊号だったのです。このような経緯もあり、通巻15号にあたる今回、寄稿させて頂く機会を得たことに感激しております。ただ、“21世紀に輝く”という特集にあたって免疫学への熱き思いを語りなさいということになると、免疫学研究者として経歴の浅い私には面はゆく、多少困惑していることも事実です。

最近のテレビでさる高名な作家が、職業に貴賤はないが、生き方には貴賤があると発言しているのをたまたま耳にしました。その心は、人間は自分には何ができうるのかを知り、それぞれが自分のできうる範囲のことを精一杯やらなければならないということだと解説していました。私はこれに研究者としての自分を重ね合わせて聞いていました。“夢見て行い、考えて祈る”という山村雄一先生の有名な言葉は、このことにさらに研究者としてのロマンを付け加えたものであろうと自分なりに理解しております。そしてその結果は(少なくともその研究者個人の)人知の及ぶところではないということでしょうか。

私がそもそもNK細胞を研究対象として選んだ一つの理由は、他のリンパ球と異なりNK細胞は当時まだまだ未開の領域であり、臨床家の自分でも何かができるのではないかと考えたことでした。そこでまだだれも行っていなかったヒトの骨髄幹細胞からNK細胞への分化を誘導する系の確立を試み、たまたま成功しました。DNAX研究所においても、研究室中がNK細胞の活性化抑制機構を明らかにするべく、そのレセプターの同定に夢中になっていた頃、いまさら素人の自分が出る幕ではないだろうと、1人で細々と逆に活性化をトリガーするレセプターの同定を試み始めたものです。どうも私には人が集まる所には尻込みしてしまう気弱な性癖があります。幸い、NK細胞の活性化を誘導するモノクローナル抗体を得、これを用いてさんざん苦労したあげく(しかし私の人生でこれほど楽しい想い出もないのですが)DNAM-1という分子を同定しました。最初の論文を発表するや否や、これに多くの人が群がって色々な角度からこの分子を解析し、その生物学的意義がたちまちのうちに明らかになるということは科学の発展においては理想ですが、幸か不幸かしばらくは誰も群がってきてくれませんでした。MedlineDNAM-1をひいても自分の書いた論文だけしか出てこないのはいささか悲しいものです。世界中のNK細胞研究者はinhibitory receptorの研究でそれどころではなかったのです。それでも私にはとりあえずはDNAM-1しかなかったのです。この分子ひとつ満足に解析できずに、他にまともなことができるはずがないという思いもありました。その後の研究により、DNAM-1はそれ自身接着分子でありながら、LFA-1接着分子と複合体を形成し、そのシグナルトランスデユーサーとしての機能ももつという予想もしていなかった不思議な事実が明らかになりました。DNAM-1は今年、CD226に認定され、いささかの感慨を憶えています。しかし、まだまだ自分の責任は果たし終えていないと気を引き締めてもおります。

一方で、NK細胞のactivating receptorの問題はまだ充分解決しておらず、私は新たにNK細胞の活性化を誘導するモノクローナル抗体を作製しました(未発表)。この抗体を用いた発現クローニングによって得られたクローンは、目的のNK細胞の活性化を誘導する分子ではなく、IgM抗体に対するFc受容体でした。プローブとして使用したモノクローナル抗体のクラスがIgMであり、そのFc部分で結合した分子を単離してしまったためです。ところが、まったく驚いたことに、Fcm受容体はその領域の研究者がこの20年来追い求めてきた幻の分子だということです。実験の失敗によって得られたこのようなものはセレンデピテイというにも憚られます。セレンデピテイは、常に待ち受けている者に偶然に、かつ不意に現れることを言うのでしょうから。それでも、他の研究者ではなく、自分の前に現れてきてくれたことを私は大切にしたいと考えています。

免疫学に限らず、すべての領域で21世紀に向かって大きな旗を打ち立て、それに向かって努力する必要がありましょう。しかし私は「夢見て行い、考えて祈る」というスタンスが気にいっています。何が自分にできうるかを考えつつ、真摯に科学する限り、免疫学研究はこれまでと同様、私に対して新鮮な驚きと喜びを与え続けてくれるだろうと期待しています。