連載「ひと目でわかる分子免疫学」

第1回:ワクチンから学ぶ免疫学の基本原理

 

筑波大学基礎医学系・免疫学

渋谷 彰

 

二度罹りなしって?

 本誌が発行される2月頃は厳しい冬の真っ盛り。この時期、大方の人は一回は風邪で苦しむことになります。子供たちが通う学校では学級閉鎖だの、職場では順繰りに欠勤だのは、毎年見られる社会風景です。このような単なる風邪だけでもなくなったらどれだけ人々は助かるか、風邪で勉強や仕事ができなくなったり、効率が落ちたりするようなことが社会経済的にもどれだけ大きな損失か(誰か専門家の人で算出した人がきっといるのではないでしょうか。筆者は途方もない額だと思っているのですが、具体的に知っている方がいたら教えて下さい)といつも思ってしまいます。しかしこれがインフルエンザのような病気だったらもっと大変です。流行したら多数の死者さえ出してしまうことは、スペイン風邪だの香港風邪だの歴史的なインフルエンザの大流行の例を出さずとも、皆がよく知っています。筆者は今日、妻に引っ張られて近くの病院でインフルエンザのワクチンを受けてきました。最近はインフルエンザワクチンの的中率が高まったせいか多くの人たちが接種するようになり、どこの病院でもすぐに品切れ状態のようです。今回もいくつかの病院に問い合わせてやっと見つけたワクチンでした。近々学会出席のために行くアメリカのコロラド州ではインフルエンザの流行で今冬すでに死亡者も出ているとのことで、強制連行となった次第です。昨年はさらにSARSなる新しいウイルス感染症も出てきて、これがインフルエンザの症状と一見しただけでは区別が難しいとのこと。今年はSARSが流行しないように祈るばかりですが、一番の対策は何と言っても効果的なワクチンができることです。

 インフルエンザやSARSに限らず、ウイルスや細菌などの感染症は人類にとって最大の敵でした。地球上でのヒトの進化と生存は感染症との戦いにおける勝利の歴史といっても過言ではありません。中世ヨーロッパでは天然痘やコレラ、ペストなどいわゆる疫病がひとたび起こると何十万人の人の命があっという間に失われてきました。日本でも6世紀ごろ仏教の伝来と相前後して天然痘が侵入し猛威をふるったらしく、奈良の大仏殿はこの悪疫退治を祈願して建立されたものだそうです。そういった中で人々は、一度病気に罹り運良く治った人は同じ病気には二度罹らないと言うことを経験的に知るようになりました。これを疫病の予防に使えないかと考えた人が英国の開業医であったエドワード・ジェンナーでした。ジェンナーは今から約200年余り前、手に牛痘に罹ったあとがある乳搾りの若い女性は天然痘にかからないことに気づき、牛痘にかかると天然痘に対する抵抗性ができるのではないかと考えました。それを証明するために健康な少年にまず牛痘の膿を接種すると、その後天然痘の膿を接種しても天然痘にかからないことを実際に証明したのでした。これが天然痘に対するワクチンの始まりであり、その後約200年を経た1980年にWHO天然痘の地球上での撲滅宣言を出したのです。天然痘ウイルスに対する人類の勝利宣言であり、ワクチンの成果を見事に示したものでした。もっとも最近はバイオテロリズムによる天然痘の新たな恐怖が出てきているようですが。ワクチンは現在、多くの感染症の予防や制圧のほとんど絶対的な方策として考えられ、またAIDSSARS など新興のウイルス感染症に対しても有効なワクチンの開発が救世主的な役割として期待されているのはご存じの通りです。

 

ワクチンはなぜ効くのか?

 ワクチンは二度罹りなしという現象を人為的に作り出そうとするものです。筆者が医学生に対する免疫学の講義を毎年ワクチンの話から始めるのは、免疫学という学問がジェンナーによる牛痘による天然痘のワクチンの開発から出発したという歴史的な経緯があるからだけではなく、二度かかりなしの現象こそまさにヒトの体に備わった生体防御機構である「免疫」システムの基本原理そのものによるからです。免疫学は二度罹りなしということはどういうことなのか、ワクチンがなぜ効くのかという問いかけに答えようとする学問でもあるとも言えます。この200年の間に、とりわけ分子生物学の発展してきたこの20〜30年の間に、免疫システムの基本原理の多くのことがわかってきました。その中にはノーベル賞が与えられた重要な発見がいくつもありました。しかしなおまだ解決できていない課題もたくさんあります。それはまだまだチャレンジングな課題でもあります。本連載の始めとして、本稿ではワクチンを例にとって免疫システムの基本原理を整理しつつ考えてみたいと思います。

 

相手を識別するのは脳だけではない。

 あたりまえの話ですが、私たちがインフルエンザのワクチンをするのはインフルエンザにかからないようにするためであって、結核の予防のためではありません。BCGをうつのは結核に罹らないようにするためであって、はしか(麻疹)の予防のためではありません。これらのことはワクチンの種類(抗原という言葉で置き換えることができます)をヒトの免疫系がきちんと識別して反応しているということを意味しています。これを免疫学では抗原認識の特異性(Specificityと呼んでいます。ワクチンに限らず外来抗原には無数といってよいほどの種類がありますが、免疫システムはこれらの抗原をそれぞれ識別することができます。これはT 細胞やB細胞の抗原レセプターによって行われるため、これを免疫学では抗原レセプターの多様性 (Diversity)と呼んでいます。ヒトの脳がたとえば何千、何万の人の姿、顔、かたちの違いを一瞬で識別できるように、免疫システムでも基本的にはあらゆる抗原を識別して、ひとつひとつ特異的な免疫反応をおこすことは驚くべきことです。

 

免疫システムの特異性と多様性の謎

 特異性と多様性は免疫システムにおける最も基本的な原理と言うことができます。これらがどのように生み出されているのかという概略についてはこれまでにかなりのことがわかってきました。ここでは侵入した抗原に反応する抗体を作り出すB細胞を例にとって説明してみましょう。抗原が初めて体内に侵入する(これを感作と呼びます)とB細胞は細胞表面に発現している抗原レセプター(B細胞レセプター)を用いて抗原を捕まえます。この抗原レセプターは細胞膜に結合したIgMクラスの 抗体であり、抗原との結合は鍵と鍵穴の関係のように特異的なものです。抗原を捕まえると抗原レセプターから細胞内にシグナルが伝わりB細胞は多量の抗体を分泌するようになります。抗体にはIgM, IgA, IgG, IgD, IgEの5つのアイソタイプがありますが、最初に分泌される抗体は抗原レセプターと同じアイソタイプのIgM 抗体です。その後2−3週間の期間をおいてクラススイッチという機構でIgM抗体からIgG抗体などその他のアイソタイプの抗体が分泌されるように変化してきますが、ここで重要なことは一個のB細胞は一種類の鍵穴としての抗原レセプターしか持たず、またどのアイソタイプの抗体にクラススイッチしても同じ形をした鍵穴である抗体しか作り出せないということです(図1)。したがって無数に近い数の抗原に対応できるだけの抗体が作られるためには、その数だけのそれぞれ異なるB細胞レセプターをもつB細胞クローンが必要です。この様々な特異性を持つ抗原レセプターの集団をレパートリー(repertoire) と呼びます。すべての血液細胞は骨髄の造血幹細胞から分化してできてきますが、これだけのレパ−トリーのB細胞クローンが作られると言うことが実際あり得るのでしょうか。ヒトのゲノム上の遺伝子は約3 x 109塩基対といわれていますが、だいたいにおいてこれだけの数の抗原レセプター分子をコードする遺伝子がこの限られたゲノム上に存在しうるのでしょうか。この疑問に明快な回答を与えたのが1987年のノーベル医学生理学賞を授与された利根川進博士でした。スイスのバーゼル免疫学研究所で抗体の多様性の産生機構を研究していた利根川博士は、当時常識であった「一つの蛋白分子は一つの遺伝子からできる」「一つの遺伝子は普遍であってゲノム上で変化することなどない」といった考えを全くくつがえす理論を明らかにしました。それは造血幹細胞からB 細胞が分化してくる過程で生じてくるB細胞の抗原レセプターは、複数(3〜4個)の遺伝子断片がゲノム上で切り貼りされて(再構成)新しくできあがった一個の遺伝子からできてくるというものでした。しかもそれぞれの遺伝子断片は数個から数百個の遺伝子断片のグループを形成しており、それぞれのグループからどの遺伝子が切り貼りされ使われるかは全くランダムであることを見いだしました。したがってそれぞれの遺伝子断片の組み合わせによって新しくできあがる抗原レセプターのレパ−トリーは、それぞれの遺伝子断片数の積に相当することになります。抗体レセプターは重鎖と軽鎖の2種類の蛋白分子で構成されていますが、これらが同様の仕組みでできあがるため、重鎖と軽鎖のそれぞれの数をさらに積算した組み合わせが抗体の多様性を生み出すことになることがわかったのです。その数は計算上1011以上と考えられています(図2)。利根川博士のこの抗体遺伝子の再構成の発見は、動かないはずの遺伝子が動くという生物学にとっても新しい重要な発見であっただけではなく、免疫学にとってもっとも重要な抗体の多様性を生み出す基本原理を明らかにしたものでした。

 

記憶するのは脳だけではない。

 二度罹りなしという現象は、抗原認識の特異性のほかに、もうひとつ重要な免疫学の基本原理を示しています。それは免疫システムがその抗原を憶えていて基本的には生涯忘れないと言うことです。私たちの脳が一度出会った人の顔を覚えておいて、何年たっても再会するとすぐに思い出すのと同様に、免疫システムも抗原を記憶し、いつか同じ抗原に遭遇したときにすぐに反応することができるのです。これを免疫記憶と呼んでいます。相手を識別したり、記憶したりできる免疫システムは中枢神経系と似通った機能をもっています。実際、今回は詳しくは触れませんが、免疫システムのもう一つの重要な基本原理は自己と非自己の識別機構にありますから、免疫システムはまさに中枢神経系と並んで自己の存在を規定するものと考えることができます。さてそれでは免疫システムはいったいどんな仕組みで、抗原情報を記憶しているのかを考えてみましょう。

 

抗体は成熟する(図3)

 先に述べたように、B細胞の抗原レセプターのレパ−トリー1011以上とも考えられています。その多くは一生涯抗原に出会うことがないでしょうからヒトの免疫システムはとても用意周到であるともいえますし、壮大な無駄をしているともいえます。この点もまた生涯のなかで大多数の神経細胞が使われないという中枢神経系と似ています。骨髄で作られたB細胞はそれでも抗原との出会いを求めて血液に乗って体中をまわり一部は脾臓に入り、一部は随所で血管から外に出て組織液やリンパ液からリンパ管を経由してリンパ節に入り抗原を待ち受けます。皮膚や粘膜から侵入してきた抗原には所属リンパ節で、また静脈や腹腔から侵入してきた抗原には脾臓で、たまたまその抗原に特異的な抗原レセプターを持つB細胞クローンが多数のレパ−トリーの中から選択されて抗原を抗原レセプターで捕捉します。抗原を結合したB細胞は活性化を受け、分化、増殖しIgM抗体を分泌するようになります。この機構は今から約40年前、クローン選択の概念でオーストラリアの免疫学者バーネット(F. M. Burnet)が説明したもので、1960年にノーベル賞を受賞しました。しかしIgM抗体は概して抗原との結合力(抗体親和性という言葉を使います)は強くないため、病原体の排除にはこれだけでは不十分です。B細胞は脾臓やリンパ節のB細胞領域のまわりから中心部である胚中心と呼ばれる領域に移動しつつ形質細胞に分化し、抗原に対する特異性は保ったままクラススイッチという機構でIgG抗体などのその他のアイソタイプの抗体を分泌するようになります。抗体のクラススイッチはやはり抗体遺伝子の再構成によっておこることがわかっています。病原体を排除するのに大変都合のよいことは、B細胞が形質細胞に分化、増殖する過程で、抗原との結合部位をコードする遺伝子領域に体細胞突然変異をおこし高親和性を獲得した抗原レセプターをもった娘B細胞が出現し、これが次第に生き残り優勢となって高親和性のIgG 抗体が多く作られるようになることです。これを抗体親和性の成熟 (affinity maturation) と呼んでいますが、このような抗体は抗原と強固に結合し、強力に病原体を排除することができます。この時期になって初めて病原体による感染症から回復に向かうことになります。

 

免疫記憶の本態

 抗原により活性化され分裂、増殖したB細胞集団のうち一部の細胞は静止期に入り、記憶B細胞になります。この記憶B細胞はB細胞領域の辺縁帯で細胞分裂をしないで長期間維持されます。いつか同じ抗原が侵入してきた際にはこの記憶B細胞の抗原レセプターによって捕捉され、B細胞ははじめて侵入した抗原に対するよりはるかに速やかに増殖し、高親和性のIgG抗体を強力に分泌するようになります。このように一旦抗原に遭遇し、高親和性の抗原レセプターを獲得したB細胞で、抗原の再暴露により強力に反応しうる能力を獲得したB細胞がリンパ節や脾臓などのリンパ組織にじっと潜んでいることが免疫記憶の本態です。ワクチンは人為的に病原体のもつ抗原を感作させることによって、その抗原に対する特異的な抗原レセプターをもつ記憶B細胞を作りだすことと言えます。

 今回は紙数の関係上、ワクチンにおけるB細胞の反応についてしか述べられませんでした。しかしT細胞にも抗原認識の特異性と抗原レセプターの多様性、さらに記憶T細胞の存在などB細胞と同様の機構が存在し、実際にはT細胞とB細胞は互いに複雑に連携して抗原の侵入に反応しています。さらに T、B細胞以外にも樹状細胞やマクロファージなどの抗原提示細胞、NK細胞、NKT細胞などの様々な免疫細胞が直接的にあるいは間接的に関与し、複雑なネットワークを形成していることも重要な事実と言えます。本シリーズではこれらの複雑な免疫システムをできるだけわかりやすい切り口で解説していきたいと考えています。次回にご期待下さい。