ひと目でわかる分子免疫学

 

連載第4回

「臓器移植から学ぶ免疫学の基本原理」

 

渋谷 彰

SHIBUYA Akira

筑波大学大学院人間総合科学研究科、基礎医学系免疫学

 

Key Words

主要組織適合性抗原複合体、自己と非自己の識別、正の選択、負の選択、

MHC拘束性、中枢性自己寛容

 

Points

移植抗原の本体は主要組織適合性抗原複合体(MHC)である。

MHCは多重性と多型性をもつ。

自己と非自己の識別は胸腺におけるT細胞の選択の結果生じる。

 


ノーベル賞の季節

 今年もノーベル賞発表の季節がやってきた。2000年から3年連続して受賞者をだす快挙をなしとげた日本だったが、残念なことに昨年は受賞者はなく、今年もどうやらなかったようである。しかし我が国でも、受賞しても不思議ではない偉大な業績を残している研究者は、免疫学の領域を含めてまだ数多くいると思う。毎年この季節になると、受賞候補に挙がっているらしいある偉い先生のお弟子さんなどは、弟子としてのコメントを求められるためにマスコミに居場所を明らかにしておくように要求されるという。これまで免疫学の領域では、クローン選択の概念を提唱したバーネット博士 (Frank M. Burnet, 1899-1985)(1960年受賞)や抗体遺伝子の再構成を発見し、抗体の多様性を説明した利根川博士 (Susumu Tonegawa, 1939- )(1987年受賞)など、免疫学の重要な基本原理を明らかにしノーベル医学生理学賞を受賞した研究者がいたことを本連載の第1回で述べた。しかし近年の免疫学のめざましい進歩に貢献したノーベル賞受賞者は一人や二人には留まらない。今回は臓器移植をトピックスとして免疫学の基本原理を考えてみたいが、これに関わる研究者の中でもノーベル賞を受賞した人が何人かいる。今回は、いわば「ノーベル賞受賞者から学ぶ免疫学の基本原理」(副題)編でもある。

 

N先生からの年賀状

 今から7〜8年前の正月、恩師の一人でもある造血幹細胞を研究しているN先生から頂いた年賀状の文面から臓器再生医学という言葉を私は生まれて初めて知った。幹細胞を研究して臓器を再生する研究に取り組みたいという強い意欲を語っていたのだった。もし自分の身体の一部から臓器が再生できたらと思うのは古くからの人の夢で、正月早々臓器再生とは景気のいい話ではあったが、現実的にはちょっと誇大妄想気味かな、科学者がこんな言葉を簡単に使っていいのかな、お茶の水博士やブラックジャックじゃあるまいし、と内心思ったのであった。しかし、今では誰もこれを誇大妄想などと言う人はいない。むしろ現実の医療として期待され、また一部ではすでに行われていることは周知のとおりである。私の無知と先見の明のなさに恥じ入るばかりで、N先生には心の中で大変な失礼をお詫びしている。臓器再生医療が必要とされる理由は、社会的には移植医療における臓器のドナー不足であろう。しかし医学的に最も大きな理由は、移植臓器(移植片)に対する拒絶反応であり、またそれを抑えるための免疫抑制剤などによる副作用である。自分の身体の一部だったら大丈夫だが(自家移植;Autotransplantation)、ブタやヒヒなどの動物から(異種移植; Zenotransplantation )はもちろん、たとえ同じ人間同士から(同種移植; Allotransplantation)の移植であっても、拒絶反応があることを誰もが知っている。これは人間には自分と自分以外を見分ける能力があることを示している。これを免疫学では自己と非自己の識別と呼んでおり、免疫応答を決定する最も重要な機構であり、また免疫学における最も重要な基本原理でもある。それではいったい、自己とは何だろうか?非自己とは何だろうか?

 

自己と非自己とを規定する分子の発見

 自己の免疫系が非自己を認識し、移植片を拒絶できるということは、個々の細胞がその表面に移植抗原とでもいうべき個人に特有のマーカーを持っているのではないかということを考えさせる。移植抗原の本体が何であるかを調べるために, 米国のスネル博士 (George D. Snell, 1903-1996) らは1940年代にマウスを兄弟間で20代以上もかけ合わせ, 遺伝的背景、すなわち全染色体遺伝子配列が全く同一である(純系という)マウスを作製した。異なる純系同士で移植すると移植片は拒絶される。スネル博士らはさらに拒絶がおきる2種の純系同士を交配して得られた第1代雑種(F1)を片親マウスと戻し交配し、生まれたマウスから移植片を拒絶するものを選択する操作を何度も繰り返すことによって、移植抗原を保ちながらその他の遺伝子は片親マウスと全く同じであるマウス(コンジェニックマウス)を作製した。そのマウスの解析からマウスにおける移植抗原を第17番染色体上に見つけ、H-2抗原と呼んだ。これが主要組織適合性抗原複合体(MHC; Major Histocompatibility Antigen Complexと呼んでいる分子群である。一方、フランスのドーセット博士 (Jean B. C.Dauset, 1916- )はヒトのMHC遺伝子群は第6番染色体上に存在することを明らかにし、HLAHuman Leukocyte Antigen)と呼んだ。スネル博士とドーセット博士はMHCの発見により、MHCによる免疫応答の仕組みを明らかにしたベナセラフ博士(Barui Benacerraf, 1920- と共同で1980年のノーベル医学生理学賞を受賞した。

 

MHCの多重性と多型性って何?

 MHCはクラスI抗原とクラスII抗原の二つに分類される(図1)。これらはともにa鎖とb鎖で構成されるが、クラスI抗原のb鎖遺伝子はb2 ミクログロブリンであり、これのみがMHC遺伝子座と異なる染色体上にある。クラスI抗原のa鎖の一部はホットドッグのパンの溝のようにへこんでおり、その部分にはペプチド抗原をソーセージのように結合させている。クラスII抗原ではa鎖とb鎖が合わさった部分が溝になっており、同様にペプチド抗原を挟んでいる。したがってクラスI抗原とクラスII抗原はa鎖とb鎖に自己抗原かまたは外来抗原のいずれかを結合させたヘテロトリマーで構成されていることになる。

 MHCは個人を規定するマーカーであるから、かなり多様でなければならないはずである。実際HLAの場合だとクラスI抗原はHLA-A, HLA-B, HLA-Cに、クラスII抗原はHLA-DP, HLA-DQ, HLA-DRとそれぞれ複数存在する(多重性)(図2)。またヒト同士であればその染色体上の遺伝子は一部の単一塩基多型(single nucleotide polymorphysm; SNP)以外はほとんど同じであるが、HLAのそれぞれの抗原結合部位は非常に強く多形 (polymorphysm) に富んでおり、これはヒトが発現する蛋白分子の中でも最も強い多型性を示す。たとえばHLA-Aには27種類以上、HLA-Bには59種類以上、HLA-Cには10種類以上の多型(対立遺伝子)が知られている。これをもとにクラスI抗原の多様性を染色体の片側アリルのみで計算したとすると、27 x 59 x 10=15,930 通りとなる。実際には両側アリルの組み合わせの数を計算する必要があり、さらにまたMHCクラスII抗原も考慮に入れる必要がある。このようにHLAクラスI抗原とクラスII抗原の多型性と多重性がヒトの膨大な遺伝的多様性を規定しており、その違いを免疫系が拒絶抗原として認識していると言える。

 

臓器移植の夜明け

 世界で最初に臓器移植を成功させたのは、一卵生双生児間で腎移植を行った米国のマレー博士(Joseph E. Murray; 1919- であった。その2年後、トーマス博士(E. Donnall Thomas; 1920- )によって骨髄移植が初めて行われた。その後、両博士以外にも多くの基礎研究者や臨床家の努力にもよって、これらの移植療法は臨床の場で確立され、世界的に普及するようになった。両博士の臓器移植に関する先駆的な業績に対して、30年余りを経た1990年、ノーベル医学生理学賞が授与された。その後、臓器移植は腎臓、骨髄に留まらず、心臓、肺、肝臓、膵臓、角膜などにまで広まった。その普及の陰には移植抗原であるMHCを認識し、拒絶しようとする免疫反応を強力に抑える免疫抑制剤の開発がある。

 

閑話休題「記憶の中に生きる大女優」

 「あの頃、日本に骨髄バンクがあったなら、私達は今、46歳になった夏目雅子さんに会えていただろう」と呼びかけるコマーシャル(公共広告機構)が最近時々ラジオやテレビから流れてきている。今から19年前の1985年9月11日、彼女が急性骨髄性白血病で27歳の短い生涯を閉じた時、私は別の病院で血液内科医として多くの白血病の患者さんの診療にあたっていた。自分の担当の患者さんに没頭していたため、とりわけ彼女に注意を払う余裕はなかったが、一世を風靡した「鬼龍院花子の生涯」での「なめたらいかんぜよ」の台詞やその役柄とは正反対の清楚なイメージの彼女は記憶の中に残る、いや生きる大女優の一人である。もっとも私が現在大学で講議をしている学生のほとんどは、記憶どころか、そもそも彼女を知らない世代で愕然とするのだが。当時、我が国では骨髄移植は一部の医療機関で行われていたのみで、ましてや骨髄ドナーバンクは組織されていなかったのである。

 骨髄バンクはいうまでもなく、血縁者にHLA適合のドナーがいない骨髄移植を必要とする患者さんに、非血縁者がHLAを調べて登録しておくシステムである。骨髄移植は、他の臓器移植と異なり、ドナーの免疫細胞もレシピエントに入ることから、拒絶反応ばかりでなく、ドナー細胞である免疫細胞がレシピエントを非自己と認識する免疫反応(移植片対宿主病GVHD)が生じてしばしば致命的になる。したがって骨髄移植には通常HLAが同一のドナーが必要とされる。HLAはメンデルの法則に従い両親から遺伝するから、兄妹間では25%の確率で一致する。しかし兄妹に一致者がいなければ、あるいは兄妹がいなければ、骨髄ドナーバンクに頼らなければならない。これは多様な遺伝的背景をもつヒトと言う種の中から、もう一人の自分を探し出すようなものである。日本骨髄バンクが発足したのは1992年であり、現在のドナー登録者数は194,742人(20048月現在)になるという。骨髄移植を必要とする患者さんは毎年少なくとも2,000人以上いるが、そのうち約2割にあたる400人はドナー候補者が見つからないという。日本人は島国民族として比較的遺伝的背景が均一であると考えられているが、それでも20%の人は約20万人のドナーがいても一致するHLAを持つ人をみつけられないほど、種としての多様性を持っていると言うことができる。

 

胸腺の秘密

 さて異なるMHCを認識する免疫系の主体となる分子はT細胞に発現するT細胞レセプター(TCR)である。TCRはパンであるMHCとソーセージである抗原とを同時に認識している。T細胞のうち、CD8を発現するキラーT細胞はMHCクラスI抗原を、CD4を発現するヘルパーT細胞はMHCクラスII抗原と結合する。MHCクラスI抗原は生殖細胞や赤血球などを除いたすべての体細胞に発現するが、MHCクラスII抗原は樹状細胞、マクロファージ、B細胞などの専門的抗原提示細胞に発現する。それではTCRがどのような仕組みで自己のMHCと異なるMHCを非自己として認識し、免疫反応をおこすのだろうか。

 その秘密は実はT細胞の分化の場である胸腺にある。

 胸腺でのT細胞の分化について考えてみよう。骨髄でできたT前駆細胞は胸腺にその皮質側から入り込み、その場でTCRを発現するようになる。この時、TCR遺伝子は抗体遺伝子と同様にランダムに遺伝子再構成をし(連載第1回参照)、無数に近い種類のTCRができあがり、T細胞による抗原認識の多様性を生み出している(注:種としての多様性を意味するMHCの多様性とは異なる)。個々のT前駆細胞はこれらのTCRを1種類ずつ持っているので、T前駆細胞クローンの種類はTCRの数と同じで無数に近い。これらのT前駆細胞クローンは胸腺の皮質側から髄質側に移動する中で、自己抗原を結合したMHCを発現する間質の胸腺上皮細胞や抗原提示細胞に接触する。この時、自己のMHCに結合できないTCRをもつT前駆細胞はTCRからシグナルが入らずアポトーシスで死滅MHCに結合できるTCRをもつT前駆細胞のみが生き残る(正の選択さらにMHCに結合し、自己抗原をも認識するTCRをもつT前駆細胞は、強いシグナルが入り、これもアポトーシスで死滅する(負の選択(図3)したがって自己のMHCに結合し、自己抗原は認識できないTCRをもつT前駆細胞のみが、生存に適した弱いシグナルが入り、生き残って成熟する(図3)。胸腺に入り込んだT前駆細胞の98〜99%はこれらの選択によって死滅し、最終的に成熟して胸腺から出てくるT細胞は自己のMHCに結合でき(MHC拘束性)かつ自己抗原には反応しない(中枢性自己寛容)ものとなる。これは自己組織には反応せず自己のMHCに結合した外来抗原のみを認識しT細胞が免疫応答を行うのにきわめて都合良い仕組みである。

 さて話を移植片の拒絶の仕組みの問題に戻そう。TCRMHC拘束されるとすれば、移植片に発現するドナー由来のMHCと抗原を、レシピエントのT細胞のTCRは認識しないはずである。しかし実際にはT細胞による強い拒絶反応がおきる。これはTCRが非自己のHHCと抗原を自己MHCと非自己抗原という形に見間違えておきる反応だと説明されている。さらにレシピエントの樹状細胞やマクロファージなどの抗原提示細胞が非自己である移植片のMHCを取り込み、それをペプチドまで分解した後に自己のMHCクラスII抗原に結合させ、レシピエントのヘルパーT細胞のTCRを刺激して、免疫反応を誘導していることも拒絶に関与していると考えられている。

 

MHCの本来の役割

 移植抗原として見つかったMHCではあるが、移植自体は地球上での長いヒトの歴史から考えればごく最近のことであり、またヒト以外のMHCをもつ高等脊椎動物は基本的に無縁である。免疫系は移植片の侵入を基本的には想定していなかったというべきであろう。本来MHCは非自己である抗原を自己のMHCに結合させ、T細胞の免疫応答を誘導するという生体防御のためにあったと考えられる。それでは、なぜMHCはこれほどの多様性を必要としたのだろうか。特定のMHC は特定のアミノ酸配列を有する抗原ペプチドを結合することができる。これはMHC多様であれば、多様な抗原対して免疫応答を誘導させることができることを意味している。一個体のヒトであれば最多で6つのHLA 抗原しかないため、特別なウイルスなどが感染した場合抗原が提示できず死んでしまう可能性もある。しかしとして考えた場合は膨大な数のHLAを有するため大方の抗原はどれかのHLAと結合でき、T細胞の免疫応答を誘導することが可能である。この場合、そのHLAをもつ個体だけが生存できることになる。いわばMHCの多様性は種の維持のための保険であると考えることができるだろう。

MHCとノーベル賞 (追記)

T細胞によ抗原認識には自己のMHCが必要であるというMHC拘束性の現象を初めて発見したのはツインカーナゲル (Rolf  Zinkernagel; 1944- ) ドハテイ— (Peter Doherty; 1940- )の二人であった。1974年、彼らはマウスリンパ球性脈絡膜炎ウイルスを感染させて誘導したキラーT細胞が、たとえ同じウイルスに感染していても自分と違うMHC系統のマウス由来の細胞殺すことができないと言うことを見つけた。つまり、TCRは抗原単独では認識できず、同時にMHC があって初めて抗原も認識でき、さらにそれが自己の細胞かどうかを区別しているのである。結晶解析でMHCと抗原はホットドックのパンとソーセージのように結合していることが明らかになったのは、それから約20年後のことであった。ツインカーナゲルとドハテイの二人のMHC拘束性の発見に対して1996年のノーベル医学生理学賞が授与された。

 ちなみに、MHCクラスIに結合するペプチド抗原は細胞内のプロテアゾームとよばれる器官で分解されて出来上がるが、プロテアゾームに処理されるためには細胞内の蛋白がユビキチン化と呼ばれる現象によりある種の目印がつけられる必要がある。ユビキチン化はMHCヘの抗原結合を目的としているばかりでなく、細胞内の種々の蛋白を分解、処理する機構として普遍的な細胞内現象と考えられている今年(2004年)のノーベル生化学賞はこのユビキチン化の現象を明らかにしたイスラエルのチカノーバー(Aaron Ciechanover)、ハーシュコ(Avram Hershko)、米国のローズ(Irwin Rose)3博士に授与されたことを付記しておく。