班長の挨拶


■A03班.「脳の老化および病態に関する研究」

班長 井原康夫(東京大学大学院医学系研究科神経病理学)

 A03班長の井原です。この班の目的は明確でして、アルツハイマー病(Alzheimer's disease; AD) 発症の分子メカニズムを解明し、それに基づいて有効な治療法または予防法の手がかりを得ることです。
 皆様もよくご存じのように、また今回の夏のワークショップでもお聞きになったように、アルツハイマー病の基礎研究は、この数年間に長足の進歩を遂げております。現時点での知識を前提にわれわれがこの5年間で何を明らかにすべきかを考えてみました。Amyloid cascade hypothesisにのっとれば、Aβの沈着自体がそれ以降の事象、すなわち、神経原線維変化、神経細胞脱落、痴呆のすべてをひきおこすわけですから、まずAβの沈着自体がどうして、どのように、起こるかを解明することが重要になります。
1.γ and βSecretasesの特性の解明
 すなわち、2つのsecretaseのenzymatic propertiesを明確にすることです。まず2つともにmembrane proteinですので可溶化してin vitro assay systemを確立し、βおよびγ cleavageに影響を与える因子を同定する必要があります。とくにγ secretaseの場合にはβ stubからAβ40, Aβ42産生のメカニズムの概略を明らかにし、この産生に影響を与える因子を同定することです。例えば、これまでに知られているpresenilinまたはAPPの結合タンパクがγ secretaseの調節因子として働くかどうか(γ cleavageに影響するかどうか)、またGolgi膜脂質の組成の変動でcleavage活性がどのように変動するのか、という点です。阻害剤の開発を考えると、APP, Ire, Notch以外の γsecreataseの基質のすべてを同定することも必要でしょう。
2.Aβ traffickingの解明およびApoEの作用部位の同定
 Aβの産生の概略が明らかになりましたが、産生されたAβの細胞内の輸送に関してはほとんどといってよいくらい分かっておりません。FADではAβの産生の変動でその原因を語ることが出来ますが、sporadic ADではこのステップではなく、細胞内の輸送経路の問題と感じています。Sporadic ADでは、Aβ42産生の増加がないのに(少なくとも血漿中のAβ42は上昇していないようです)なぜアミロイドが沈着するのかという問題が浮かび上がってきます。ここでヒントを与えるのがApoEであり、ApoE4を持つとAD発症の危険性が3倍程度上昇するという事実です。すなわち、ApoEのターゲットは、APP, presenilins mutationのターゲットと異なるのではないかという推測が生まれます。またApoE ruleはsporadic ADで完全に貫徹しますので、このApoEのターゲットこそがsporadic AD発症の際に重要ではないかという推測も出来ます。まとめますとAβ42産生上昇以外のアミロイド沈着原因を明確にすることですが、これはApoEの作用点の同定と同じことかもしれません。
 以上のことと関係して、まだ充分には明瞭になってはいませんが、Aβの代謝と脂質の関係が、最近注目されてきています。この脂質との関係がわかれば、もしかしたら疫学的調査で明らかにされた動脈硬化とADの相関を説明できるかもしれません。この関係が完全に明らかにされたときはじめてsporadic ADの危険因子が系統的に語られるようになるでしょう。と同時に、ここをターゲットとする治療薬(予防薬)開発のヒントが生まれるかもしれません。
3.FTDP-17における神経細胞死の機序の解明
 これは神経原線維変化の意義の解明と同義です。もちろん、神経原線維変化それ自体を追求して上記の課題を明らかにすることも出来るかもしれません。しかし現時点では、FTDP-17またはそのモデルマウスの解析によって、原線維変化と神経細胞の脱落の関係を詳細に分析することが上記課題解明への最短距離と考えられます。この点で、モデルマウスの開発、研究者への頒布は非常に重要です。この重要性は、PHFがほとんどヒト脳特有の異常構造物であり、PHFの意義を解明するためには、剖検脳を用いるしか方法がなかったことを思い起こせばよく分かります。Polyglutamine diseaseの研究過程で見られたように(intraneuronal nuclear inclusionの発見)、FTDP-17に特異的な病変がマウスで再発見されることは充分にあります。
 FTDP-17における神経細胞死の機序が解明され、それがNFTを伴った神経細胞死の機序と本質的に同じであれば、ADをはじめとする多くの神経疾患における神経細胞死へのfinal common pathwayを同定したことになります。またこの経路においても治療薬の開発の手がかりが得られるかもしれません。
4.Model miceの開発とその大規模な利用
 現在のamyloidogenesisに関する知識の相当の部分はtransgenic miceから得られています。例えば、ApoEの効果に関して、ApoE knockout miceと交配させることによって見事に示されました。ヒトApoE3, 4の効果に関しても同様にtransgenic miceまたはknock-in miceを用いたアプローチが採られています。もちろんある時点でヒト剖検脳で確認することが必要でしょうが、ヒトの剖検脳を用いるよりもはるかに簡単にしかも正確にある分子の効果を判定でき、その機序を明らかにすることが出来る点で非常に重要であると思います。このような成果をあげるためには、ある施設で確立したtransgenic mice, knockin, knockout miceがしっかりした研究計画を提出した研究者に自由に配られる体制をつくることが必要です。私は、ともかくもわが国で自前の「老人斑を形成する」transgenic miceを作製するのが急務と考えます。現在各研究室単位で解析が進められている、または解析を終えたpresenilin1, 2 transgenic mice, ApoE3, 4 knock-in miceに関しては、共同研究ということで将来的に広く利用できるようにすべきと思います。