研究概要・目的

 私達の身の回りには、構造の異なる複数の親電子物質が存在します。代表的な環境中親電子物質として、大気汚染物質であるPM2.5に含まれるナフトキノン類、タバコの煙に存在するクロトンアルデヒドや1,4-ベンゾキノン、マグロ等の大型食用魚類に蓄積するメチル水銀、米に含まれるカドミウム、さらには野菜類に含有される(E)-2-アルケナール類が知られています。これらは生活環境、ライフスタイル、食生活を介して生体内に取り込まれ、DNAのグアニン残基やタンパク質のシステイン残基のような求核置換基と共有結合して付加体を形成します。このような生体高分子との付加体形成は発がんや組織傷害という悪玉的側面が強調されてきました。その一方で、ニトロ化脂肪酸、8-ニトロ-cGMP、プロスタグランジンJ2、4-ヒドロキシ-2-ノネナールのような種々の内因性親電子物質の存在、Keap1/Nrf2経路を介した親電子応答配列の活性化の発見は、生体が親電子物質を感知・応答するシステムを有することを示唆しています。また、定常レベルにおいて、チオレートイオン(脱プロトン化したSH基で、タンパク質システイン残基の10〜20%はこれに相当するとされている)を有するセンサータンパク質とそれにより負に制御されているキナーゼや転写因子のような応答分子からなるレドックスシグナルが複数存在することも報告されています。

[ 図1 ]
図1

 我々は前回の基盤研究(S)「環境中親電子物質によるシグナル伝達の変動とその制御に関する包括的研究」(2013-2017年度)において、環境中親電子物質の個別曝露を行い、低用量時では当該物質がセンサータンパク質のチオレートイオンを特異的に共有結合し、センサータンパク質の活性が阻害され、結果的に応答分子が活性化し、細胞生存、細胞増殖、細胞内タンパク質の品質管理、親電子物質の解毒・排泄に関わる下流遺伝群の転写誘導(環境応答)が亢進することを明らかにしました(図1)。また、当該物質の高用量曝露では、環境中親電子物質によって細胞内タンパク質は非特異的に化学修飾され、細胞毒性が生じることを示しました(図1)。もう一つの発見は、cystathionine γ-lyase (CSE)やmitochondrial cysteinyl-tRNA synthetase (CARS2)等から産生されるシステインパースルフィド(CysSSH)や、その分子内サルフェン硫黄(6つの価電子からなる0価のS原子で、他のS原子に可逆的に結合する)の転移で生じるグルタチオンパースルフィド(GSSH)およびそれぞれのポリスルフィドのような活性イオウ分子は環境中親電子物質を捕獲・不活性化して、それぞれのイオウ付加体を形成することを見出しました(図1)。その結果、環境中親電子物質曝露で生じるレドックスシグナル伝達の変動および毒性の閾値は高くなることも分かりました(図1)。

[ 図2 ]
図2

 ところで上述したように、私達は個々の生活環境、ライフスタイル、食生活により異なる用量および複数の環境中親電子物質に複合的に曝露されていることが考えられます(図2)。2005年に国際ガン研究機関(International Agency for Research on Cancer, IARC)の所長であったChristopher Wild(2009-2018)はヒトの生涯における環境曝露の総体として「エクスポソーム(exposome)」という魅力ある概念を提案しました。図3に示すように、エクスポソームは一般的外的要因、特殊外的要因および外的要因に分類されます。その曝露量や曝露時間の違いが健康、未病あるいは病気に関わることが考えられます。我々はエクスポソーム研究の中で高い反応性を有する親電子物質が“priority components”として認識されていることや、特殊外的要因の中で、化学物質、汚染物質、食事および生活習慣因子に異なる構造の環境中親電子物質が含有されていることに着目し、今回の基盤研究(S)「環境中親電子物質エクスポソームとそれを制御する活性イオウ分子」(2018-2022年度)を提案しました。すなわち、得られた一連の個別曝露での環境中親電子物質によるシグナル伝達変動および活性イオウ分子による防御という結果を受け、我々の日常的な生活を鑑みた環境中親電子物質の複合曝露(エクスポソーム)のモデル化を検討します。本研究は複合曝露研究の必要性という環境リスクの再考に繋がります。

[ 図3 ]
図3
 水俣病は我が国の高度成長期の負の遺産として知られている4大公害の一つです。その原因はメチル水銀(MeHg)が食物連鎖や生物濃縮を介して、異常な高濃度に蓄積した大型食用魚類の摂取によるとされています。日本人にとってマグロ等の魚は貴重なタンパク源であり、健康の面でも必要な食材ですが、日常的な摂取によるMeHgの健康リスクは現在も危惧されています。我々は2011年にMeHgが生体内で産生された活性イオウ分子により捕獲・不活性化され、毒性の低いイオウ付加体である(MeHg)2Sに変換されることを世界に先駆けて報告しました。しかしながら、本イオウ付加体がどのような生体内変換を介して体外に排泄されるか否かは不明のままです。我々はMeHgが異なる化学形態に変換されることで水圏、土壌圏および大気圏を環境循環(図4)する事実に着目して、生体内に摂取されたMeHgが活性イオウ分子と相互作用することで体外に排泄されやすい形に変換される仕組みを有するのではないかと考えました。そこで今回の基盤研究(S)では、MeHgを環境中親電子物質のモデルとして用いて、(MeHg)2Sを代謝中間体としたMeHgの生体内運命を検討します(図4)。本研究は活性イオウ分子を介した環境中親電子物質の未知の解毒・排泄システム解明に繋がります。
[ 図4 ]
図1

基盤研究(S)環境中親電子物質エクスポソームとそれを制御する活性イオウ分子

Grants-in-Aid for Scientific Research (S)
Environmental electrophiles exsopome and reactive sulfur species as its regulator molecule

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