沿革

昭和4810月に筑波大学は開学し、翌年4月に医学専門学群の第1回生100名が入学する。私どもの白菊会は昭和49年(19746月に「白菊会筑波大学支部」として発足し、昭和584月から250名の会員を有する「筑波大学白菊会」として東京の白菊会本部より独立しました。

 

人事

医学専門学群第一回生とともに赴任した伊藤隆造助教授が阿南功一学群長の協力の下に白菊会筑波大学支部の設立に尽力しました。昭和499月の河野邦雄教授の米国留学からの帰国を待って活動が本格化し、同年11月に解剖体収集の専任技官として糸賀正儀氏を採用。誰からも親しみを持って迎えられる人柄と地元の地理の明るさは私どもの白菊会活動に大きな力となりました。昭和504月に医学専門学群棟が完成し、松下松雄教授が赴任し陣容が整いました。平成106月から久野節二教授が赴任し、平成277月より現在の武井陽介教授に至っています。

 

活動

県内および福島県北部の福祉事務所や老人ホームなどを春と夏に訪問し献体運動への協力と広報依頼が活動の主体をなしました。昭和4910月の第20回白菊会総会(東邦大学医学部)に3名の会員とともに初参加して以来、独立まで毎年お世話になりました。第一回の白菊会筑波大学支部懇談会が7名の会員の出席を得て、昭和5010月医学専門学群棟で行われ、昭和511016日第一回の筑波大学篤志解剖体慰霊式が行われました。以来毎年秋には学長が出席して大学主催の慰霊式が行われ、白菊会会員を来賓として招待することになりました。この時期に合わせて支部懇談会、独立後は筑波大学白菊会総会が開かれることになりました。会報「筑波しらぎく」は独立後の昭和5810月に内山安男助教授の尽力で第一号が発刊され、以来秋の総会にあわせて年1回発行されています。昭和5396日に大学キャンパス内に慰霊碑が完成し、白菊会本部より倉屋・郡司両氏を迎え納骨式を行いました。碑はエジプトのピラミッドを模して作られ、文案を倉屋氏より頂き、当時の宮島学長の筆になる「讃仰、医学徒にはげましと大きな期待を寄せて献体された方々の御霊を永遠に讃えてここにいしぶみを築く」との碑文が刻まれています。

 

運営

筑波大学白菊会会長は医学群長が務めており、理事には解剖学教授が名を連ね、費用は校費で賄われています。なお、運営は専ら大学主導で行っています。

 

現況(令和2731日現在)

登録会員2,398名となり生存会員862名。平成2年より白菊会登録会員以外の遺体の受け入れ停止。入会年齢は60歳以上で、平成7まで人数制限しておりましたが、平成30年より随時募集に変更しました。