平成27年度

解剖学実習は学生を変える

 

筑波大学 医学医療系 解剖学・神経科学 武井陽介

 

今年の7月から筑波大学医学医療系の解剖学に着任した武井陽介と申します。まず最初に、筑波大学白菊会の会員様とご家族様の変わらぬ篤志に心よりの感謝を申し上げます。前任の久野節二教授からの伝統を継承し、しっかりとした解剖学教育を進めて参りたいと思います。私は本学に来る前には東京大学で20年ほど解剖学を教えていました。その経験を踏まえ、解剖実習についてこの場で私見を述べたいと思います。

専門課程に進んだ医学生は、解剖学の講義と実習をいちばん始めに学びます。人体について学ぶ際にまず構造(かたち)から入るのはある意味当然であるかもしれません。しかし、ここにはそれ以上の大きな意味があります。つまり、解剖学の実習を最後までやった学生は、やる前の学生とは全く別物になるのです。知識の面でも、精神的な面でも大きな変化が起こります。では、どのような点が変化するのでしょうか。まず、知識の習得の面では、解剖学の実習は、道無き道を行く登山に似ています。一歩一歩、ゆっくりと、時間をかけてルートをたどります。地図やガイドブックに全てが書いてある訳ではありません。途中目にする植物、土、水、気象の変化など、あらゆる自然現象を自分の五感で感じ、不測の事態を解決するうちに、それら全てが生きた知識になります。こうして得られた知識が、「身についた」知識であり、未来のどこかで患者さんを前にした時に役立つのはこのような知識です。一方、コンピュータ、DVDなどの新しいメディアから情報を得るのはロープーウェイで頂上に到達するのに似ています。これらは試験を効率よくクリアするのには役立つでしょう。しかし、将来、人間を相手に治療を行うために臨床医学を学ぶ、その基盤としてはどうでしょうか。これだけではいかにも脆弱に感じられます。皆さんは病気になったときにどのような医師に診て貰いたいと思いますか。学生の時に全力で解剖実習に取り組んだ医師ならば、深い経験に裏打ちされた信頼のできる臨床医である可能性が高いと私は思います。

次に、学生の精神面の変化について述べましょう。解剖実習は、とにかくハードです。受験勉強などとは異質のハードさです。長時間細かい作業をするための肉体的疲労は当然のことながら、それだけではありません。解剖学実習に特有の精神疲労があります。なぜそうなるのでしょうか。解剖学実習に使わせていただく御献体は、自分や自分の家族と同じようにかつて生活し、泣いたり笑ったりしていた人間です。自分と同じ人間を相手に解剖実習を行うということは、学生を否応なしに「死」に直面させます。日本において通常の生活を送る限り、「死」は日常から注意深く隔離されており、「死」と向き合う体験は、ほとんどの学生にとって未知のものです。それは、深い心理的疲労を引き起こします。しかし、それに耐え、解剖をやりぬいた後に、学生はそれまでにないタフさを身に着けています。それは医師にとって、絶対に必要なものです。

解剖学実習で学べることはそればかりではありません。数人のグループで協力して行うためのチームワーク、疑問点を自ら調べ、あるいは不測の事態に対処する問題解決の学習、人間がひとりひとり違っていて教科書どおりの人間などいないことを知ること、また、御献体をしていただいた方やご遺族に対する感謝の念を育てること、これら全てが臨床を学ぶためのかけがえのない経験であり、基礎になります。

社会の変化に伴い、医学教育も大きな変化の最中にありますが、解剖学実習の本質的な重要性は変わることがありません。解剖学の教職員一同、充実した解剖学実習を継続してゆくために力を尽くして参ります。どうぞ、今後とも御理解と御支援をお願い申し上げます。