令和2年度

コロナ禍に思う

 

筑波大学医学群長 田中 誠

 

新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)は、この先もしかしたら何十年も付き合わざるを得ない「日常風景」となるのかもしれません。一時期は、「コロナが終わったら何々がしたい」といった無邪気な声も聞かれましたが、「コロナありきの社会」へと制度設計や心構えを持ち直さなければならなくなりました。また、緊急事態宣言が発令され、感染者数や感染のリスクなど様々な医学的情報がメディアによって拡散されるなか、私たちは外出する際はマスクをする、他人との距離を保つ、帰宅したら手洗いやうがいを徹底する、などの新たな生活習慣が身に付きつつあります。

また、コロナ禍は教育の世界にも深い爪痕を残しました。本学では今年は入学式を行うことは出来ませんでした。卒業式も一部の学生しか参加できず、ご父兄の出席は叶いませんでした。例年は学位記授与式の後、臨床講堂前でクラブの後輩たちに見送られる卒業生たちの晴れやかな姿やご父兄と写真撮影する姿を見かけるのですが、今年は3密を避ける意味で全て禁止とされました。新入生たちは新学期を迎えても大学のキャンパスに入校することすら出来ず、自宅待機を要請されています。新しい友人たちとの出会い、新たな大学生活に心躍らせる日々がいつ訪れるかも分からない不安な状況が続いています。所謂、講義形式の授業は全てオンライン化され、教員も学生も慣れないシステムを駆使し、文字通り悪戦苦闘が続いています。首都圏から全国に広がった緊急事態宣言により人の移動や経済活動が極端に制限され、感染防御の観点から対面で食事することすら憚られる状況の中、教育の現場から実習や実験は一時的になくなりました。医学教育では、互いに体躯を提供し合って診察法を学んだり、ロールプレイを介して医療面接の技法を習得していた教育技法が崩壊しました。そうした逆境の中、アイディアを駆使して教育の質をできるだけ保ち、何とか社会から許容される範囲で知識や技能の伝授・教授を可能にするよう、教員たちはオンライン授業の内容を工夫しています。普段使用することのなかったオンライン会議ソフトの使い方を急いで学び、少人数の学生とのチュートリアル(少人数の学生グループに対し1名の教員が付いて、ディスカッションを中心とした課題解決型の教育を行う)やクルズス(臨床教育の中で少人数の学生を対象にした講義形式のもの)を行ったり、試問を行ったりしています。また、臨床の現場や手技中心の実習については新たに動画を撮影し学生に公開したり、YouTubeから目的に合った動画を探してきたりしています。試行錯誤を繰り返し、学生から教育効果のフィードバックを受ける中、新たな発見やこれまでの常識を見直させられることもしばしばです。はたして講義では、学生を一堂に会する必要性が本当にあるのか?むしろ、いつでも、何度でも、繰り返し視聴し受講できるオンライン講義の方が教育効果が高いのではないか?などと自問自答しています。

では、解剖学の実習はどうでしょうか?近年、解剖学ソフトを駆使し、コンピューター画面上3次元で人体構造が描出される優れた教材が開発され、効率よく解剖が学べるようになりました。私たちは解剖実習においてもオンライン化、遠隔教育を目指すべきなのでしょうか?私は40年前に解剖学実習を行いましたが、それは6年間の医学教育の中で、文字通り最も鮮明な記憶として残っています。ご遺体に初めて接したときは締めつけられ、震えるような緊張感を覚えました。次第に、ご遺体に対する畏敬の念と医療従事者になるのだという自覚が少しずつ、確実に芽生えてきました。大学生から医学生へと心の変革を迎えました。全ての医学生が人として、医療従事者として成長し、文字通り一皮むけるのが肉眼解剖学実習です。大学教育でどれほどオンライン化が進もうとも、解剖実習の価値は時代を超えて不変です。筑波大学白菊会の皆様には、引き続き医学教育へのご理解とご支援を賜りたく、ご協力をお願い申し上げます。

 

令和元年度

破格について

 

筑波大学 医学医療系 志賀 隆

 

破格と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?例えば、「破格の待遇、破格の安値」などでしょうか。国語辞典によると、破格とは「1.しきたりや通例を破って並はずれていること.また、そのさま..詩や文章などで普通のきまりからはずれていること.また、そのさま.」とあります。

ところで解剖学の分野にも「破格」という専門用語があります。ステッドマンの医学大辞典によると破格anomalyとして「平均または正常から逸していること.構造的に見て一般的な規律に反し通常の形ではなく不規則であること.」とあります。解剖実習の手引き(寺田、藤田著.南山堂)でも破格に関連して「正常に2つの意味があり、1つは病気に対する正常、もう1つが統計的な標準であり、統計的な意味で正常からずれている状態を破格anomaly、または変異variationという」と説明しています。しかし現実問題としてどこからが正常からずれた破格であるかの境界は曖昧な場合があります。

解剖学における最大の破格の1つに内臓逆位があります。内臓逆位とは体内の内臓の位置が左右で逆転している状態のことで、以前目にした記事によると、アメリカオレゴン州99歳で亡くなられた女性が献体され、学生の解剖実習によって内臓逆位が初めて判明したとありました。心臓の解剖を行なった学生たちは、本来心臓の右側(右心房)に入る大静脈を確認できないため困惑して教員に質問しました。一方、基本的な質問を受けた教員も戸惑いましたが、実は内臓逆位で心臓を含めて内臓が左右反転していました。100直前まで内臓逆位が判明しなかったのは、おそらく検査や手術とは無縁の生活を送っていたからかもしれません。ところで、この方が内臓逆位という破格を自覚しなかったことから推察すると、破格は必ずしも健康に影響を及ぼすわけではなく、普段の生活を送るのに困らない場合があることが予想されます。

新潟で開催された今年の解剖学会では、数は多くはありませんが筋の破格に関する発表がありました。上述したように、破格が必ずしも機能に影響を及ぼさないことを考えると、解剖学の研究や実習で破格を調べる意味は何でしょうか。破格とは、個性、多様性であり、破格を調べる意義はつまるところご遺体に敬意を表すことだと思います。また、今年の解剖学会の解剖実習に関するワークショップでは、肉眼解剖学を専門とする名誉教授の先生の「解剖実習を行う際に解剖学用語を一旦(いったん)忘れよ」という言葉が紹介されました。一見すると逆説的で乱暴に聞こえますが、真意は解剖に際して教科書を無批判に信じる先入観を捨ててご遺体をしっかり観察しなさいということです。ご遺体の解剖ではありませんが、数十年前に私が大学の教養課程の生物学実習で行ったカエルの解剖の実習書には図が一つもなく、文章の説明だけがぎっしり書かれていました。図があるとそれだけで理解した気になりがちですので、この場合も先入観を捨ててしっかり対象を観察しなさいという意図だったと思います。先入観を捨ててご遺体に対峙する解剖実習が理想ですが、そのような実習は実習時間が限られている現在では難しいのが現状です。しかしながら、解剖に際してしっかりご遺体に向き合うことは解剖実習の原点であり、本質であると思います。

近年、肉眼解剖実習でコンピューターを利用するケースを耳にすることがあります。この解剖学ソフトでは3次元構造が再現され、例えば血管や神経だけを抽出して他の臓器との関連を学ぶこともできるため非常に効率の良い学習ができるかもしれません。しかし、残念ながらこのようなソフトには破格まで再現されていません。このようなことを考えると、ご遺体の解剖を行う目的の一つは、人体の構造の破格、つまり多様性を学ぶことにあると思います。

 

平成30年度

医学教育と肉眼解剖実習

 

筑波大学 医学医療系 教授  高橋 智

 

白菊会会員の皆様もご存知のように、筑波大学の前進は東京教育大学で、優れた教育法の開発は大学の伝統であり、常に最先端の教育改革を行なって来ました。医学教育についても同様で、筑波大学医学専門学群(現在の医学群)開設当初より、現在でも行われている統合型カリキュラムや長期の臨床実習を国内で初めて導入するなど、最新の医学教育を実施して来ました。平成16年度には、それまでの受動的な学習から参加型教育、発見的・選択的学習への改革を行いました。これは、教員が教壇から一方的に知識を教える受動的な教育を極力少なくして、少人数の学生が自ら与えられた課題を解決していく、自己学習を中心とした教育方法への転換でした。実際には、病院を受診された患者さんの病歴などの情報が与えられ、そこから学生が自ら問題を抽出し、その問題の解決に必要な知識を検索・収集し、解決方法を導き出す「問題解決型」の学習方法です。このような学習により、学生の学習意欲を高めると同時に、医師や医学研究者にとって最も重要な問題解決能力を養うことができます。この能動的な学習方法の導入とともに、技能・態度も重視する教育に転換しました。臨床現場において知識はもちろん必要ですが、その知識を実践できる基本的な臨床技能を有していること、また患者さん中心の医療を実現できることが重要です。これらの技能・態度を習得するために、学生が実際に模擬患者さんに対して医療面接を行う実習や、知識や技能の認証を受けた後で、ステューデント・ドクターとして医療チームの一員として仕事を分担する、より長期の病院実習を導入しました。これらの実習を通して、患者さんに信頼される技能・態度を有する医師を養成しています。更に、今年は日本医学教育評価機構(JACME)の「国際基準に基づく医学教育分野別認証」を取得し、国際基準に適合した教育カリキュラムへのさらなる改革を行いました。その中で、卒業時に身に付けなければならない能力「コンピテンシー」を規定し、その能力を獲得するためにどのような教育を行うかを明確にした学習過程「マイルストーン」を作成しました。筑波大学医学群ではこのような様々な改革により、国際基準に適合したカリキュラムにより、問題解決能力および患者さんに信頼される技能・態度を有する医師および医学研究者の養成を行なっています。

筑波大学医学群では、常に新しい医学教育を目指していますが、何時の時代でも完全な教育法というものは存在せず、今後も様々な改革をしていく必要があると思います。しかしながら、様々な教育改革の中にあっても、肉眼解剖実習の重要性は変わらないと思います。なぜなら、肉眼解剖実習を通して学生が得るものは、解剖学的な知識のみならず、ご献体していただいたご遺体に接して初めて得られる医師、医療従事者になる者としての自覚であるからです。医師、医療従事者にとって、解剖実習で担当するご遺体は最初の「受持患者さん」です。私自身は、顕微鏡を使う組織学を担当しており、現在は肉眼解剖実習に参加していませんが、学生時代の肉眼解剖実習を通して学んだこと、考えさせられたことはいまだに覚えており、医学研究者、教育者としての重要な部分を形成しています。今後も、時代の要請に応じた教育改革を行いながら、多くの方々のご協力のもとに、より良い医師、医療従事者、医学研究者の教育を行っていきたいと思います。

 

平成29年度

筑波大学における医学教育の現状 

〜 絶えざる医学教育改革 〜

 

筑波大学医学群長 桝 正幸

 

最近では医療に関係したニュースが毎日の様に流れています。再生医療、新薬開発の話から、医師不足、研究不正の話まで、幅広く取り上げられていることは、言うまでもなく、国民の皆様が医学・医療に強い関心を示されていることを意味します。私ども大学教員は、医学生を教育するにあたり、新しい医学知識を学ばせるのは勿論のこと、高いプロ意識を持って活躍してくれる人材を育成することを目指しています。本稿では、医学群で行っている医学教育の現状について述べさせて頂きます。

ご存じの通り、日本の医学部の教育は6年制であり、正常な人体の構造と機能を学んだ後、病気の成り立ちや治療法を学び、最後に病院実習を行います。この大きな枠組みは、全国全ての大学医学部に共通していますが、専門科目をどの順番でどのように学ぶかは大学ごとに違っています。筑波大学医学類では、開学以来、「筑波方式」と呼ばれる6年一貫の臓器別・症候別統合カリキュラムを実施してきました。例えば「循環系コース」の場合、心臓や血管に関する解剖、生理、病理を学んだ上で、内科、外科、小児科、放射線科の教員が一体となって循環器疾患の診断や治療法について教授します。これにより、学生は、個別の知識を獲得するのではなく、循環器系のしくみ全体を1つのシステムとして理解することができます。この方式は、平成27年秋に受審した分野別国際認証でも高く評価されました。国際認証とは、世界医学教育連盟(WFME)が国際的標準に準拠した医学教育を行っているかを大学ごとに評価し認証する制度ですが、今年の春、日本医学教育評価機構(JACME)がWFMEから認定機関として承認され、今後はJACMEが日本での認証評価を行っていくことになりました。筑波大学医学類は、全ての受審項目について適合の評価を受け、今年8JACMEの正式な認証を受けました。

医学類では、このような伝統を守りながらも、常に新しい教育方法を模索しています。平成16年度からは、「新筑波方式」と呼ばれる新しいカリキュラムを導入し、問題解決型テュートリアル方式に全面的に移行しました。この方式は、学生自身が問題を抽出し解決していく中で知識を身につける小人数制教育です。近年、目覚ましい医学・生命科学の進歩に伴い、医学生が学ぶべき知識の量は爆発的に増加しており、6年ぶりに改訂された「医学教育モデル・コア・カリキュラム」(医学生が修得する知識、技能の項目が記載されている)は200ページを超える量となりました。これらの全てを講義で教えることが困難であることから、学生による自主的な学習を中心に据えようとするものです。医師は一生涯自己学習をすることが求められますので、その態度を学生の頃から身につけさせることも目的としています。

4年生になると病院実習に向けた勉強が始まります。最近では、医療系大学間共用試験実施評価機構の行うCBTOSCEという試験に合格することが、病院実習に参加するための必要条件となっています。CBTはコンピューターを使って知識を問う問題、OSCEは問診、聴診、触診など基本的な診療手技ができるかを問う実技試験です。これらに合格すると、Student Doctorという称号が付与され、病院実習に参加できます。病院実習は、従来の見学型から診療参加型に移行し、学生は医療チームの一員として現場で訓練を受けます。国際認証では、72週以上の病院実習を行うことが求められており、国内の多くの大学はその対応に追われていますが、筑波大学では「新筑波方式」で既に78週の病院実習プログラムを導入していましたので、大きな変更は必要ありませんでした。

 平成28年度には、在校生、卒業生、外部委員を加えたワーキンググループで1年あまりをかけて議論し、筑波大学医学類生が卒業時に身につけておくべき能力(「卒業時コンピテンシー」と呼びます)を策定しました。今後は、これを拠り所にカリキュラムの再点検を行います。また、平成28年度からは、全ての専門科目で再試験を導入して成績判定を厳格化し、筆記試験や実習の点数を学生に開示することにしました。今後は、さらに学生の形成的な評価を行うことが必要となるでしょう。また、医学研究者の育成も喫緊の課題です。グローバル化と地域医療、専門医と総合医療、臨床医と基礎医学者育成、そのような一見矛盾した要求に応えられる様、包容力のあるカリキュラムとすべく、今後も絶えざる改革が必要です。ただ、このような変革があっても、解剖実習は医学教育の中で重要な科目であり続けると思います。実際のご遺体に接して人体の構造を学ばせて頂くことにより、畏敬の念とご本人、ご家族の篤志への感謝の気持ちから、学生が医師となる覚悟と医学を学ぶ動機をより強くすることは間違いありません。その意味でもご献体を用いた解剖実習を続けて参りたいと考えています。筑波大学白菊会の皆様には、今後とも医学教育へのご支援とご協力をお願い申し上げます。

 

平成28年度

実習室の風景

 

筑波大学 医学医療系 野上晴雄

 

毎年解剖実習の始まる日は実習室に独特の緊張感が漲っている。緊張を覚えるのは学生ばかりでなく、教える立場の私としても同じで、何年教員をやっていても変わることはない。今年もお願いしますという気持ちになる。実習室には30を超える実習台が設置されており、学生は4人一組で実習を行う。実習台は6年前更新された局所排気装置のついた最新のもので、導入以来、学生は保存液の臭いに悩まされることなく実習が出来るようになった。保存処置のための器械の進歩もあるが、筑波大学の解剖体保存処置技術は一流で、適切に処置されたご遺体が布に包まれ、さらにビニールをかけられて実習台に置かれている。

初めて実習室に入った学生は、いつもの講義開始前とは違い言葉少なに自分の実習台につく。心構えについての説明などを聞いた後、学生はご遺体に掛けられたビニールと布を取り除いて、初めてご遺体を目にする。体に掛けられた布をはずしても、頭に掛けられた布をはずすのをためらっている学生が多い。ご遺体に気圧されているようである。自分がこのご遺体のご好意に報いることが出来るほど、十分に学習し、成果を挙げることができるかどうか不安なのだろう。こちらが促すと学生は布を取ってご遺体と対面する。このとき学生には少し覚悟が芽生えたように見える。それでも最初のうちは指先でご遺体に触れるようにしながら恐る恐る実習を始める。しかし、30分もたたないうちに、学生は慣れて手早く実習を進めるようになる。これからどのような構造を眼にすることが出来るのか、興味が尽きないといった様子である。

ご遺体は男性、女性、恰幅の良い方、やせた方、いろいろである。手術の後が見られる場合もあるし、ペースメーカーを備えたご遺体もいらっしゃる。どのようなご遺体であっても解剖実習に適、不適はない。実習に使わせていただけることは誠に有難いことである。筑波大学に勤務するようになって暫くしてのこと、実習が始まって間もなくある学生が、実習がやりにくいと相談に来た。野球部のまじめそうな学生であったが、彼の班のご遺体は痩身の女性で、肘や指が少し曲がり体も右に傾いている。学生の眼の先には隣の班のご遺体がある。男性で手足がまっすぐに伸びている。私は実習の手順だけを教えて解剖を続けさせた。その後は実習に没頭し、学生は再び相談に来ることは無かった。

実習中に学生からの質問が多いのは最初の1-2週のうちで、3週目以降は、学生が自分で参考書や実習書を頼りに、ある程度の自学自習が出来るようになる。十年程前までの解剖実習に比べると現在は実習時間が短縮され、体力的にも精神的にも学生の負担が増しているが、筑波の学生は毎日根気よく頑張って、何とか6週間の実習をやり遂げている。解剖実習の最後は納棺で終わる。学生は実習開始時と同じようにご遺体を布で丁寧に包み、ビニールで覆って、大学に運ばれてきたときと同じお棺に納める。学生が用意したお花を置いて納棺が終わり、最後に全員で黙祷し解剖実習が終わる。学生は休む間もなく次の過程に進み、我々は次の年度に新しい学生を迎えるのである。

実習が終わると、学生には「解剖実習を終えて」と題した感想文を提出する。私はその中のいくつかを選び白菊会の会報に掲載させていただいている。野球部の学生の感想文にはやはり実習がやりにくかった様子が書かれていた。しかし、それは最初のうちだけで、次第に気持ちが変わっていったようだ。実習が終わるころには、ご遺体が傾いていたのはこの方がなくなるときにそちらに誰かが居たのではないか、指が曲がっていたのは誰かの手を握っていたのではないかと書かれていた。学生は実習を通してその方の最後の瞬間に考えが至るように成長したのだと感じた。解剖実習はよく解剖学を修めることだけが目的ではなく、学生が人間として、医学生として成長する良い機会であるといわれる。まさにそのとおりであるとそのとき私は思った。

私は会員の皆様のご好意に支えられ、40年近く解剖学教育に携わってきた。この場をお借りして、白菊会の皆様に心より御礼を申し上げたい。任期は残り少なくなったが、最後まで会員の皆様とともに学生の成長を見守りたいと思っている。

 

平成27年度

解剖学実習は学生を変える

 

筑波大学 医学医療系 解剖学・神経科学 武井陽介

 

今年の7月から筑波大学医学医療系の解剖学に着任した武井陽介と申します。まず最初に、筑波大学白菊会の会員様とご家族様の変わらぬ篤志に心よりの感謝を申し上げます。前任の久野節二教授からの伝統を継承し、しっかりとした解剖学教育を進めて参りたいと思います。私は本学に来る前には東京大学で20年ほど解剖学を教えていました。その経験を踏まえ、解剖実習についてこの場で私見を述べたいと思います。

専門課程に進んだ医学生は、解剖学の講義と実習をいちばん始めに学びます。人体について学ぶ際にまず構造(かたち)から入るのはある意味当然であるかもしれません。しかし、ここにはそれ以上の大きな意味があります。つまり、解剖学の実習を最後までやった学生は、やる前の学生とは全く別物になるのです。知識の面でも、精神的な面でも大きな変化が起こります。では、どのような点が変化するのでしょうか。まず、知識の習得の面では、解剖学の実習は、道無き道を行く登山に似ています。一歩一歩、ゆっくりと、時間をかけてルートをたどります。地図やガイドブックに全てが書いてある訳ではありません。途中目にする植物、土、水、気象の変化など、あらゆる自然現象を自分の五感で感じ、不測の事態を解決するうちに、それら全てが生きた知識になります。こうして得られた知識が、「身についた」知識であり、未来のどこかで患者さんを前にした時に役立つのはこのような知識です。一方、コンピュータ、DVDなどの新しいメディアから情報を得るのはロープーウェイで頂上に到達するのに似ています。これらは試験を効率よくクリアするのには役立つでしょう。しかし、将来、人間を相手に治療を行うために臨床医学を学ぶ、その基盤としてはどうでしょうか。これだけではいかにも脆弱に感じられます。皆さんは病気になったときにどのような医師に診て貰いたいと思いますか。学生の時に全力で解剖実習に取り組んだ医師ならば、深い経験に裏打ちされた信頼のできる臨床医である可能性が高いと私は思います。

次に、学生の精神面の変化について述べましょう。解剖実習は、とにかくハードです。受験勉強などとは異質のハードさです。長時間細かい作業をするための肉体的疲労は当然のことながら、それだけではありません。解剖学実習に特有の精神疲労があります。なぜそうなるのでしょうか。解剖学実習に使わせていただく御献体は、自分や自分の家族と同じようにかつて生活し、泣いたり笑ったりしていた人間です。自分と同じ人間を相手に解剖実習を行うということは、学生を否応なしに「死」に直面させます。日本において通常の生活を送る限り、「死」は日常から注意深く隔離されており、「死」と向き合う体験は、ほとんどの学生にとって未知のものです。それは、深い心理的疲労を引き起こします。しかし、それに耐え、解剖をやりぬいた後に、学生はそれまでにないタフさを身に着けています。それは医師にとって、絶対に必要なものです。

解剖学実習で学べることはそればかりではありません。数人のグループで協力して行うためのチームワーク、疑問点を自ら調べ、あるいは不測の事態に対処する問題解決の学習、人間がひとりひとり違っていて教科書どおりの人間などいないことを知ること、また、御献体をしていただいた方やご遺族に対する感謝の念を育てること、これら全てが臨床を学ぶためのかけがえのない経験であり、基礎になります。

社会の変化に伴い、医学教育も大きな変化の最中にありますが、解剖学実習の本質的な重要性は変わることがありません。解剖学の教職員一同、充実した解剖学実習を継続してゆくために力を尽くして参ります。どうぞ、今後とも御理解と御支援をお願い申し上げます。

 

平成25年度

「心臓と毛細血管」

 

筑波大学 医学医療系 志賀 隆

 

人体には多数の血管と神経が至る所に張りめぐらされている。皮膚から血管が透けて見えるが、これはいわゆる静脈で、血液を心臓に戻すと同時に体温調節を行なっている。実はその周辺には無数の毛細血管が存在するが、細いために肉眼で見ることはできない。言うまでもなく、これらの血管に血液を送り出すポンプの役割を果たすのが心臓である。心臓から送りだされた血液は動脈、毛細血管、静脈を通って全身を循環し、再び心臓に戻ってくる。動脈と静脈にはそれぞれの血管を識別するために名前がついており、解剖学を学ぶ学生はこれらの名前を正確に覚えなければならない。とは言うものの、多くの場合、体の中での位置や形にちなんだ名前が付けられているので、そのことを考えるとひたすら丸暗記する必要はない。太い動脈や静脈と比べると、毛細血管は単に細いだけでなく、名前がついていない。しかしながら名無しだからと言って毛細血管は重要な役割を果たしていないわけではない。実は毛細血管は、血管系の最前線で、体を構成する様々な細胞に酸素と栄養素を供給する一方、二酸化炭素と老廃物を回収している。したがって毛細血管の異常によって、さまざまな病気が引き起こされる。   

神経系も血管と似ている。脳と脊髄で構成される中枢神経系から出た運動神経は運動に関する司令を筋肉に伝え、また目や耳などの感覚器で受け取った情報は感覚神経を通って脳と脊髄に伝えられる。これらの運動神経や感覚神経は末梢神経系と呼ばれ、太い神経には名前がついているが、末端の細い神経になると毛細血管の場合と同様に名無しとなる。これらの細い神経は脳・脊髄と筋肉や感覚器を直接結んでおり、神経系が正常に働くために不可欠である。「毛細」血管や「末梢」神経という名前からすると、あまりよい印象を受けないが、実は極めて重要な役割をはたしているわけである。

ところで「第2の脳」と呼ばれる臓器がある。「第2の脳」とは腸のことであり、今から約15年前にアメリカの神経生物学者のガーション博士が、「セカンド・ブレイン:腸にも脳がある」と言う本を執筆して話題となった。実はそれよりもはるか前に解剖学者の藤田恒夫先生(新潟大学名誉教授、昨年逝去)が腸の重要性に着目し、「腸は考える」という本を著している。腸には多数の神経細胞が存在し、セロトニンなどを用いて、脳とは独立して腸のぜんどう運動をコントロールしている。

ひと昔前には「こころ」はどこにあるかという問いに対し、心臓に有ると考える人がいたかもしれない。現在では、こころは脳機能が基盤となっており、こころが脳にあることを疑う人はいないと思います。ところが上で述べたことを考えると、もしかしたらこころはいわゆる脳だけではなく、腸にも存在するのかもしれません。

血管から始まって、末梢神経、そしてこころにまで話があちこち飛んでしまった。かつて筑波大学の学生サークルの役員を務めることになった学生の自己紹介で、「自分は毛細血管の役割を果たし、執行部と部員の間を結びます」ということばを耳にしたことがある。名もなき毛細血管の大切さをしっかりと理解し、その働きに注目している学生がいることに感心した覚えがある。想像するにこの学生は、サークルの執行部と部員の意思疎通をはかるかけはしとなって、サークル活動が円滑に進むことに「毛細血管並みに」欠く事のできない貢献をしたことと思う。