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2003 年4月より、中内啓光前教授の後任として免疫制御医学分野(基礎医学系免疫学)を担当しております。
私は医学部を卒業後、一般病院で6年間、筑波大学附属病院で6年間、計12年間を臨床医(内科)として勤務してきました。とりわけ血液内科を中心とした臨床をおこなう中で、リンパ球をはじめとした免疫細胞の機能に興味を覚え、心機一転のつもりで新たな挑戦をしようと免疫学研究の道を志し、
1993 年筑波大学を辞職し米国 DNAX 研究所にポスドクとして飛び込みました。
そこでは研究の基礎トレーニングを受けるとともに、自然の真理を探究し明らかにする科学の扉は基本的には誰にでも平等に開かれていることを知りました。そして自分の全知全能をかけ、真摯に問いかければこれまで誰もが知り得なかったことも明らかにすることができうるエキサイテイングな世界であることを知りました。
その後、米国 DNAX 研究所から岡山大学へ移り、1998 年から再度筑波大学に勤務しております。まだ基礎研究の世界に入ってやっと10年余りで、研究者として駆け出しに近いような者ではありますが、その分学生やスタッフと一緒に毎日学べることは新鮮で楽しいことです。 |
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私たちが研究の対象としている免疫システムは、自己 (self) が非自己( foreign
)を認識し、これを排除しようとする仕組みです。
そこでは兆の単位の数の多種多様な免疫細胞があたかもオーケストラのようにそれぞれの役割をにない、極めて巧妙かつ精緻に統合され、免疫反応を形づくっています。
一方でこの免疫システムのわずかなほころびが、自己免疫病やアレルギーあるいは臓器移植の問題につながり、また難治感染症や癌などに対する生体防御能の低下につながっています。
私達はこれらの難治疾患の克服を目指して、高次複雑系である免疫システムの未解明の基本原理を明らかにしたいと考えています。 |
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研究の現場は100 m 走でもあるいはマラソン競技のようなものでもなく、あたかも山登りのようなものではないかと私は思っています。
まずはどの山に登るか(その山は必ずしも有名でなくともよく、むしろ人に知られないような山であるほどよく、しかし登りがいのある高い山でなければならない)、そして途をさがしながら、あるいは自ら切り開きながら、行きつ戻りつし、誰もたどり着けなかった頂上をめざすこと、トップランナーである必要はありませんが、自ら目指した山の頂きに人類史上初めて旗をたてることではないかと思っています。
夢と野心のある若い人々の参加を大いに歓迎しています。 |
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1981年
1981年
1985年
1987年
1989年
1993年
1996年
1998年
2000年-
2003年
2001年-
2004年
2003年
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北海道大学医学部医学科卒業
三井記念病院医員
筑波大学附属病院医員
都立墨東病院
筑波大学講師(臨床医学系血液内科)
DNAX分子細胞生物学研究所、ポスドク
岡山大学講師(医学部寄生虫学)
筑波大学助教授(基礎医学系免疫学)
科学技術振興事業団戦略的基礎研究推進事業
(さきがけ研究21研究者)(兼任)
理化学研究所免疫アレルギー科学総合研究センター・
チームデイレクター(兼任)
筑波大学教授(基礎医学系・免疫学) |