「ナチュラルキラー細胞と私」

 

渋谷 彰

岡山大学医学部寄生虫学講座

 

             試験管の中でヒトの癌細胞と血液から分離したリンパ球を数時間ただ混ぜておくだけで、ある種の癌細胞は死んでしまう。このような不思議な現象から、血液の中に癌細胞を殺してしまうリンパ球が発見されたのは今から約20年位前である。私がこの新しいリンパ球であるナチュラルキラー(NK)細胞をテーマとして研究を本格的に始めたのは、大学卒業後8年たってのことだったから、研究者としてのスタートはむしろ遅い方だったと思う。テーマとして選んだのにそれほど深い理由があるわけではなかった。実験研究のまったくの初心者には手ほどきをしてくれる指導者が絶対に必要であるが、私を指導してくれた先輩の先生がNK細胞を研究していたことが直接のきっかけだったと思う。そうして研究を進めていくうちに、自分なりにいろいろな理由づけをして、だんだんその研究が自分にあっているように思えてきた。それまで私は血液の臨床医として多くの白血病や悪性リンパ種の患者さんを担当し、その死も看とってきていた。その経験から研究をするなら癌に関係することが良いと思ったこと、NK細胞は当時まだそれほど多くの人が研究しているわけではなく、競争が激しくなく、自分でもまだ出番がありそうに思えたこと、分子生物学という武器を用いて当時華やかに脚光を浴びてきていた免疫学研究の中で、NK細胞はTリンパ球やBリンパ球とは異なり曖昧模粉としてその素顔がわかっていなかったことが却って魅力的に思えたことなどであろう。そう思い始めると、顕微鏡で血液標本を眺めNK細胞を見つけるだけで、我が子に出会ったようにうれしくなるのは不思議なものであった(実の我が子にはかなわないけれど)。

             最初に行った研究は、NK細胞がどこからどのようにして出てくるのかという問題を解き明かすことであった。血液の細胞は赤血球も白血球(リンパ球はこの中に入る)も血小板もすべて骨髄の中の多能性幹細胞から分化してくるという”血球一元説”は古くから広く受け入れられてきており、現在もそれに疑いをもつ人はいない。実際、骨髄移植を受けた患者さんの血液は、すべて骨髄の提供者の血液と同じ型になってしまうことでも明らかである。しかしNK細胞は新しく発見された細胞だけに、本当に他の血液細胞と同じように骨髄幹細胞から派生してくることをまだ誰も証明した人はいなかった。それはどれが骨髄幹細胞であるかが顕微鏡を見ただけではわからなかったことや、たとえわかっても幹細胞だけを取り出して培養することが技術的に簡単ではなかったことにもよる。その当時、アメリカではスタンフォード大学のHerzenberg教授らが中心となって細胞表面の色々な蛋白分子をモノクローナル抗体で染色し、解析する装置を開発していた。さらにこれを用いて特定の細胞を1個、1個分離することが可能となっていた。日本でもHerzenberg教授の弟子の一人である理化学研究所の中内啓光博士がこの細胞解析分離装置を使って研究を行なっていることを聞きつけ、私はさっそく共同研究のお願いをした。大変だったことの一つは研究材料を集めることだった。何しろヒトの骨髄から幹細胞を分離することがまず必要だったので、毎週何人かの医学部の学生に頼み、アルバイトの形で来る週も来る週も骨髄液を採らせてもらい試行錯誤をかさねた。そうやって学生の数も100人を超えたころ、顕微鏡の下でついに骨髄幹細胞がNK細胞に分化しているのを見つけた夜の感激は忘れられない。

             私が直接癌との関連でNK細胞の研究を開始したのは、NK細胞の研究では世界をリードしていたアメリカDNAX研究所のLanier博士の研究室に、その後留学してからである。NK細胞が癌細胞を殺す時には、癌細胞をつかまえる”腕”の役割をする分子がないと殺せない。そこで私に与えられたテーマは、この”腕”にあたる接着分子を見つけることであった。ここで私は研究者としてまさに転機になったとでもいうべきさまざまのことを学ぶことができた。知識、技術ばかりでない。研究を遂行することの中に、人が生きることのすべてが凝縮されていることを知り、その世界にどっぷりとつかってみたくなったのである。

             アメリカから帰国後、約1年半になる。DNAX研究所で見つけることができたNK細胞の”腕”(DNAM-1と命名)が、ただ癌細胞をつかまえるだけでなく、NK細胞に癌細胞を殺せという信号を送っていることもわかった。今はその仕組みを明らかにしたいと思っている。