つくばマラソン記

平成19年11月25日

 

 週末、落ち葉が舞い散る晩秋のつくば路を走りました。 初フルマラソンにかなりナーバスになり、走りきれるだろうか、どのくらいのタイムになるだろうかと、不安いっぱい。先週は学会先でも上の空でした。10月には色々な事情で思うような練習ができず、無謀にも11月に入ってから追い込み練習に入るような有様。案の定、一週間前になって膝を痛め、これはよく聞く失敗パターンかなと思っていました。その後はひたすら局所の安静と消炎鎮痛剤を擦り込み、やっと痛みも和らぎながらも不安をかかえたまま、当日を迎えたのでした。

 実は私は秘かにサブフォー(4時間以内)を狙っていたのです。妻には漏らしてはいたのですが、本気にはしてもらえていなかったようで受け流されてしまいました。その上、苦しくなったら私の顔を思い出して、無理をしないでバスで帰ってきてね、と言われてしまいました。私は秘かに、妻の顔を思い出したら、これは意地でも走り続けてゴールしないと後で何を言われるかわからないという気になったのでした。

 

 さて、天候、気温とも絶好のマラソン日和。1万1千人のランナーが大学ループ通りを延々と埋め尽くす中で、スタートの号砲。それからスタートラインに到達するまでが4−5分かかるという混雑ぶりです。前半は団子の中に混じってあまり身動きがとれず、比較的スローペースです。前半は抑えろという多くの人や本のアドヴァイスに従い、ちょうどよい位かなと思って走っていました。間近にくっきりと見えるはずの筑波山が、好天の割にはやや霞んでいて残念などと思いつつ、余裕です。

 友人の高橋ご夫妻が折り返し地点で応援で待っていてくれているはずだから、見逃さないようにしないとなど、まだまだ大丈夫。折り返し地点でお二人を見つけ、両腕をあげてアピールをしつつ、感謝の意。後半は、群衆もばらけてややスピードアップし、3人抜いて1人に抜かれる位のペース。さあ、問題は誰もがいう30km過ぎの壁です。北部工業団地で30km通過。おっ、いけるじゃないの。このペースならサブフォー全然OK。と、思ったちょうどその頃、スーッと軽快に走るそのフォームも美しいが、横目でちらと見たサングラスに隠された顔もスタイルも美しい若き女性が私を追い越そうとしたのです。よし、この美女を追いかけていこうと浮き浮き、サッサ、サッサと走ったのでした。そうして残り5km、落とし穴は待っていました。ほとんどが平坦コースの中にあって、唯一の坂道をエンヤコラと登りきって、最後のスパートと思った瞬間、両太もも内側が痙攣、アチチチ〜と、とたんに失速。大学構内への入り口で、10kmレースを走り終え、応援にまわっていた研究室の女子学生に「先生えい〜、がんばってえ〜」と黄色い声援をうけ、「おうっ〜」と元気な返事をするも、まるで欽ちゃん走りのごとく威厳失墜、撃沈。それでもまだサブフォーの可能性にかけ、歩かず必死で抵抗。ゴール間近の研究棟の前まで辿り着き、妻が待っているかと探すも見当たらず。4時間などやはり信用していなかったんだ、去年の10kmレースの時でさえ、私を甘くみてゴールしてしばらくしてから、のこのこと応援にかけつけてきたし。まっいっか、もはやこの無様な姿だし、と競技場内にエンヤコラと入ったのでした。ところが、そのあわれにも無様な姿を競技場内で妻がしっかりとカメラに収めており、あっという間にあちこちの知人、友人にメールで配信されていたのでした。 最終タイムは4時間5分。順位4,200位。結局、魔の30kmが、魔の37kmということだったと思います。サブフォーにはまだまだ力不足でした。反省点は、30km過ぎに若い美女のお尻を追いかけ無理をしたことではなかったかと思っています。年を考えるべきでした。

 

渋谷 彰