ひと目でわかる分子免疫学

 

連載第3回

「癌から学ぶ免疫学の基本原理」

 

渋谷 彰

SHIBUYA Akira

筑波大学大学院人間総合科学研究科、基礎医学系免疫学

 

Key Words

癌(腫瘍)免疫、T細胞認識癌(腫瘍)拒絶抗原(癌抗原)、細胞傷害性キラーTリンパ球、NK細胞, Missing-Self,

 

Points

癌に対して免疫は攻撃できる

癌免疫の主役はT細胞である

癌抗原は遺伝子変異の産物が多い

癌免疫にはT細胞の他、様々な免疫細胞が必要である

 

免疫力で若返り?

 免疫という言葉はとてもポピュラーで、世の中では様々な場面で「xxxに対して免疫がある」とか「xxxに対して免疫がない」などとよく使われる。この場合の「免疫がない」はこれまで全く経験がないナイーブ(うぶ)な状態を意味していて、抗原の感作を受けたことのないリンパ球をナイーブリンパ球というのと同様の意味で使われていることがわかる。免疫という言葉が一般の人々に概ね正しく理解されているということであろう。ところが最近、「免疫力で若返るにはどうすればいいですか」というような質問が某テレビ局のAD (アシスタントデイレクター)と称する方から電話であった。これには「ウーン」とうなって答えに窮してしまうしかなかった。免疫力とは赤瀬川原平氏の提唱する「老人力」に対応する言葉で、この力がついてくると心身壮快、身体頑健、頭脳明晰になってきて……などと答えようかとも思ったのだが、もし本気にされたらと思うとこんな冗談も言えなかったのである。概ね正しく理解されている一方で、免疫は実体はわからないものの何やら体によい不思議なものと言う漠然とした理解の仕方があるのも事実であろう。毎日の新聞面の下欄に掲載される書籍や雑誌の広告に免疫力を上げるくすりや補助食品、民間療法に関するものを見ない日はないというのは言い過ぎであろうか。これらの場合、「癌を治すために」とか「癌にならないようにするために」というようなことを目的としているものがよく目につく。今回の本題は癌と免疫の関係についてである。

 

身内からの反乱

 癌はここしばらく日本人の死因の第一位を占め続けており、多くの人が関心をもち、最も恐れる病気のひとつである。癌になりたくない、なっても死にたくないと思うのは当然であり、それには可能性があるものなら何でも試そうと思うのも無理からぬところであろう。手術や抗癌剤などではなく免疫で癌が治るとすれば魅力的である。しかしここでよく考えてみたい。免疫反応は感染症に対してもアレルギーにおいても基本的には外部から侵入した病原体や抗原を排除しようとする仕組みである。免疫システムは自己と非自己を厳密に区別できるからこそ、病原体を攻撃することができ、自分を標的としないのである。その仕組みは、胸腺内でT前駆細胞が分化する際に胸腺内の自己抗原を認識し反応する細胞にはアポトーシスが誘導され、このようなT前駆細胞は成熟したT細胞には分化しないというところにある。これを負の選択 (Nagative Selection)と呼んでいる。負の選択によってT細胞による自己の組織への攻撃から回避されているのである(中枢性の自己寛容)。癌は自己の組織から由来しているのだから、これが基本的に自己に反応しない免疫の標的となるのだろうか?

 

身内への攻撃

 自己寛容があるといっても、それでも癌に対して免疫は役だっているのではないかという考えは以前からあった。たとえば、稀ではあるが癌になっても自然と治ってしまった例が認められることなどはいかにも免疫の力が働いたのではないかと考えさせる。また癌は高齢者に多いが、高齢者は免疫力が(老人力とは反対に?)落ちてきているためであるからという考えや、免疫不全や免疫抑制剤の投与を受けている患者に癌の発生が多いという事実もある。また癌組織に免疫細胞が浸潤していたり、もっと直接的には試験管の中で癌細胞を殺すリンパ球があるということなどは、「癌免疫」の存在を大いに期待させる。

 実は1950年代の頃に、癌が免疫により攻撃を受けるという証明が初めてなされた有名な実験が行われた(1)。メチルコラントレンという化学発癌物質をマウスの背中に投与すると次第にその局所に繊維肉腫が形成されてくる。この肉腫を切除して遺伝的背景が同一である同系の別のマウスに移植すると、肉腫は新しいマウスに生着し、成長する。しかし、切除したマウスの皮下に戻しても拒絶されて生着しない。この結果は肉腫ができたマウスの体内にその肉腫の移植を拒絶するものができた(これがまさに癌免疫であると言える)ということを示唆している。そこで何が拒絶を担う本体であるかを調べるために、拒絶したマウスの脾臓からCD8+ T細胞を分離して同系のマウスに移入してやると、そのマウスは新しく移植された肉腫を拒絶するようになった。このことから、腫瘍の拒絶を担うのはCD8+ T細胞であることがわかった。以上の実験から、身内から由来する癌細胞といえども、免疫系の攻撃の対象となることが初めて示されたのであった。

 

標的を探せ

 それではCD8+T細胞が認識する癌細胞の抗原は何だろうか。癌は遺伝子の“キズ”による遺伝子病(遺伝病ではない)であるから、もともと自己には存在しない新しい抗原が出現している可能性がある。これを明らかにすれば、これを免疫原とした癌ワクチンが可能となるかもしれない。こうした夢と野望を抱いて、癌抗原ハンテイングのレースが始まったのであった。当初は苦難の道のりであった。ブレークスルーは、試験管の中で癌細胞を特異的に認識し、反応し、殺すことができる細胞傷害性キラーTリンパ球 (CTL) のクローンを樹立する技術が確立されたことであった。そのうえで、癌細胞上からMHC クラスIに結合する抗原ペプチドを酸抽出法で遊離させ、その中からこのCTLが反応するものをスクリーニングしたり、癌細胞からcDNAライブラリーを作製し、CTLが反応する分子をコードするcDNAを発現クローニング法でスクリーニングするなどの方法で、最近まで続々とCTLが認識する癌抗原が同定された(表1)

 様々な癌の中で癌抗原が最もよく発現しているのではないかと考えられたのは悪性黒色腫(メラノーマ)であった。メラノーマは悪性度の高い癌である一方、時々自然退縮も見られる不思議な癌で、これはもっぱら免疫によるものでないかと考えられてきたからである。つまりメラノーマには免疫系に認識されやすい抗原(抗原性が強いという)がたくさん出ているのではないかと考えられたのである。実際、メラノーマ上にはメラノーマ特異的CTLによって認識されるMHCクラスIに結合する多数の癌抗原がみつかった。その他の癌でも様々な癌から癌抗原がみいだされた。これらのことからわかったことは、CTLが認識する癌抗原は様々なところから由来しているということである。たとえば、癌にのみ特異的に発現する変異ペプチド(腫瘍特異的変異ペプチド)、いわゆる癌遺伝子産物や癌抑制遺伝子産物、通常は精巣や胎盤にのみしか発現しないものが癌にも発現するようになったもの(Cancer-Testis 抗原)、初癌ウイルス産物 などである。いずれにせよ、これらは正常の組織には発現しないか、免疫系に認識されない局所に発現するもので、少なくとも自己抗原とは言えないものばかりである。免疫系から見れば癌は身内から出現した“異物”だったのである。

 

“Missing-Self”の謎

 癌は遺伝子異常によって様々な変異をきたしている。よく見られる変異の一つはMHC クラスIの発現の欠損である。筆者らの経験によれば呼吸器や消化器癌の30~40%MHC クラスIの発現がきわめて現弱しているか、まったく発現がなくなっていた。癌の立場から考えれば、これはCTLからの攻撃を逃れるためにとても都合のよいことである。なぜならばCTLT細胞レセプターを用いてMHC クラスIと結合したペプチド抗原を認識して反応するからである。ところが免疫系もそれほど単純ではない。ちゃんとこれらの癌にも対処できるようになっているのである。

 ナチュラルキラー(NK)細胞は1970年代にT, B細胞に次いで発見された第3のリンパ球といわれる。CTLと異なり特異的な抗原の認識がなくても試験管の中で癌細胞を殺すことができることからこのような名前がつけられた。大きな疑問はそれではNK細胞が標的である癌細胞の何を認識し活性化して癌細胞を殺すことができるのかということであった。今から20年近くも前の1986年、スウエーデンのKarreNK細胞はT細胞リンパ腫であるRMA細胞株を殺せないが、そのMHCクラスI欠損のバリアント株であるRMA-Sはよく殺すという現象を観察した。すなわち自己のマーカーでもありすべての体細胞に発現するはずのMHCクラスIの発現が低下したものに対してNK細胞は好んで殺せるようになるということを示し、これをMissing-Self hypothesisとして提唱した。T細胞はMHCクラスIの発現がある細胞を、NK細胞がその発現が低下した細胞を監視するといった相補的な役割をになっていることが考えられた(図2)。 

 1990年代に入ってこの現象が分子レベルで説明されるようになってきた。逆説的ではあるが、NK細胞にはMHCクラスIと結合する様々なレセプターが発現しており、このレセプターからNK細胞の活性化を抑制するシグナルが伝わることが明らかにされた(図3)。NK細胞が活性化し標的細胞を殺すようになるか否かは、NK細胞に伝えられる活性化シグナルと抑制性シグナルのバランスによって規定されると考えられている (図4)NK細胞上の自己を認識して活性化を制御する抑制性レセプターの発見は、その後免疫系のホメオスターシスや自己寛容の観点から免疫系を考え直させ、NK細胞以外のほとんどの免疫細胞でも抑制性シグナルを伝えるレセプターの存在が発見される契機ともなった。またこれが胸腺内での負の選択による中枢性の自己寛容とは全く異なる末梢における自己寛容のメカニズムを示した点で画期的であった。

 

キラーリンパ球の武器

 これまで述べたように癌に対して働く免疫系側で中心となる細胞はCTLNK細胞である。これらのキラーリンパ球は癌をどのように殺しているのだろうか。キラーリンパ球が標的となる癌細胞をみつけて種々のレセプターや接着分子を介して結合すると、活性化シグナルが伝えられ、いくつかのエフェクター機構が作動し始める。中でもキラーリンパ球の細胞質の顆粒に含まれるパーフォリンとセリンプロテアーゼであるグランザイムは標的細胞傷害に中心的な役割をになう。キラーリンパ球が標的細胞と結合し活性化シグナルが伝わると、はじめにパーフォリンが分泌され標的細胞の細胞膜に穴をあけ、この穴を通って同時に分泌されたグランザイムが標的細胞質内に入り込み、アポトーシスのシグナル伝達経路を刺激する。もう一つの細胞傷害機構はTNFレセプターファミリーのFasTRAILなどdeath domainを持つ細胞膜レセプターを介したアポトーシスによるものである。これらのTNFレセプターファミリーが発現する標的細胞では、キラーリンパ球が発現するこれらのリがンドと結合することによって、死のシグナルがもたらされることになる。

 

免疫反応はチームワークだ!

 癌免疫においてもっとも強力なエフェクター細胞は特異的に抗原を認識しこれを記憶(連載第1回参照)することができるCTLであろう。しかしCTLが効果的に働くようになるためには、様々な免疫細胞が互いにネットワークを形成してCTLを誘導し癌拒絶の最終局面にまでいたる必要がある。樹状細胞は癌抗原を取り込み、これをヘルパーT細胞に情報を提示し、サイトカインを介して抗原特異的なCTLを誘導する。一方で癌抗原を取り込んだ樹状細胞の中には直接CTLに癌抗原を提示 (クロスプレゼンテーションという)するものもある。樹状細胞の人為的操作による強力な癌ワクチンの試みが盛んに行われているのは、このような理由による。さらにマクロファージやNK細胞などからのインターフェロンa gなどのサイトカインも効率的なCTLの誘導に役立っている。ヘルパーT細胞と連携したB細胞から産生された抗体もまた癌の拒絶に役立っていることが最近わかってきた。これらの基本的な免疫学の理解のもとに、癌ワクチンは現在わが国でも様々な工夫をこらした臨床試験が行われている。まさに免疫を理解することによって免疫を制御しようとする試みである。手術や抗癌剤に加えて免疫療法が癌の治療の柱の一つとして確立される日がくるのも近い将来のことであろう。