腎病理 コラム

腎生検病理診断について

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腎生検病理診断は、腎臓病医療の中では非常に重要であり、臓器の障害の程度や質などを正確に把握する唯一の方法といっても過言ではありません。腎生検病理診断は、病理診断の分野でもやや特殊であり、病理学総論と臨床腎臓学を理解しこれをインテグレートさせる思考が必要です。このコラムでは、順次腎生検病理診断に必要なスキルについて、画像や文献的考察も含めて紹介していきます。患者さんひとりひとりの病態や既往歴などは様々であり、とてもひとつに括れるものではありませんが、臨床病態を把握し、病理所見から抽出できる情報になるべく客観性と合理性を持たせ、腎生検を施行した臨床医が納得する解釈(interpretation)をすること(これが病理診断です)が、患者さんに意味のあるフィードバックとなり、よりよい治療選択や生活指導という質の高い医療を享受することに繋がるものだと信じています。
右の腎生検病理アトラスは、日本腎臓学会と日本腎病理協会の共同作業として2010年に刊行されました。大変詳しく、各疾患が典型的な画像とともに説明されています。大変よくわかるように書かれており参考資料としては十分でしょう。ただ、本アトラスを眺めていても腎生検病理診断が実際に上達するか?というとそうではありません。病理診断は、ともするとパターン認識と考えられがちですが、腫瘍病理と違って、形態像のパターンだけでは原因も病態も分かりませんし、患者さんひとりひとりの腎病理像は二つとして同じものがなく、かつアトラスに載っているような典型的画像ではないため、その形態像の背景にある病態については臨床情報と病理学総論から考えていく必要があります。

腎生検病理標準化について

腎生検は腎臓病の診断に不可欠であり、予後や治療法の選択に大きく寄与しています。いうまでもなく、診断は正確である必要があります。腎生検病理診断は特殊な領域であり、病理総論、病理診断学と臨床腎臓学を理解するセンスに基づいたinterpretation、つまり解釈なのです。それゆえ観察者間での診断が大きく異なることもしばしばあります。とくにわが国では、腎生検病理診断の約8割は臨床医によって行われる特殊性のため、腎生検病理診断の精度の向上は、わが国の臨床腎臓学の重要な課題です。
腎病理標準化には2つの大きなポイントがあると考えています。ひとつは、異なった人間が同じ病変(アナログイメージ)を観て同じ評価(解釈)がなされるべきである点です。ここには判断の前提である評価基準が明確である必要があります。もうひとつは腎病理診断が病態診断でもある点に起因しています。腎臓病の治療は、病変ではなく病態に対して行われます。病態は病変とその背景となる他の病変や患者さんの年齢、病歴、現在の臨床データ(たとえば蛋白尿や血尿など)から診断されます。たとえ同じ病変を同じように評価したとしても、この病態診断の考え方をある程度統一しなければ、病変の評価が患者さんの治療には役立ちません。 
腎病理標準化は、この2点の判断基準を合理的に考えていく作業です。この課題に対して、日本腎臓学会腎病理標準化委員会と腎病理協会の共同作業として腎病理標準化を進めています。さらに厚生労働科学研究費補助金難治性疾患克服研究事業「進行性腎障害に関する調査研究」疫学・疾患登録分科会とも合同で標準化の検証を行っています。

直観とパターン認識

腎生検病理アトラステキスト画像

“病理はパターン認識”といわれます。確かに、かたちをパターン化して分類する病理形態学がそう言われるのもわかりますが、 “単細胞”といわれているようでどうも好きになれません。 病理医は同じ標本に、よく違った判断をします。この判断は、個々の持つ断片化した潜在記憶が、標本という対象に意味づけをするために、連結・再構成する編集作業です。少し厄介なのは、この作業がしばしば直観に似た判断で行われることです。つまり、直観に頼るから判断が異なると思われるふしがあるということ。

確かに、何度も書き換えられた記憶が生み出す表象(イメージ)や直観は、芸術では個性として大きな意味を持ちますが、病理診断ではどうでしょうか。かつては、標本1枚を大御所が判断し最終診断としていましたが、何故そう判断したか十分な説明はなありませんでしたし、その議論も私の周囲ではopenではなかったっていうか許されない雰囲気がありました。直観や個性は、共有が難しいもの。だから、病理診断では敬遠されるようになりました。

病理診断の精度向上は非常に重要であり、学会もこれに努めています。精度向上の基盤は、判断を共有するための認識の標準化であり、共有手段として、形態をパターン化し言語で定義付けしています。ここでは直観は排除されます。では、パターン認識だけで病理診断として意味を持つのでしょうか? そうではないだろう、というのが腎病理を専門とする私の抵抗です。

これを解く面白い実験が人工知能(AI)による病理診断でしょう。今のところ、病理医の負担軽減が狙いですが、私はパターン認識の正体がわかると密かに期待しています。AIからは直観は排除され、画像を単純にパターンとして認識し繰り返し学習することで、パターン認識では間違いなく人間よりも確実に高得点を挙げます。しかし、なぜそのパターンと判断したのかAIは説明できません。一方で、人間のパターン認識にはバイアスに似た直観が作用し、それが判断を左右する。直観はもとより思い付きではなく、何故そう認識したかという判断根拠としての体系を持っているはずです。つまりバイアスは説明可能だと考えます。問題は、なかなか言語化できないこと。 直観は、経験に基づいた記憶から成る瞬時の判断ともいえますが、その形成には属性が必要です。病理学は、属性と形態学的特徴によって病気を分類し、病変の成り立ちを属性で説明してきました。たとえば、ネフローゼ症候群を呈する糖尿病の患者には、糸球体に糖尿病結節がよくみられるという場合、結節というパターンの属性が糖尿病とネフローゼ症候群になります。だから、糸球体に結節を見ると蛋白尿が多い糖尿病だと瞬時に判断できるわけです。つまり形としてのパターンに意味を持たせるためには、属性が必要であり、この形と属性の積み重ねが直観を作るのではないだろうか、というのが私の考えです。ただ、断片化した記憶から直観を形成するためには、それを編集する何かが必要であることに間違いはありません。

少し専門的になりますが、腎臓病の病理診断は、組織学的にパターンを判断し、病因に関連する臨床経過と蛍光抗体法や電顕を総合して病態を解釈する特殊な作業なのです。腎臓では同じパターンでも違う病気だったり、同じ病気でも違ったパターンがみられるため、たとえば定義から半月体とパターン認識できても、それだけでは病態の解釈はできません。では、どうやって標本の中の情報を処理し、病理診断しているかといえば、直観に似た感覚による部分が多いと言わざるを得ませんが、それを形成する記憶の編集と病態の解釈には病理総論が必要と考えます。つまり、病理総論は、直観の形成を介したパターン認識と病態の解釈の論理的基盤として重要な意味を持つと実感しています。

さてAIはどうでしょう。AIはdeep learningをすれば、直観すら身に付けられるそうですが、AIが病理総論を学ばなくても、我々の持つ直観ならびに病態の解釈と同質あるいはそれ以上の新しい判断ができるのか大変興味深いところです。認知科学には詳しくありませんが、判断根拠となりうる直観は共有できるように思います。この共有の仕方はやがてAIから学べると期待しますが、その前にまずAIにゲームの方法を説明できなければならないと考え、腎病理診断という判断における認知情報処理の過程を言語化しようと、“なぜ、パターン認識だけでは腎病理は読めないのか”(医学書院)を上梓しました。(メディカルトリビューン紙2017/5/17に掲載)