令和元年度

破格について
 

筑波大学 医学医療系 志賀 隆

 

 破格と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?例えば、「破格の待遇、破格の安値」などでしょうか。国語辞典によると、破格とは「1.しきたりや通例を破って並はずれていること.また、そのさま..詩や文章などで普通のきまりからはずれていること.また、そのさま.」とあります。

ところで解剖学の分野にも「破格」という専門用語があります。ステッドマンの医学大辞典によると破格anomalyとして「平均または正常から逸していること.構造的に見て一般的な規律に反し通常の形ではなく不規則であること.」とあります。解剖実習の手引き(寺田、藤田著.南山堂)でも破格に関連して「正常に2つの意味があり、1つは病気に対する正常、もう1つが統計的な標準であり、統計的な意味で正常からずれている状態を破格anomaly、または変異variationという」と説明しています。しかし現実問題としてどこからが正常からずれた破格であるかの境界は曖昧な場合があります。

解剖学における最大の破格の1つに内臓逆位があります。内臓逆位とは体内の内臓の位置が左右で逆転している状態のことで、以前目にした記事によると、アメリカオレゴン州99歳で亡くなられた女性が献体され、学生の解剖実習によって内臓逆位が初めて判明したとありました。心臓の解剖を行なった学生たちは、本来心臓の右側(右心房)に入る大静脈を確認できないため困惑して教員に質問しました。一方、基本的な質問を受けた教員も戸惑いましたが、実は内臓逆位で心臓を含めて内臓が左右反転していました。100直前まで内臓逆位が判明しなかったのは、おそらく検査や手術とは無縁の生活を送っていたからかもしれません。ところで、この方が内臓逆位という破格を自覚しなかったことから推察すると、破格は必ずしも健康に影響を及ぼすわけではなく、普段の生活を送るのに困らない場合があることが予想されます。

新潟で開催された今年の解剖学会では、数は多くはありませんが筋の破格に関する発表がありました。上述したように、破格が必ずしも機能に影響を及ぼさないことを考えると、解剖学の研究や実習で破格を調べる意味は何でしょうか。破格とは、個性、多様性であり、破格を調べる意義はつまるところご遺体に敬意を表すことだと思います。また、今年の解剖学会の解剖実習に関するワークショップでは、肉眼解剖学を専門とする名誉教授の先生の「解剖実習を行う際に解剖学用語を一旦(いったん)忘れよ」という言葉が紹介されました。一見すると逆説的で乱暴に聞こえますが、真意は解剖に際して教科書を無批判に信じる先入観を捨ててご遺体をしっかり観察しなさいということです。ご遺体の解剖ではありませんが、数十年前に私が大学の教養課程の生物学実習で行ったカエルの解剖の実習書には図が一つもなく、文章の説明だけがぎっしり書かれていました。図があるとそれだけで理解した気になりがちですので、この場合も先入観を捨ててしっかり対象を観察しなさいという意図だったと思います。先入観を捨ててご遺体に対峙する解剖実習が理想ですが、そのような実習は実習時間が限られている現在では難しいのが現状です。しかしながら、解剖に際してしっかりご遺体に向き合うことは解剖実習の原点であり、本質であると思います。

近年、肉眼解剖実習でコンピューターを利用するケースを耳にすることがあります。この解剖学ソフトでは3次元構造が再現され、例えば血管や神経だけを抽出して他の臓器との関連を学ぶこともできるため非常に効率の良い学習ができるかもしれません。しかし、残念ながらこのようなソフトには破格まで再現されていません。このようなことを考えると、ご遺体の解剖を行う目的の一つは、人体の構造の破格、つまり多様性を学ぶことにあると思います。


平成25年度

「心臓と毛細血管」

筑波大学 医学医療系 志賀 隆


 人体には多数の血管と神経が至る所に張りめぐらされている。皮膚から血管が透けて見えるが、これはいわゆる静脈で、血液を心臓に戻すと同時に体温調節を行なっている。実はその周辺には無数の毛細血管が存在するが、細いために肉眼で見ることはできない。言うまでもなく、これらの血管に血液を送り出すポンプの役割を果たすのが心臓である。心臓から送りだされた血液は動脈、毛細血管、静脈を通って全身を循環し、再び心臓に戻ってくる。動脈と静脈にはそれぞれの血管を識別するために名前がついており、解剖学を学ぶ学生はこれらの名前を正確に覚えなければならない。とは言うものの、多くの場合、体の中での位置や形にちなんだ名前が付けられているので、そのことを考えるとひたすら丸暗記する必要はない。太い動脈や静脈と比べると、毛細血管は単に細いだけでなく、名前がついていない。しかしながら名無しだからと言って毛細血管は重要な役割を果たしていないわけではない。実は毛細血管は、血管系の最前線で、体を構成する様々な細胞に酸素と栄養素を供給する一方、二酸化炭素と老廃物を回収している。したがって毛細血管の異常によって、さまざまな病気が引き起こされる。   

 神経系も血管と似ている。脳と脊髄で構成される中枢神経系から出た運動神経は運動に関する司令を筋肉に伝え、また目や耳などの感覚器で受け取った情報は感覚神経を通って脳と脊髄に伝えられる。これらの運動神経や感覚神経は末梢神経系と呼ばれ、太い神経には名前がついているが、末端の細い神経になると毛細血管の場合と同様に名無しとなる。これらの細い神経は脳・脊髄と筋肉や感覚器を直接結んでおり、神経系が正常に働くために不可欠である。「毛細」血管や「末梢」神経という名前からすると、あまりよい印象を受けないが、実は極めて重要な役割をはたしているわけである。

 ところで「第2の脳」と呼ばれる臓器がある。「第2の脳」とは腸のことであり、今から約15年前にアメリカの神経生物学者のガーション博士が、「セカンド・ブレイン:腸にも脳がある」と言う本を執筆して話題となった。実はそれよりもはるか前に解剖学者の藤田恒夫先生(新潟大学名誉教授、昨年逝去)が腸の重要性に着目し、「腸は考える」という本を著している。腸には多数の神経細胞が存在し、セロトニンなどを用いて、脳とは独立して腸のぜんどう運動をコントロールしている。

 ひと昔前には「こころ」はどこにあるかという問いに対し、心臓に有ると考える人がいたかもしれない。現在では、こころは脳機能が基盤となっており、こころが脳にあることを疑う人はいないと思います。ところが上で述べたことを考えると、もしかしたらこころはいわゆる脳だけではなく、腸にも存在するのかもしれません。

 血管から始まって、末梢神経、そしてこころにまで話があちこち飛んでしまった。かつて筑波大学の学生サークルの役員を務めることになった学生の自己紹介で、「自分は毛細血管の役割を果たし、執行部と部員の間を結びます」ということばを耳にしたことがある。名もなき毛細血管の大切さをしっかりと理解し、その働きに注目している学生がいることに感心した覚えがある。想像するにこの学生は、サークルの執行部と部員の意思疎通をはかるかけはしとなって、サークル活動が円滑に進むことに「毛細血管並みに」欠く事のできない貢献をしたことと思う。