令和5年度

ポストコロナ時代に思う解剖学教育の課題

 

筑波大学医学群長 田中 誠

 

3年前の春「コロナ禍に思う」と題し、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)を迎える中、日々の不安や葛藤、人々の生活様式の変化や制限下での医学教育の難しさ、学生たちの戸惑いなどを報告させていただきました。今、新型コロナウイルス感染症の出口がようやく見え始め、この拙文が世に出る頃には、感染法上の分類が2類から5類へと変更されているかもしれません。社会生活上の規制も緩和され、巷ではマスクを外して過ごす人の割合も増えているでしょう。この3年半の間、学生たちが本来は一堂に会して実施する実習・演習の類は、その教育効果を下げないよう私共は工夫を凝らし、時に複数教室を利用して、またある時は時差を設けて何とか実施してきました。最も困難と思われた病院実習も、分散登校やオンラインによる教育コンテンツを充実させるなど、各科で工夫して行ってきました。その中で、学生や教職員による厳密な健康管理と行動規制を行ったうえで、解剖学実習は一貫してコロナ禍以前と同様、十分な換気条件を確保した上で実施し、一人の感染者を出すことなく完遂できたことは大きな成果でありました。

では、コロナ禍が残した爪痕は負の遺産ばかりでしょうか?確かに、せっかく大学に入学したのにクラブ活動や友人たちとの直接の触れ合いは大幅に制限され、パソコンと向き合うばかりの授業を強いられた学生たちは本当に気の毒でした。一方、医学類ではハイフレックス型授業システムを構築することにより、学生が授業を受ける際の選択肢が増え、後からオンディマンドで復習することが日常となり、実際には多くの試験で成績が向上しました。我々教職員はオンライン会議やオンライン学会に習熟したことで、必ずしも対面で行う必要がない多くのことにも気付かされました。出張経費は節約でき、移動に伴う労力や時間は大幅に減りました。会議時間も心持ち短くなったと感じているのは私だけでしょうか?何より学んだことは、コロナ禍という逆境の中で、また立ち直る過程において、特に重要なのはレジリエンスという心の持ち方であるということでした。

そんな中、昨年ある関西の大学から大変ショッキングなニュースが発出されました。包み隠さず報告させていただきますと、この大学では医学教育のために寄せられた献体約50体が、適切に防腐処理されていなかったというものです。献体を管理する技術職員が1名しかいなかったこと、その職員が体調不良になったことなどが主因と考えられていますが、コロナ禍により業務の増大に拍車がかかったことも否めません。こうした問題を受け、文部科学省は全国の医学部、歯学部に献体業務を適切に行うよう点検を求める通知を出し、また国立大学医学部長会議では、問題意識の共有と対策について話し合いました。本学では幸い、技術職員3名体制でご遺体の搬送や処置・保存、実習のサポート等を行っており、適切なご遺体の管理を行っていますが、技術職員の育成には特殊な技能の伝承が必要であり、その習得には時間がかかります。全国的に献体管理に携わる技術職員は不足の一途をたどっており、今後こうした職員の育成と確保が解剖学教育を維持するうえで大きな課題として認識されるようになりました。

解剖学実習は、人体を解剖してその精緻な構造と機能を学ぶ、最も重要な医学教育であることは言うまでもなく、献体していただいた方やご遺族の思いを真摯に受け止め、医療人として成長する貴重な機会でもあります。献体はそうした教育を支える大変尊い制度であることを我々教職員一同は心に刻み、今後も適切なご遺体の管理をここにお誓い申し上げます。筑波大学白菊会の皆様におかれましては、引き続き医学教育へのご理解とご支援を賜りたく、ご協力をお願い申し上げます。

 

 

令和2年度

コロナ禍に思う

 

筑波大学医学群長 田中 誠

 

新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)は、この先もしかしたら何十年も付き合わざるを得ない「日常風景」となるのかもしれません。一時期は、「コロナが終わったら何々がしたい」といった無邪気な声も聞かれましたが、「コロナありきの社会」へと制度設計や心構えを持ち直さなければならなくなりました。また、緊急事態宣言が発令され、感染者数や感染のリスクなど様々な医学的情報がメディアによって拡散されるなか、私たちは外出する際はマスクをする、他人との距離を保つ、帰宅したら手洗いやうがいを徹底する、などの新たな生活習慣が身に付きつつあります。

また、コロナ禍は教育の世界にも深い爪痕を残しました。本学では今年は入学式を行うことは出来ませんでした。卒業式も一部の学生しか参加できず、ご父兄の出席は叶いませんでした。例年は学位記授与式の後、臨床講堂前でクラブの後輩たちに見送られる卒業生たちの晴れやかな姿やご父兄と写真撮影する姿を見かけるのですが、今年は3密を避ける意味で全て禁止とされました。新入生たちは新学期を迎えても大学のキャンパスに入校することすら出来ず、自宅待機を要請されています。新しい友人たちとの出会い、新たな大学生活に心躍らせる日々がいつ訪れるかも分からない不安な状況が続いています。所謂、講義形式の授業は全てオンライン化され、教員も学生も慣れないシステムを駆使し、文字通り悪戦苦闘が続いています。首都圏から全国に広がった緊急事態宣言により人の移動や経済活動が極端に制限され、感染防御の観点から対面で食事することすら憚られる状況の中、教育の現場から実習や実験は一時的になくなりました。医学教育では、互いに体躯を提供し合って診察法を学んだり、ロールプレイを介して医療面接の技法を習得していた教育技法が崩壊しました。そうした逆境の中、アイディアを駆使して教育の質をできるだけ保ち、何とか社会から許容される範囲で知識や技能の伝授・教授を可能にするよう、教員たちはオンライン授業の内容を工夫しています。普段使用することのなかったオンライン会議ソフトの使い方を急いで学び、少人数の学生とのチュートリアル(少人数の学生グループに対し1名の教員が付いて、ディスカッションを中心とした課題解決型の教育を行う)やクルズス(臨床教育の中で少人数の学生を対象にした講義形式のもの)を行ったり、試問を行ったりしています。また、臨床の現場や手技中心の実習については新たに動画を撮影し学生に公開したり、YouTubeから目的に合った動画を探してきたりしています。試行錯誤を繰り返し、学生から教育効果のフィードバックを受ける中、新たな発見やこれまでの常識を見直させられることもしばしばです。はたして講義では、学生を一堂に会する必要性が本当にあるのか?むしろ、いつでも、何度でも、繰り返し視聴し受講できるオンライン講義の方が教育効果が高いのではないか?などと自問自答しています。

では、解剖学の実習はどうでしょうか?近年、解剖学ソフトを駆使し、コンピューター画面上3次元で人体構造が描出される優れた教材が開発され、効率よく解剖が学べるようになりました。私たちは解剖実習においてもオンライン化、遠隔教育を目指すべきなのでしょうか?私は40年前に解剖学実習を行いましたが、それは6年間の医学教育の中で、文字通り最も鮮明な記憶として残っています。ご遺体に初めて接したときは締めつけられ、震えるような緊張感を覚えました。次第に、ご遺体に対する畏敬の念と医療従事者になるのだという自覚が少しずつ、確実に芽生えてきました。大学生から医学生へと心の変革を迎えました。全ての医学生が人として、医療従事者として成長し、文字通り一皮むけるのが肉眼解剖学実習です。大学教育でどれほどオンライン化が進もうとも、解剖実習の価値は時代を超えて不変です。筑波大学白菊会の皆様には、引き続き医学教育へのご理解とご支援を賜りたく、ご協力をお願い申し上げます。