「脳神経外科から手術がなくなる日をめざして -脳神経外科における新しい治療法の研究動向について-」


能勢忠男 (筑波大・臨床医・脳神経外科)


  私が脳神経外科を志して早也四分の一世紀が過ぎようとしている。 入局した頃は術後の脳浮腫との戦いで主治医は病棟で不眠不休の連続であった。この頃ステロイドが広まり始め、この薬のおかげ(本当かどうかは定かでないが信じる者は救われた)で、窮地を救われたように思われた。
 その後、術野の証明用具であるクリニカライトに代わり手術用顕微鏡が導入され、術野も明るく、かつ拡大され手術が安全にかつ侵襲も極端に少ないものとなった。この手術顕微鏡の導入のおかげで術者も主治医も病棟での睡ずの番はめっきり減った。 次に起こった新しい波、超音波手術機器やレーザーメスの導入は狭い術野での手術操作をより容易なものとし、かつ多くのモニタリングシステムの併用により、手術はますます安全性を増し、かつ熟練の士にのみ許された手術もより若い脳神経外科医に託されるようになってきた。今はこの Instrumental Surgery という時代のまっただ中で脳神経外科医は手術の成果を競い合い、新しい術式の開発に余念がない。このような流れの中で近年、血管内手術や定位的放射線治療などの非観血的治療が臨床の途につきはじめた。これは脳神経外科から手術のなくなる日という新時代の黎明期の迎えを暗示させる。
 事実、「脳外科から手術がなくなる日」を目標にかかげて出発した私どもの診療グループでも最近の3年間では脳動静脈奇形の手術は全く行なわれていない。 私も当初は手術を容易にする目的で血管内手術による塞栓術を試みたが、現在では残存する小脳動静脈奇形はプロトンの照射を加えることによりみごとに頭蓋内から消失し、それまで10数時間かけた手術は昔話として若い脳外科医達に語り継がれている。脳動脈瘤に対する血管内からの塞栓術もすでに本邦の臨床医から発表されている。脳動脈瘤の非観血療法の確立もそう遠い将来の話ではなくなってきている。
 また、主幹動脈の狭窄に対しての血管形成(あるいは拡張術)も臨床レベルで行なわれており将来的にはステントの挿入も夢ではあるまい。
 頭部外傷の原因の最大のものは、交通外傷であるが、この疾患群とて交通マナーの教育や交通取締の強化等で激減するはずで、現につくば研究学園都市においても皇室の方や国内外の政府要人の来筑の日には死亡事故の発生は皆無になると聞く。 また同時に自動車車体の持つ外傷の被害を大きくする構造上の問題は工業界などが研究工夫を重ねており本疾患の大多数が墜落事故など一部の頭部外傷は残るとしても、脳外科医達の手から離れる日も遠くはなさそうだ。頭部外傷の手術もなくなるであろう、脳腫瘍に関しては神経膠腫の非観血的療法の基礎、臨床の研究も加温療法を始めとして免疫療法さらには分子生物学的手法などと幅広い展開をみせ始めている。 これまでのように腫瘍細胞を殺そうとする思想から腫瘍細胞との共存へと思想の転換を迫られることになるかも知れない。 良性腫瘍でも下垂体腫瘍の一部での薬物療法が実施されているし、定位的放射線療法も試みられている。また昔は出血とのあくなき戦いであった髄膜腫の手術も超選択的塞栓術により手術に際して腫瘍よりの出血は皆無に近く若い研修医達は髄膜腫の手術は出血しないものと心得ている。 実際昔を知る私などは出血もせず軟化した腫瘍を目の当たりにするとこのような状態で腫瘍組織ははたして成育するのであろうかと疑問に思いつつ術野をにらみため息をつく昨今である。 先天疾患にも将来は遺伝子レベルの治療が予測される。 いずれにしても50年後の脳外科医は現在手術が行なわれている各種疾患の極く一部を細々と担ってゆくことになろうし、「脳外科から手術がなくなる日」を目標に私達が努力し、将来につないでゆくことこそが現在そして次代の脳外科医の責務であると考えるのは私一人であろうか…。    

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