「中枢神経系における伝導路の再生と神経回路網の再構築」
川口三郎 (京大・医・認知行動脳科学)
哺乳動物の中枢神経伝導路は再生しないと広く信じられているが本当ではない。条件さえよければ、著明な、機能的にもかつ活動性を有する伝導路の再生が起こりうる(1)。従って、脳損傷部に人為的操作を加えることによって、そのような条件を作り出すことができれば、切断された神経伝導路の再生を促進させうる可能性がある。また、胎児脳組織を移植すれば、移植された脳組織と宿主の脳との間に神経結合の形成されることを多くの報告が明かにしており、移植によって神経要素を補填すれば失われた神経回路を修復できる可能性もでてきている(2,3)。
神経回路の修復を考える場合、ドーパミン,ノルアドレナリン作用性投射のように明白な体部位局在なしに脳の広範な領域に投射する大域的投射( global projection )と精密な体部位局在を示して限局性に投射する点対点対応投射(point-to-point projection )の2つを区別することが必要である。前者は、いわばホルモンに近いような形で作用していると思われる投射であり、実際、胎児脳組織の移植に際して、移植片に余分な組織が混入していても、また、本来占めるべき場所とは異なる部位への移植であっても、機能障害の回復することが観察されている。後者は精密な体部位局在なしには機能を発揮できないと考えられる投射であり、このような投射における神経回路修復の試みは、現在のところ、成功しているとは言い難い。その原因は恐らく従来の研究が技術的な困難さのゆえに[体部位局在の再現を可能にする移植]、すなわち[相同組織の相同部位への移植]に意を注いでこなかったことによるものと思われる。私達はそのことに留意して、(1)新生ラットを用い、全小脳あるいは半側小脳切除を行ない、その空所に胎児ラットの小脳を移植し、(2)同じく新生ラットの脊髄髄節を取り除いた後に、胎児ラットの相同組織を移植し、(3)成熟ラットの脊髄を切断したあと、切断部に胎児ラットの相同部位を含む脳組織の移植を行なった。胎児脳組織には神経伝導路の形成を誘導するような何らかの手掛かり(cue)がふくまれていると思われる。そうであれば、胎児脳組織の移植により、神経細胞を補填するだけでなく、そのような cue を含んだ微小環境(グリアや細胞外基質)を導入することができるであろう。これまでの胎児脳組織の移植実験では神経細胞の補填だけに関心が払われ、微小環境の導入の意義については見過ごされてきている。しかし、後者は中枢神経伝導路の再生や神経回路網の再構築を成功に導く鍵を握っているように思われる。私達の行なった実験(1)と(2)は脳の一部を置換する試みである。これらの実験では、構造を保持した神経細胞集団の補填と伝導路の形成を誘導する cue の導入によって、神経回路網がシステムとして再構築されることを期待した。実験(3)では cue の導入により成熟動物の切断された神経伝導路の再生が促進されることを期待した。実験結果はいずれも期待を裏切らないものであり、哺乳動物の脳が潜在的には極めて大きな再生と自己組織化の能力を有しており、それを発現させることができれば、点対点対応投射であっても大規模な神経回路網の修復が可能であること、成熟動物においても神経伝導路の再生が可能であることが判明した。本実験結果は脳や脊髄の損傷、血管障害あるいは変性疾患に対して神経回路の再生や再構築といった治療が将来的には可能になるかも知れないとの希望を抱かせる。
参考文献
- Kawaguchi,S., Miyata,H., Kato,N.: Regeneration of the cerebellofugal projection after transection of the superior cerebellar peduncle in kittens: morphological and electrophysiological studies. J.Comp. Neurol. 245 (1986) 258-273
- Kawaguchi,S., Murata,M., Kurimoto,Y。.: Reconstruction of mammalian central neural circuitry. In "Brain mechanisums of perception and Memory: From Neuron to Behavior" (Eds. T.Ono, L.R.Squire, M.E.Raichle, D.I.Perret, and M.Fukuda) pp. 599-603,1993, Oxford University Press.
- 川口三郎:中枢神経伝導路の再生と神経回路網のシステムとしての再構築。ブレインサイエンス 4(1993)49-57.