「記憶・学習およびシナプス可塑性に対する脳由来神経栄養因子(BDNF)の作用」


松木 則夫(東京大・薬学部)


 神経栄養因子として数十種類以上の物質が知られており、神経の分化や生存の維持などの長期的な作用をもつが、それ以外の短期的な作用も知られている。最近、脳由来神経栄養因子(BDNF: brain-derived neurotrophic factor)がグルタミン酸神経伝達を促進したり、海馬の長期増強に影響することが相次いで報告された。我々は、シナプス可塑性を調節する内因性物質について検討してきた。そこで海馬の神経伝達に対するBDNFの作用をスライスパッチクランプ法を用いて解析した(1)。  ラット海馬CA1野錐体細胞に生じるシナプス電流を興奮性(EPSC)と抑制性電流(IPSC)に分離して解析したところ、BDNFは興奮性シナプス伝達には影響せずに、抑制性伝達を抑制(脱抑制)することが明らかになった。この作用は濃度依存的であり、Trkタイプ蛋白質リン酸化酵素阻害剤K252aにより消失した。BDNFは自発的なIPSCの大きさを減少させたが頻度には影響しなかった。また、GABAを直接適用して生じるクロライド電流をBDNFは抑制した。従って、主な作用点はシナプス後細胞であると結論した。次に、細胞内情報伝達系の関与を薬理学的に検討した。シナプス後細胞内にホスホリパーゼC阻害剤U73122やCa2+キレーターBAPTAを適用するとBDNFの作用は抑制された。以上の結果からBDNFはシナプス後細胞のTrKB受容体の活性化とそれに引き続く細胞内カルシウム動員を引き起こすことにより、シナプス後細胞のGABAA受容体の機能を阻害することが示唆された。  次に、電流固定法により樹状突起より伝播してきた興奮性シナプス後電位(EPSP)を細胞体で記録した。BDNFによりEPSPの振幅が増大し、活動電位が生じ易くなった。次に、海馬スライスを培養し、シナプス形成に対するBDNFの作用を光学的に解析した。その結果、BDNFはシナプス形成を促進することが示唆された。 以上から、BDNFはシナプスの形成や維持、さらには可塑性発現に重要な役割を果たしていることが示唆された。  我々は、線溶系プロテアーゼのプラスミンがシナプス可塑性を増大させ、その作用機序がBDNFと同様に脱抑制であることを明らかにした(2, 3)。これらの作用を模倣する物質は新しい脳機能障害の改善薬になることが期待される。


参考文献

  1. Tanaka, T., H. Saito and N. Matsuki. Inhibition of GABAA synaptic responses by BDNF in rat hippocampus. J. Neurosci., 17, 2959-2966, 1997.
  2. Mizutani, A., H. Saito and N. Matsuki. Possible involvement of plasmin in long-term potentiation of rat hippocampal slices. Brain Res., 739, 276-281, 1996.
  3. Mizutani, A., T. Tanaka, H. Saito and N. Matsuki. Postsynaptic blockade of inhibitory postsynaptic currents by plasmin in CA1 pyramidal cells of rat hippocampus. Brain Res., 761, 93-96, 1997.

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