本文へスキップ
The 63rd Annual Meeting of Japanese Association of Pathography


ご挨拶GREETINGS

 これまでの病跡学は、天才や傑出人の“病理”に照準しつつ発展してきました。なるほど、創造の神秘を「病者の光学」のもとで捕捉する試みは、いまなお魅力的です。しかしその一方で、私たちの臨床現場では、精神疾患の軽症化が急速に進行しています。「分裂病」ならぬ「統合失調症」が精神医学の中核の座を認知症に明け渡しつつあり、banalityの極みともいうべき軽症うつ病が精神科外来の主役となった現代において、創造性の表れもまた、従来の発想ではとらえきれない様相を呈しつつあるのではないでしょうか。

 近年、さまざまな領域で「レジリエンス」や「SOC:Sense of Coherence、首尾一貫感覚」といった発想が注目されつつあります。アントノフスキーのSOC概念をわが国に精力的に紹介してきた山崎喜比古氏によれば、医学全体において「キュアからケアへ」「病院・施設からコミュニティへ」「治療から予防へ 医療から保健福祉へ」といった地殻変動が起こりつつあるとのことです。

 従来の医学は「疾病生成論(pathogenesis)」、すなわち病気のリスクファクター(危険因子)に焦点を当て、その軽減と除去をめざす、いわばマイナスをゼロに戻すためのものでした。しかし、現代医学の使命は、単に病気の治療を目指すことばかりではありません。ゼロをプラスにすること、すなわち健康の質を高める要因に着眼し、その支援・強化を目指すこと。医学は単に「病気ではない状態」を目指すばかりか、個人の「健康の質」を問題にしつつあるのです。その意味で現代医学は、「健康生成論(salutogenesis)」の時代を迎えつつあると言えるでしょう。

 こうした視点からさまざまな天才の生涯を眺めてみれば、そこに見えてくるのは必ずしも「病理」の風景ばかりではありません。むしろ印象的なのは、彼らが並外れて過酷な環境下においても素晴らしい創造性を発揮し、あるいは偉業を達成し得たという「強靱さ」の側面ではないでしょうか。

 確かに彼らは、創造行為の中核的動因として、なんらかの病理を抱えていたかもしれません。しかしその一方で、きわめて高いレジリエンスを有していた、とも考えられるのです。中井久夫氏が病跡学について述べた「不発病の理論」の可能性は、主としてこちらの側にあるでしょう。本来であれば何らかの精神疾患を発病していたであろう天才が、創造行為に没頭することで発症を免れるという意味からも。

 非患者が病理性の高い作品を創造し続けるメカニズムについて、従来の病跡学では解釈が困難でした。この種の現象を検討すべく、私はかつて「病因論的ドライブ」という概念を提唱したことがあります。これは簡単にいえば、作家と作品、あるいは家族や社会を含む「環境」との間に作用して、作品上でのみ病理的な表現を析出させる特異な作用ないし動因を意味しています。このアイディアの背景には、いうまでもなく「エピ・パトグラフィー(宮本忠雄)」の影響があります。第62回総会で特別企画として取り上げた映像作家、ディビッド・リンチのレジリエンスは、こうした病因論的ドライブのもとで維持されてきた可能性はないでしょうか。

 病跡学における「健康生成」という視点の導入は、単なる個人病理に留まらない、関係性やシステム論といった視座をも要請することにつながるでしょう。レジリエンスという概念にしても、なんらかの病理がそれを安定化させるような「一病息災」的ホメオスタシスや、個体と組織のレジリエンスの対立といった、多くの逆説を含んでいます。いずれ病跡学的な視点からの、レジリエンス概念の再検討も可能となるかもしれません。

 今回の総会では、双極性障害であることを公表しつつ旺盛な創作活動を続けているアーティスト、作家、建築家でもある坂口恭平氏・涼子氏夫妻による特別講演と、画期的な評伝『折口信夫』を上梓したばかりの批評家、安藤礼二氏による特別講演、またメインシンポジウムとして「健康生成と病跡学」などを企画しました。「健康生成」という視点の導入が、病跡学における新たな対話と創発の端緒となることを願ってやみません。

第63回総会会長 斎藤 環


第63回
日本病跡学会
総会事務局

筑波大学医学医療系 社会精神保健学分野内
〒305-857
茨城県つくば市天王台1-1-1
FAX 029-853-3099
E-mail: pathog63(atmark)gmal.com