令和3年度

コロナ禍のさなかで

 

筑波大学 医学医療系 解剖学・神経科学 武井陽介

 

一昨年に始まった新型コロナウイルス感染症の流行は世界を覆い、いまなお私たちの生活に大きな影響を与え、先の見通せない状況が続いています。

筑波大学医学群も例外ではなく、昨年度の新学期から学生は自宅待機となり、オンラインの遠隔講義を視聴するという状態を余儀なくされました。その後、大学構内立ち入りが許可され、関係者の努力により対面授業が再開されました。現在、医学群の講義の多くは講義室での対面講義とオンライン受講を選ぶことができるようになり、以前より学習しやすくなったという学生の声も出ています。

講義はオンラインを併用することで解決できますが、解剖学の実習はそうはいきません。医学を学ぶ者は入門の時期に解剖学を学び人間の身体の隅々まで理解し記憶しなければなりません。同時に、ご遺体に対する畏敬の念を持って解剖学実習を行い、将来医療に携わるための『プロフェッショナルとしての死生観』をかたちづくるのです。こうした『学び』はオンラインではとうてい達成することができません。どうしても本物の人体で実習を行わなければならないのです。他大学では解剖学実習の中止あるいは内容を大幅に減らす措置をとったところもありましたが、筑波大学では上記の理由からコロナ禍下にあっても感染防御対策を施しながらレベルを一切落とさずに解剖学実習を実施することに決め、以下のように進めました。

 学生には、実習開始前2週間の健康状態を提出させ、問題ない場合のみ実習参加を認めました。密集した状態を避けるためにロッカールームの使用を禁じました。実習室入口にサーモカメラを設置し、毎日入室前に検温して発熱のないことを確認しました。消毒液を設置し、手指の消毒を義務付けました。実習中、学生と教員は不織布のマスクを常時着用しました。解剖実習室は空気中のホルマリン濃度低減のために強力な空調が装備されており、室内の密閉状態を回避するのに大いに役立ちました。 以上のような対策のもとに昨年度、本年度と実習を行いましたが、期間中若干名の体調不良者が出たのみで、新型コロナ陽性者を出すことなく、無事に実習を終了することができました。いつ大学が入構禁止になったり感染者が出て実習が中止になるかわからないという不安と緊張の下で行われた実習でしたが、学生たちの士気は総じて例年より高く、充実した実習を行うことができました。実習終了時、学生たちは達成感で一杯になっているようでした。白菊会ホームページhttp://www.md.tsukuba.ac.jp/shiragikukai/)に解剖実習の感想文が掲示してありますのでぜひご覧ください。学生たちの様子の一端をご理解いただけるのではないかと思います。

次に、白菊会運営に関する報告です。新型コロナ感染拡大防止のためにやむをえずご遺体の引き取りを一時休止いたしました(令和27月末日~8月末日)。また、昨年に引き続き、本年度も筑波大学白菊会総会と篤志解剖体慰霊式の中止が決定されました。この場を借りて深くお詫びを申し上げますとともに、ご理解をいただけますようお願い申し上げます。

コロナ禍も含め一寸先は闇といった世相のなか、解剖学の教職員一同、臨機応変に対策を講じつつ解剖学実習を継続してゆくために力を尽くして参ります。どうぞ、今後とも変わらぬ御理解と御支援をお願い申し上げます。

 

平成27年度

解剖学実習は学生を変える

 

筑波大学 医学医療系 解剖学・神経科学 武井陽介

 

今年の7月から筑波大学医学医療系の解剖学に着任した武井陽介と申します。まず最初に、筑波大学白菊会の会員様とご家族様の変わらぬ篤志に心よりの感謝を申し上げます。前任の久野節二教授からの伝統を継承し、しっかりとした解剖学教育を進めて参りたいと思います。私は本学に来る前には東京大学で20年ほど解剖学を教えていました。その経験を踏まえ、解剖実習についてこの場で私見を述べたいと思います。

専門課程に進んだ医学生は、解剖学の講義と実習をいちばん始めに学びます。人体について学ぶ際にまず構造(かたち)から入るのはある意味当然であるかもしれません。しかし、ここにはそれ以上の大きな意味があります。つまり、解剖学の実習を最後までやった学生は、やる前の学生とは全く別物になるのです。知識の面でも、精神的な面でも大きな変化が起こります。では、どのような点が変化するのでしょうか。まず、知識の習得の面では、解剖学の実習は、道無き道を行く登山に似ています。一歩一歩、ゆっくりと、時間をかけてルートをたどります。地図やガイドブックに全てが書いてある訳ではありません。途中目にする植物、土、水、気象の変化など、あらゆる自然現象を自分の五感で感じ、不測の事態を解決するうちに、それら全てが生きた知識になります。こうして得られた知識が、「身についた」知識であり、未来のどこかで患者さんを前にした時に役立つのはこのような知識です。一方、コンピュータ、DVDなどの新しいメディアから情報を得るのはロープーウェイで頂上に到達するのに似ています。これらは試験を効率よくクリアするのには役立つでしょう。しかし、将来、人間を相手に治療を行うために臨床医学を学ぶ、その基盤としてはどうでしょうか。これだけではいかにも脆弱に感じられます。皆さんは病気になったときにどのような医師に診て貰いたいと思いますか。学生の時に全力で解剖実習に取り組んだ医師ならば、深い経験に裏打ちされた信頼のできる臨床医である可能性が高いと私は思います。

次に、学生の精神面の変化について述べましょう。解剖実習は、とにかくハードです。受験勉強などとは異質のハードさです。長時間細かい作業をするための肉体的疲労は当然のことながら、それだけではありません。解剖学実習に特有の精神疲労があります。なぜそうなるのでしょうか。解剖学実習に使わせていただく御献体は、自分や自分の家族と同じようにかつて生活し、泣いたり笑ったりしていた人間です。自分と同じ人間を相手に解剖実習を行うということは、学生を否応なしに「死」に直面させます。日本において通常の生活を送る限り、「死」は日常から注意深く隔離されており、「死」と向き合う体験は、ほとんどの学生にとって未知のものです。それは、深い心理的疲労を引き起こします。しかし、それに耐え、解剖をやりぬいた後に、学生はそれまでにないタフさを身に着けています。それは医師にとって、絶対に必要なものです。

解剖学実習で学べることはそればかりではありません。数人のグループで協力して行うためのチームワーク、疑問点を自ら調べ、あるいは不測の事態に対処する問題解決の学習、人間がひとりひとり違っていて教科書どおりの人間などいないことを知ること、また、御献体をしていただいた方やご遺族に対する感謝の念を育てること、これら全てが臨床を学ぶためのかけがえのない経験であり、基礎になります。

社会の変化に伴い、医学教育も大きな変化の最中にありますが、解剖学実習の本質的な重要性は変わることがありません。解剖学の教職員一同、充実した解剖学実習を継続してゆくために力を尽くして参ります。どうぞ、今後とも御理解と御支援をお願い申し上げます。