令和6年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

馬塲幸成

 

「黙祷!」

棺に納めたご遺体に感謝の気持ちをこめて、私は最後の解剖実習を噛み締めていた。

様々な思い出が脳裏を巡った。

解剖実習が始まる前夜、会報「筑波しらぎく」に僕は目を通していた。会員のみなさまからの便りの欄に、「お役に立たせていただける日まで、お与えいただいている命に感謝しつつ悔いなく生きています。」という文字。これからご献体を希望されている方の心からのメッセージだった。

私は、食い入るように次から次へと読み進めた。一人前の医学生だと思えていない自分にとって、そこに並ぶ激励の言葉の数々は、受け止めきれないものでもあった。私は、この激励の言葉をいただくのに相応しい医学生なのだろうか、自問自答しても答えは出ない。捉えどころのない気持ちのまま、浅い眠りについた。

そして迎えた解剖実習初日。菊の花が添えられたご体が並んだ解剖実習室に足を踏み入れた。ホルマリンの匂いが漂う解剖実習室で、黙祷をし、先生方からのお話を伺った。そして、ご遺体とご対面する時間となり、緊張感を持って布をとると、そこには安らかに眠られたご遺体がいらっしゃった。

いざ解剖の時間になり、私の中で、本当にこの方のお身体を解剖していいのかという、強い葛藤が生まれた。そんな時、先生の「最後までご体が先生」という言葉を思い出し、改めて、ご献体下さった方の尊い遺志と学ばせていただくことへの感謝の気持ちを持って、解剖に臨んだ。

解剖実習では、図面上のみで見たことのあった様々な人体の構造を目の当たりにし、教科書に載っている神経の走行と全く異なる走行が現れることもしばしばだった。先生やチューターの方たちとも深い関わり合いをすることができ、「答えを探すことを目的にしてはいけない」という、解剖学のみならず自身の生き方に繋がる貴重な意見をいただけた。それからは、剖出の手引きから与えられる「答え」に囚われることなく、肥大した前立腺の中から癌を取り出し観察するなど、教科書を超えた学びをすることができた。実習を通して私は、単に解剖の知識を得ただけでなく、「学びとは何か」を考究し、今後の生き方に繋がる多様な視点を手にすることができた。

黙祷が終わり、棺に一礼をした。お世話になったご遺体とこれでお別れだ。7年前、父の棺に最後のお別れを言ったときの思い出が重なる。中学2年生の私は、あのとき不安と焦燥感でいっぱいだった。だが、今は違う。私は、日々多くの幸せに囲まれて、立派な医師になる道を歩んでいる。あのときの自分に教えてあげたい、「想像できないような豊かな毎日が君を待ち受けている」と。家族をはじめ、私を大切にしてくれた友人、多様な視点を下さった先生方、そしてご献体下さった方、ここまで自分の人生を豊かにしてくれた多くの人たちに深い感謝の気持ちを感じた。

夢と希望に満ち溢れながら、私は解剖実習室から一歩を踏み出した。

 

令和6年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

菅井 翼

 

私がこの解剖実習で一番印象に残っているのは初日にご遺体を見た時だ。白衣と解剖セットを持ち、友達と話しながら解剖実習室へ向かって歩いていたが、白い布に包まれたご遺体が一面に並べられているのを見た瞬間、その異様な雰囲気に圧倒された。その後、ご遺体を包んでいる布をめくるとき、恐怖と緊張で手が震えた。しかし、先生から「系統解剖実習を終えるまで、皆さんの先生はご遺体です」という言葉を聞いて、医学の発展のためにとお体を寄贈していただいたのだから、ただ解剖をこなすのではなく、この6週間の解剖期間は最大限解剖に時間を費やし、ご遺体から少しでも多くのことを学ばせていただこうと決意した。

この解剖期間はほぼ毎日約4時間の解剖を行い、その後には予習、復習、部活、テスト勉強をこなさなければならず、間違いなくこれまでの大学生活で一番忙しい期間だった。しかし、この解剖期間を乗り越えられたのは、「医学の発展のためにとお体を寄贈してくださった故人・ご遺族の期待に応えたい」「少しでも多くのことを学んで立派な医者になりたい」と初日に決意したからだ。

また、解剖実習中に何度も感じたことは、人間はひとりひとり異なるということだ。解剖実習を通して、正中神経と吻合した筋皮神経やがんに浸潤され肥大化した副腎など、予習したものとは異なる神経や臓器を何度も目にした。これらは講義やアトラスからは得られない貴重な学びとなった。加えて、アトラスのような紙に描かれた画像やイラストで学ぶより、実物を目の当たりにすることで圧倒的に理解が深まった。今後も人間はひとりひとり違うということを心に刻み、医師となった後には患者の症状だけを見るのではなく、全人的に患者を診られるようになりたいと考えた。

最後の実習の日、私は近くの花屋で購入した花束を持って納棺式に臨んだ。その時は初日に感じた恐怖心は全くなく、多くのことを学ばせてくださった私たちの先生であるご遺体への感謝の気持ちであふれていた。棺に枕やシーツを敷き、ご遺体を棺に入れ、最後に蓋を閉めるときには、こみあげてくるものを感じた。私は春日4丁目に住んでおり通学する際には毎回慰霊塔の横の道を自転車で通っている。解剖実習をするまでは何のモニュメントか分からず素通りしていたが、今では毎回解剖実習のことを思い返し、心のなかで感謝の気持ちを伝えている。今年のお盆の時期にはもう一度花束を手向け、感謝の気持ちを伝えたい。

最後になりますが、ご献体いただいた故人やご遺族の方々、解剖の知識を熱心に教えてくださった先生方や先輩方、その他解剖実習に関わってくださったすべての方々に感謝申し上げます。

 

令和5年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

福田愛子

 

初めに、献体くださった方々の御霊そのご遺族の方々に心より感謝を申し上げたい。おかげさまで実習を始めた頃よりも、自分は幾重にも将来の医療の担い手として成長できたのでは、と感じている。

この実習を終えて学んだことは主に以下の3つである。

(1)死生観

 最初の実習では、初めての「死」に直面し、遺体に刃を入れる事にやはり戸惑いを感じた。思い返すと、この「死」に対する覚悟を決めるのがこの実習での第一関門だったのではないであろうか。生き物は誰しもがいずれは死す。医師ならば尚更愛別離苦に悩まされる事が多いであろう。「死」に向き合うことは医師としていずれは越えなければならない壁であり、この実習は医師としての最初の心構えをお教えくださった。

(2)日々の研鑽

 御遺体と解剖アトラスとを交互ににらめっこしながらの毎日だった。

 平面図のアトラスでは理解が難しい構造を実物で確認し、筋肉と血管そして神経の立体的な走行、位置関係など、人体の構造についての理解を班の仲間と共に深めた。

 また、アトラスと実物ではイメージが違い構造を同定するのが困難な時も多々有った。御遺体によっては変異や破格が富むことも珍しくはない。人体図などの本を読むと「人体とはこういうものです」と平たく書かれている印象を受けた。

 しかし、先生方が「アトラスではなく目の前の御遺体が先生である」とおっしゃり、私たち一人一人の体は違い、解剖学とは、終わりなき学びであると気付かされた。そしてそれは、臨床においても同じであると感じた。医師は常に病気や薬のことについて絶えず知識をアップデートしていき、日々研鑽しなければならないことだと深く感じた。日々倦ず撓まず学び続けることは医師として不可欠であることを気づかせることこそが、この実習の本当の課題、目的だったのではないであろうか。

 私はこの実習から、これから先、臨床での研鑽を積む過程で、ただ本で得た知識を基に患者さんに接するのではなく、一人一人に対して、一個人の人生に親身に向き合い続けることの重要性を改めて実感させられた。

 実習によって、この考えが間違っていないと確信できた。実習を経て得た知識と経験は、医師としての基盤であり、宝だと感じている。

(3)想いを後世に

 実習の終わりの度に菊を手向け、その花が色褪せていくと共に、私は命の尊さと重さを改めて受け止め、将来医師になる身としての覚悟ができた。

 慰霊塔へ足を運び、六週間のかけがえのない毎日に対して、お礼を述べさせていただいた。

託されたこの想いを後世まで紡いでいくと決めている。

最後に医学の発展に大きな期待を寄せ、御献体くださった方々とそのご遺族の方々、先生方に再度感謝を申し上げ、皆様のご期待に沿えるよう、初心を忘れずこれからも撓まず精進する所存である。

 

令和5年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

横山史織

 

解剖実習初日、33体のご遺体が白い布に包まれて並ぶ様子を今でも鮮明に覚えている。解剖室に入った瞬間の冷気と自分の震える手が、これから始まる実習の緊張を助長させた。実習前は「ようやく医学生らしいことを出来る!」と意気込んだ気持ちも、一つの命を頂くという厳かさに怖ささえ感じた。そんな初日から解剖実習を行った6週間、毎日の実習に加え予習・復習もあり、生活のほぼ全てを解剖に捧げた。こんなにも一生懸命になれたのは、初日に味わった衝撃と一つの命を頂くと言う事実が私の肩に重くのしかかっていたからである。命を頂いて学ぶという経験は、振り返っても大変貴重な体験であった。

解剖実習中に、私が最も励んだことの一つに「解剖記録レポート」という日々の実習を記録した文書がある。本来ならば先生に自班の進捗度合いを報告するためのものであるが、記録しているうちに、私はこれをご遺体のために記そうと決意した。大切な一つの命を私たちの成長のためにと捧げてくださった故人に対し、恩返しをするような気持だった。記録には少しでもご献体いただいた故人のためになるようにとの想いを込め、毎日1000字程度の記録を記した。疲労で眠くても体調が悪くても精神的に辛いときでも、この記録レポートだけは拘って最後まで取り組んだ。納棺の日、それまでの記録に目を通してからご遺体と向き合った。たった4万字のレポートと私たち医学生の30日間の実習が、故人の尊い命に適ったかは分からない。しかし、私たちの精一杯の努力と誠意が、ご献体いただいた本人・そしてそのご家族に届くことを願った。

納棺後、レポートには班員4人の感想も添えた。班員の感想を読むと、30日間の貴重な時間が走馬灯のように思い出された。初めてメスを入れる瞬間に緊張したこと、中間試問に失敗して落ち込んだこと、各々が一生懸命だからゆえに言い合いになったこと、それでも励まし合って実習を進めたこと、最終試問に合格して喜びあったこと... 気付けば解剖前には予想できなかったほどの思い出が紡がれていた。共に学んだ班員は、戦友であり同志であり、とても深い絆で結ばれたと感じている。6週間で何度挫けそうになっただろうか。何度逃げ出したくなっただろうか。何度「医師になんか向いていない」と感じただろうか。悩み、苦しみ、それでも励まされて乗り越えた日々を誇りに感じた。仲間とともに支え合い、医師になる道の半ばで一つ山を登ったような気がしている。

これから医師になる上で、苦しいことが沢山あるだろう。しかし、この解剖実習を通して培った強さと仲間の励ましは、一生身体に残っている。必死に書いた記録レポートを振り返れば、ご献体いただいた方の命を頂いて自分が成長したことも一つの大きな山を乗り越えた経験も鮮明に語っている。この期間に得た自信と責任は絶対に忘れられないものだと思う。また自分の理想の医師になるために、「良い医師」になるために、解剖実習で得たそれは絶対に忘れてはならないと考える。この6週間の貴重な経験を忘れず、医学に努め理想の医師像を達成していきたいと思う。