令和5年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

福田愛子

 

初めに、献体くださった方々の御霊そのご遺族の方々に心より感謝を申し上げたい。おかげさまで実習を始めた頃よりも、自分は幾重にも将来の医療の担い手として成長できたのでは、と感じている。

この実習を終えて学んだことは主に以下の3つである。

(1)死生観

最初の実習では、初めての「死」に直面し、遺体に刃を入れる事にやはり戸惑いを感じた。思い返すと、この「死」に対する覚悟を決めるのがこの実習での第一関門だったのではないであろうか。生き物は誰しもがいずれは死す。医師ならば尚更愛別離苦に悩まされる事が多いであろう。「死」に向き合うことは医師としていずれは越えなければならない壁であり、この実習は医師としての最初の心構えをお教えくださった。

(2)日々の研鑽

遺体と解剖アトラスとを交互ににらめっこしながらの毎日だった。

平面図のアトラスでは理解が難しい構造を実物で確認し、筋肉と血管そして神経の立体的な走行、位置関係など、人体の構造についての理解を班の仲間と共に深めた。

また、アトラスと実物ではイメージが違い構造を同定するのが困難な時も多々有った。御遺体によっては変異や破格が富むことも珍しくはない。人体図などの本を読むと「人体とはこういうものです」と平たく書かれている印象を受けた。

しかし、先生方が「アトラスではなく目の前の御遺体が先生である」とおっしゃり、私たち一人一人の体は違い、解剖学とは、終わりなき学びであると気付かされた。そしてそれは、臨床においても同じであると感じた。医師は常に病気や薬のことについて絶えず知識をアップデートしていき、日々研鑽しなければならないことだと深く感じた。日々倦ず撓まず学び続けることは医師として不可欠であることを気づかせることこそが、この実習の本当の課題、目的だったのではないであろうか。

私はこの実習から、これから先、臨床での研鑽を積む過程で、ただ本で得た知識を基に患者さんに接するのではなく、一人一人に対して、一個人の人生に親身に向き合い続けることの重要性を改めて実感させられた。

実習によって、この考えが間違っていないと確信できた。実習を経て得た知識と経験は、医師としての基盤であり、宝だと感じている。

(3)想いを後世に

実習の終わりの度に菊を手向け、その花が色褪せていくと共に、私は命の尊さと重さを改めて受け止め、将来医師になる身としての覚悟ができた。

慰霊塔へ足を運び、六週間のかけがえのない毎日に対して、お礼を述べさせていただい

た。

託されたこの想いを後世まで紡いでいくと決めている。

最後に医学の発展に大きな期待を寄せ、御献体くださった方々とそのご遺族の方々、先生方に再度感謝を申し上げ、皆様のご期待に沿えるよう、初心を忘れずこれからも撓まず精進する所存である。

 

令和5年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

横山史織

 

解剖実習初日、33体のご遺体が白い布に包まれて並ぶ様子を今でも鮮明に覚えている。解剖室に入った瞬間の冷気と自分の震える手が、これから始まる実習の緊張を助長させた。実習前は「ようやく医学生らしいことを出来る!」と意気込んだ気持ちも、一つの命を頂くという厳かさに怖ささえ感じた。そんな初日から解剖実習を行った6週間、毎日の実習に加え予習・復習もあり、生活のほぼ全てを解剖に捧げた。こんなにも一生懸命になれたのは、初日に味わった衝撃と一つの命を頂くと言う事実が私の肩に重くのしかかっていたからである。命を頂いて学ぶという経験は、振り返っても大変貴重な体験であった。

解剖実習中に、私が最も励んだことの一つに「解剖記録レポート」という日々の実習を記録した文書がある。本来ならば先生に自班の進捗度合いを報告するためのものであるが、記録しているうちに、私はこれをご遺体のために記そうと決意した。大切な一つの命を私たちの成長のためにと捧げてくださった故人に対し、恩返しをするような気持だった。記録には少しでもご献体いただいた故人のためになるようにとの想いを込め、毎日1000字程度の記録を記した。疲労で眠くても体調が悪くても精神的に辛いときでも、この記録レポートだけは拘って最後まで取り組んだ。納棺の日、それまでの記録に目を通してからご遺体と向き合った。たった4万字のレポートと私たち医学生の30日間の実習が、故人の尊い命に適ったかは分からない。しかし、私たちの精一杯の努力と誠意が、ご献体いただいた本人・そしてそのご家族に届くことを願った。

納棺後、レポートには班員4人の感想も添えた。班員の感想を読むと、30日間の貴重な時間が走馬灯のように思い出された。初めてメスを入れる瞬間に緊張したこと、中間試問に失敗して落ち込んだこと、各々が一生懸命だからゆえに言い合いになったこと、それでも励まし合って実習を進めたこと、最終試問に合格して喜びあったこと... 気付けば解剖前には予想できなかったほどの思い出が紡がれていた。共に学んだ班員は、戦友であり同志であり、とても深い絆で結ばれたと感じている。6週間で何度挫けそうになっただろうか。何度逃げ出したくなっただろうか。何度「医師になんか向いていない」と感じただろうか。悩み、苦しみ、それでも励まされて乗り越えた日々を誇りに感じた。仲間とともに支え合い、医師になる道の半ばで一つ山を登ったような気がしている。

これから医師になる上で、苦しいことが沢山あるだろう。しかし、この解剖実習を通して培った強さと仲間の励ましは、一生身体に残っている。必死に書いた記録レポートを振り返れば、ご献体いただいた方の命を頂いて自分が成長したことも一つの大きな山を乗り越えた経験も鮮明に語っている。この期間に得た自信と責任は絶対に忘れられないものだと思う。また自分の理想の医師になるために、「良い医師」になるために、解剖実習で得たそれは絶対に忘れてはならないと考える。この6週間の貴重な経験を忘れず、医学に努め理想の医師像を達成していきたいと思う。

 

令和4年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

臼井彩菜

 

解剖実習を振り返り、人体の構造や機能をはじめとした多くの知識を得ることができたという達成感と、満足に理解しきることができなかったという悔いを感じている。

実習初日、不安と緊張で足がすくみ、ご遺体に触れることさえなかなかできずにいた。そして初めてご遺体にメスを入れさせていただいた時、「もう後戻りはできない、責任をもって精一杯学ばせていただこう」と決意した。どこにどのようにメスを入れたか、その時の緊張感、手の震えや感触は今でも鮮明に覚えている。実習を通して人体の構造の複雑さを改めて感じた。自らの手で解剖を進めやっとの思いで目的の構造物を目にしたとき、何度教科書や図譜を見てもイメージすることができなかった構造がすっと頭に入ってきて感動を覚えた。反対に頭では十分理解したと思っていた構造も、実際に同定を試みると手も足も出ないことが多々あった。これまで座学をメインに学び、理解した「つもり」になっていた自分に恐怖を覚えた。実習の必要性を感じるとともに、今後自分が向き合うのはひとりひとりの人間であるということを再認識させられた。このような貴重な経験をさせていただいたことに感謝したい。

6週間の実習期間は、毎日実習の手引きや図譜を持ち歩き、予習と復習に明け暮れ、一つでも多くのことを学ぼうと必死に解剖に向き合っていた。筋や骨の立体的な配置や相互作用、血管や神経の複雑な走行、臓器の大きさや色など様々なものを観察し、実際に触れながら多くのことを学ぶことができた。しかし同じくらい、十分に理解できていない事柄も頭に浮かび、まだ学べる事があったのではないかという心残りや後悔もある。納棺後、私は大切な人を失ったかのような寂しさと、まだ実習を続けたいという悔しさから涙をこらえきれず、来年もやらせてくださいと言いに行った。何度実習を行ったところで、奥深く、また日々進歩している医学を理解しきることは不可能であろう。しかし、この悔しさを忘れずに、今後経験するひとつひとつの機会を大切にし、努力し続けたい。

実習を終え、訪れた慰霊塔にこう刻まれていた。「讃仰、医学徒にはげましと大きな期待を寄せて献体された方々の御霊を永遠に讃えてここにいしぶみを築く」これを読み、ご献体くださった方は自身の身を捧げ、私たちに期待してくださっている以上、私も真摯に医学に向き合い、立派な医師になるために精進する義務があると思った。同時に、多くの方々が私の夢を後押ししてくださっていることに勇気づけられた。

最後になりますが、ご献体くださった方とそのご遺族の方々、丁寧にご指導してくださった先生、解剖実習にご協力くださった全ての方々に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

令和4年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

梅津成美

 

解剖実習について初めてしっかりと意識したのは、大学一年生のちょうどこの時期、7月頃だったと思う。まだ大学に慣れていなかった自分は、帰宅途中に曲がる道を一つ間違って、ご献体くださった方々の慰霊塔にたどり着いた。何気なく足を踏み入れたため、石碑に彫られた文を読んで「これからお世話になる方々の慰霊塔だ」と気がついた途端、強い緊張を覚えた。手を合わせて顔を上げた後、手前に目をやると、まだ新しい花束が供えてあったことが印象に残っている。

いざ解剖実習に臨み、はじめて解剖台の前に立ったときには、慰霊塔を前にしたとき以上の緊張があった。実習期間は想像以上に慌ただしく、予習復習のための時間的な余裕がないことはもちろん、亡くなった方のお身体をお借りしていること、実際にその構造を剖出できる機会は一度きりであることが常に頭にあった。しかしそうした緊張の中でも、発生学との関連、生理機能と実際の構造との相関について学ぶことは楽しく、実際に観察するなかで新たな疑問や学びを得ることができた。また血管や神経の走行、各臓器について予習をしていっても、実際にお身体で見てみると個人差による何かしらの違いがあったり、周囲の組織の存在により観察が難しかったり、「人体を扱うというのはこういうことなのだな」という実感を得て、考えさせられることが多くあった。神経系、循環器系、内臓系など、分割された状態ではなく、あらゆるものが複雑に配置された人体として観察できたからこそ、位置関係の把握にも役立った。先生から、どのような手術の際にどのような構造を傷つけないよう注意するべきか、その実際について伺う機会もあり、解剖実習で得た実感の一つ一つが将来医師として働くときに重要であることが理解できた。

「何よりもまずは、みんなの先生になってくれた皆さんに感謝を」これはある先生が解剖実習最終日の挨拶のなかでおっしゃっていた言葉だが、「先生になってくれた」これが自分にとっては胸にストンとおさまるような表現だった。うまく剖出できなかった部分も含めて、どこでどのような構造を探したのか、自分の担当した部分は特に鮮明に覚えている。実習が終わり、改めて教科書等で解剖学を学び直す際、予習の段階と実際の記憶をたどりながらの学習とでは理解の深さが全く違うことを実感し、本当にたくさんのことを教わったのだなと改めて思った。実習を終え再度慰霊塔に挨拶に伺ってみて、ただ驚き緊張していた以前とは違い、背筋の伸びる思いがした。自分が花を供える側になって、昨年慰霊塔に献花していた人もこんな気持ちでいたのだろうかと思うと感慨深いものがあった。自分もこれから本格的に臨床医学を学び始める。実習を通して学んだことを活かし、これから出会う患者さんたちに還元していけるよう、努力を続けたい。

 

令和3年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

松本いずみ

 

6週間の解剖実習を終えて、更に一段階成長できたと思う。解剖初日、不安と緊張でドキドキしながら解剖室に入った瞬間が鮮明に自分の中に刻まれている。そこから6週間は、怒涛の日々であった。1日5時間近く、集中力を保ったまま細かい作業を続け、実習を終えた後は、復習に加えて次の日の予習。6週間、ただひたすら解剖に向き合っていた。解剖実習を終えた今になり、振り返ってみて思うのだが、まるで違う世界で生きていたかのようであった。そのくらい尊くて貴重な日々であった。

解剖実習と言ったら、人体の構造を理解し、将来、治療をできるようにするために行われているものだと思っていた。もちろん、それも重要視されていたが、他にも多くのことを学ぶことができ、また考えさせられた。まず一つ目は、枠にとらわれず、柔軟な思考を持つということである。教科書や実習書にしたがって解剖は進んでいくのだが、想像していたものと実際解剖したものとでは大きく異なっているし、教科書通りではないことも普通であった。その相違を常に疑っていく必要があるのである。これは、今後も通用していくことであると考える。私たちは何事も定義づけされていたり、枠に当てはめて分類したりすることで安心を得ているように思う。そして一旦その位置に落ち着くと、それを改めて疑うのは難しい。しかし、疑い続けないと、新しい発見はないし、何なら過失につながりかねない。例えば、医師が患者さんの診察をし「これはがんですね」と診断したものが、実はがんではなかったということも、常に疑い続けないと気づけないことである。このように、人の体がこんなにも多種多様であったことと、それに気づく視点を持てたことは、将来、患者さんを目の前にして医療を施す際に非常に重要であると思う。

また患者さんに思いをはせることの大切さも学んだ。解剖初日、初めてご遺体にメスを入れる瞬間、あの気が引き締まる思いはいつまでも忘れたくない。こうして、たくさんの方々の支えがあって、自分が医学生として成長できていることを実感した。私が医学部を志願した時には、自分の意志だけで志願したように思う。それが、今回の解剖を通して、ご献体してくださった方々や、そのご家族の意志も引き継ぐのだと思い、改めて気が引き締まった。

この6週間は、ご献体してくださった方の期待に応えられるよう、精一杯猛進した。一つでも多くのことを目の前から学ぶことができるように、学ぶ姿勢を保ち続けた。実習最終日、花束を買いに行った。恥ずかしながら、人生で初めて花束を買った。なんて美しいのだろうと感動するとともに、花束に込めた思いがご献体してくださった方に届きますようにと願った。まずはご献体をしてくださったご本人様に、そしてそのご家族、先生方、最後に、共に学んだ仲間に感謝を込めて。誠にありがとうございました。

 

令和3年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

渡部嘉徳

 

本日、ご遺体を納棺した。ご遺体を解剖台から枕や布団のある棺に移したとき、この方は確かに生きていらっしゃったのだと、そして本来はより自然な形で、もっと安らかな形でいることができたのだと、今更ながら感じた。

実習初日に見た光景は今でも忘れられない。実習室に足を踏み入れると、そこには白い布に丁重に包まれた多くのご遺体が解剖台の上に安置されていた。その光景は極めて神妙かつ非常識的でありながら、どこかやさしさがあるように思えた。納棺式を終えた今、解剖台の上には棺と花束が乗っている。それが言わば本来の形であり、その光景はご献体された方々とご遺族の方々に対する敬意と感謝、そしてやさしさに満ちているように私には感じられた。

ご献体くださった方からは非常に多くのことを学ばせていただいた。教科書の2次元的な絵図が今や実体的な感覚へと自然に置き換わって把握され、それと同時に、実際の見え方との乖離や個人差による多様な型をも理解できるようになった。無機質な活字情報や模式化された図表と現実の生体的現象とが架橋され相互に往来する感覚は、実に不思議であるが、これこそが真の学び、生きた知識なのだと思う。ほぼ全ての感情が捨象された教科書の裏にある、量り知れないほど妙なる命に対する驚嘆や感動の念についても、改めて思惟するようになった。座学と実習を毎日繰り返す中で、自らの学びが如何に責任を伴うものであるか、如何なる態度・姿勢で勉学に励むべきなのかということも痛感させられた。

しかし、実際の解剖においては躓くことが多く、最善を尽くせなかった自分がいたのもまた事実である。構造や状態があまりにも解剖学図譜とは異なっていて思うように剖出できなかったり、思いがけず構造を破壊してしまったりすることが幾度もあった。納棺式で先生が述べられていたように、献体をするのは非常に貴いご遺志によるものであり、ご遺族にとっても尋常ではないほどの心の負担がかかるものであると思う。私自身、母親が献体を申し出ていることに対して非常に複雑な思いであり、未だに葛藤がある。目の前にご献体くださった方がいらっしゃるのは、それら全てを抱えてのことであるにも関わらず、力量不足によって上手く剖出できないでいる自分が情けなく、悔しく、罪深く思われた。そして実習中に何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と言っていた自分がいた。

 

「讃仰、医学徒にはげましと大きな期待を寄せて献体された方々の御霊を永遠に讃えてここにいしぶみを築く」

 

納棺式の後、私は友人と慰霊碑を訪れた。碑文を読み、ご献体くださった方々やご遺族の方々に想いを馳せ、心の底から何かが込み上げてくる感じがした。今、自分が感じている未熟さを受け止めよ、そして精進せよ、そのように言われている気がしてならなかった。

末筆ながら、コロナ禍の中でも、こうして解剖実習を最後までやり遂げられたのはご献体くださった方々を始め、大事なことを何度も教えてくださった先生方や身体的にも精神的にも厳しいときに共に頑張ってくれた友人たちのおかげです。心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。ここで経験した全てのことを糧に、決して忘れず、きっと素敵な医者になれるようにこれからも邁進してまいります。

 

令和2年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

穂戸田 勇一

 

「やっぱり俺、医者になるよ」-そう宣言した私に、癌と闘病中だった母は南木佳士の『医学生』という小説を手渡した。解剖実習の様子が詳細に書かれた『医学生』を読みながら「解剖実習って凄いね。尊いね。」と母と解剖実習に想いを馳せた日を覚えている。

あれから数年の月日が経った。セミが鳴く真夏の青空の下、母が眠る寺の墓前に手を合わせて祈りをささげた。とうとう待ち望んだこの日が来たのだ。基礎医学の真骨頂ともいえる解剖学を学ぶことができる喜びと、少しばかりの不安と緊張が入り混じって押しつぶされそうな気持ちを胸に、私は解剖実習室へと足を運んだ。

解剖実習初日、手の震えが止まらなかった。医学生にだけ許される行為とはいえ、これまで大切に歩まれてきた人生そのものであるご遺体を解剖して良いのだろうか―。優しく大きく包み込むようなご遺体の手を見つめてその人生を想いながら、私は何度も自問自答した。そんな時、「医学に役立ててほしいというご遺志を受け止め、しっかり勉強させていただくのが一番の供養ですよ」と声をかけてくださった先生の言葉に心を救われた。「常に感謝の気持ちを忘れず、ご遺志を継ぐために解剖実習に全力を尽くそう」-そう誓った日を私は忘れないだろう。

実習は感動の連続だった。自分で手を動かしながらご遺体から学ぶ内容は、どんな教科書よりも貴重だった。図譜とよく似た構造の剖出に感動し、全く異なる走行には頭を悩ませながら、人体の不思議を肌で感じる日々を送った。「ご遺体の構造はまさに歩まれた人生の縮図ですよ」と教えていただいた先生の言葉はまさにそのものだった。たった一つの受精卵からここまで大きな人体に成長できる生命の尊さ、狭い腹腔内に整然と並ぶ臓器の精巧さ、そして全ての臓器が協調して一人の「人間」を作り上げているという不思議。毎日が心震える発見の連続で、医学の奥深さを改めて感じる濃密な日々を過ごすことができた。

必死に駆け抜けてきた解剖実習だったが、気付けば鈴虫の音が響く秋になっていた。涙雨が降りしきる納棺の日、私たちはご遺体にそっと想いを寄せた。「きっと凛々しい素敵な人だったよね」-故人を偲んで青色のブーケを手向けて手を合わせたとき、ふと涙が溢れた。ご献体、そして解剖実習に関わる全ての人への心からの感謝の気持ちでいっぱいだった。この貴重な6週間の経験は、医師になっても一生忘れることはないだろう。

納棺を終えた日、改めて『医学生』を読み返してみた。あの日、今は亡き母と交わした約束-それは「良い医者になること」であった。解剖実習で学んだのは解剖学の知識だけではない。人や生命に対する尊厳と敬意という医師としての良心であったと思う。私たち医学生に託していただいた尊いご遺志を胸に刻み、一生をかけて立派な医師を目指して学び続けようと改めて誓った。

最後になりますが、6週間にわたり解剖学をご教授いただきました先生方に心から御礼申し上げます。先生方の熱意あふれるご指導に、我々も解剖学を学ぶ本当の意義を学ぶことができました。そして、尊いご遺志のもとでご献体いただいた故人様やご遺族の皆様に心から感謝を申し上げます。この想いを忘れることなく医学を研鑽し、立派な医師になることをここに誓います。本当にありがとうございました。

 

令和2年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

鈴木康平

 

先日、私は筑波大学でのおよそ6週間にわたる解剖実習を終えた。この実習では、これまでの医学の勉強とは大きく異なり、非常に多くのことを実際に自身で見て、触って、追いかけて確かめながら、学習することができた。

今年は新型コロナウイルスの影響でもともと夏休み前に実施する予定であった解剖学実習が延期し、実際にみんな集まって実施できない可能性もあったが、解剖実習を終えてみると、改めてこうして実習が行えてよかったと思う。というのも、解剖は教科書や電子版のアトラスなどでみるのと、実際にご献体で見るのとではその理解度がまるで異なると感じたからである。実習をする前に「解剖実習の手引き」や図譜などを参考にして予習をしていたが、実習ではまったく教科書通りということはほとんどなく、むしろ異なっていることの方が多かった。また、何がどこにあるのかという知識は、それを「理解」して自分のものとするうえで、言葉だけでは間違いなく不十分であることを痛感した。実際に剖出しようとすると、自分が思っていたところに思っていた通りのものが存在せず、側面にずれて別の場所にあったり、膜をかぶって見えていなかったりと混乱することが多かった。しかし、実習を終えてから振り返ると、そうした混乱にこそ価値があったと気づかされた。それはすなわち、教科書での知識と実際の構造との乖離は、逆に言えば実習を行って、両者の違いに目を向けたうえで剖出しなければ決してわからなかったことだからである。もし、解剖実習が行えずに講義形式になっていたら、得られたものはおそらく今回の半分に満たないであろう。いくら図譜を見て話を聞いて覚えても、その知識はすべてが断片的で有機的ではないので、それを実際に剖出することはできないだろう。これは、臨床の現場ではもちろん、今後医学の勉強を進めるためにも大きな障害となったことだろう。そう考えると、改めて解剖実習の大切さがわかる。

解剖実習を終えたときに教壇に立った先生の一人が「みなさんはようやく医者としてのスタートラインに立った」と仰っていたが、今はその意味がよくわかる。患者は一人ひとりが医学的にみても同一ということは決してなく、非常に多様性に富んでいるため、教科書にあるような普遍的な知識では対応できない。その多様さを知るということが、この解剖実習で初めて理解できたと思う。これは、今回得た知識を基盤として、さらに今後学習を進め、やがて患者を診るようになっても、ここで得た経験を生かして臨機応変に対応してゆくための「姿勢」ともいえる第一歩を踏んだともいえるだろう。ここでも、「多様性」というものを言葉の上で理解するのと実際にやってみて理解するのとでは、その実感が大きく異なった。

最後に本実習を行うにあたりご献体された方々に、大変貴重で生涯忘れることのない学習をさせていただいたことに心から感謝を述べたい。