令和7年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

川嶋 光

「不特定多数」よりも「目の前の1人」の健康に貢献したい。それが、博士号を取得し製薬企業で創薬研究職として働いてきた私が、医学の道を志した理由である。研究職として勤務する一方で、多くの患者さんとそのご家族に接する機会があった。その中で診断の遅れによって症状が悪化した例や、逆に薬を用いずとも回復した例など、様々な症例を知った。そうした臨床の現場を知るうちに、治療の鍵は「正確な診断」と「個々に応じた方針」にあることを強く実感した。また、私の父はうつ病と診断されていたが、実際には慢性硬膜下血腫が原因であった。外科的治療によって回復したこの出来事は、症状の奥にある真の原因を見抜き、的確に対処することの重要性を教えてくれた。

 正確な診断と治療を実現するには、人体の構造と機能を深く理解する必要がある。それは、教科書や図譜だけで得られるものではなく、ご体を自らの目で見て、手で触れることでこそ身につくものであると考えている。私たちが将来向き合うのは、画一的な「人体」ではなく、病歴、年齢や性差など、個体差を抱える「1人の人間」だからだ。その意味で、献体のご遺志を示されたご本人、そしてそれを受け入れてくださったご家族の決断には、感謝してもしきれない思いを抱いた。

 私事であるが、数カ月前に祖母を亡くした。葬儀から納骨までの時間を通じて、別れを現実として受け入れることができたように思う。一方、ご献体いただいた方のご遺族は、そうした別れの機会を先送りにせざるを得なかったのかもしれない。そのご心情を想うと、胸が締めつけられた。将来、もし家族が献体の意思を示したら、私はそれを受け入れられるだろうか。今はまだ、明確な答えが出せない。だからこそ、自分の目の前にあるご遺体と真摯に向き合い、限られた時間の中で最大限学ばせていただくことが、何よりの敬意と感謝になると感じた。

 実習では、子宮摘出後の所見にも触れる機会があった。他班のご遺体で観察した子宮周囲の血管構造は、授業で学んだ子宮動脈と卵巣動脈の走行と照らし合わせながら、卵巣への供血経路の多様性を実感させた。臓器の摘出や温存の判断において、どの動脈が主たる血流を担っているかという理解は、術後の機能温存や出血管理に直結する重要な要素であると感じた。こうした経験は、単なる構造理解にとどまらず、診療につながる思考を深める契機となった。

 また、解剖を進める中で、先生方の姿勢からも多くの気づきを得た。私たちの問いに真摯に応じ、臨床的な視点をふまえて丁寧に導いてくださるご指導には、ご献体いただいた方への敬意と、未来の医療者への期待が込められていたように感じた。座学的な内容を教えるだけでなく、その先にいる患者を見据える視点を育んでくださった先生方に、心からの敬意と謝意を抱いた。

 この実習の中で、ご献体いただいた方、先生方、そして共に学ぶ仲間たちから多くのことを学ばせていただいた。一つひとつの問いや気づきが、今後医師として歩んでいく上での礎となると確信している。

 この経験を決して忘れず、今後も研鑽を積み重ね、臨床の現場で常に「目の前の1人」に向き合い続ける医師を目指していく。


令和7年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

野尻 海斗

私は、ご献体いただいた先生の名前を存じ上げない。無論である。これは先生の個人情報であり、保護すべき秘密である。解剖実習の初日、このことを教員から知らされ、納得とともに一抹の悲しみが生まれた。私は先生の名前を呼ぶことが許されていない。一カ月半、あるいはこの期間よりもずっと前から覚悟を決めて、我々医学生のためにその身を捧げ、偉大なる貢献をした先生に、私は名前を呼んで感謝ができない。

 実習初日から最終日まで、私はそれが残念で仕方なかった。しかし、これは先生を含め、ご献体くださった方々の純粋な献身の精神を象徴しているとも思う。我々に知らされるのは年齢、性別、死因程度である。それ以外は、解剖して分かることしか知り得ない。我々には先生方がどのようなお方だったか知る術がほぼ無いのである。そのような、身を捧げても名前の一つも呼ばれないような医学生のために、医学への貢献を掲げてご献体くださったのである。この尊さを私は解剖実習を通して心で感じられたように思う


 実習初日に先生のお顔を拝見して、まず抱いたのは感謝の気持ちであった。亡くなられた方のお顔を直に見るのはこれが三度目であったが、悲しみより先に感謝が来たのは初めてであった。その後、解剖実習を進めていく上で様々な思いがわき上がってきた。最も身近でありながら何も知らなかった人体構造をこの目で見て、興味深さはどんどん増していった。メスやピンセットの扱い、人により異なる各種器官の様子、これまでの学習とは一線を画す複雑性を難しく感じ、苛立ちや挫折を感じたこともあった。それでも、怖気付いたことはなかった。日々図書館で予習復習を行い、実習室にて不器用ながらも一つ一つ人体の仕組みを観察していくことで、医学生として成長できているような気がした。

 最終的に私は、先生との学びの中では概ねポジティブに活動できた。人の命を、想いを任されているという緊張感は確かに感じたが、それ以上に自らがこの場に立ち、先生や教員、その他様々な方の協力を受け、命を任される立場に向かっているということへの幸福と感謝を感じていた。そして、この緊張感や思いはこれからも続いていく。今回の解剖実習では、不完全な剖出や個人差などのために、理解しきれなかった部分が多くある。今後も、そして医師となった後でも、今回の経験を基盤として、この不足部分やさらなる知識、技術を理解し、患者のために活かしていく所存である


最後に、この実習を、そして実習に至るまでの事柄を支えてくださったすべての方へ。私は皆様のお力添えのおかげで、このような機会を得ることが出来ました。先生、ご遺族の方々、教員や献体事務員の方々、その他皆様への感謝を忘れず、これからも精進してまいります。本当にありがとうございました。


令和6年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

馬塲幸成

「黙祷!」

 棺に納めたご遺体に感謝の気持ちをこめて、私は最後の解剖実習を噛み締めていた。様々な思い出が脳裏を巡った。

 解剖実習が始まる前夜、会報「筑波しらぎく」に僕は目を通していた。会員のみなさまからの便りの欄に、「お役に立たせていただける日まで、お与えいただいている命に感謝しつつ悔いなく生きています。」という文字。これからご献体を希望されている方の心からのメッセージだった。
 私は、食い入るように次から次へと読み進めた。一人前の医学生だと思えていない自分にとって、そこに並ぶ激励の言葉の数々は、受け止めきれないものでもあった。私は、この激励の言葉をいただくのに相応しい医学生なのだろうか、自問自答しても答えは出ない。捉えどころのない気持ちのまま、浅い眠りについた。そして迎えた解剖実習初日。菊の花が添えられたご体が並んだ解剖実習室に足を踏み入れた。ホルマリンの匂いが漂う解剖実習室で、黙祷をし、先生方からのお話を伺った。そして、ご遺体とご対面する時間となり、緊張感を持って布をとると、そこには安らかに眠られたご遺体がいらっしゃった。

 いざ解剖の時間になり、私の中で、本当にこの方のお身体を解剖していいのかという、強い葛藤が生まれた。そんな時、先生の「最後までご体が先生」という言葉を思い出し、改めて、ご献体下さった方の尊い遺志と学ばせていただくことへの感謝の気持ちを持って、解剖に臨んだ。
 解剖実習では、図面上のみで見たことのあった様々な人体の構造を目の当たりにし、教科書に載っている神経の走行と全く異なる走行が現れることもしばしばだった。先生やチューターの方たちとも深い関わり合いをすることができ、「答えを探すことを目的にしてはいけない」という、解剖学のみならず自身の生き方に繋がる貴重な意見をいただけた。それからは、剖出の手引きから与えられる「答え」に囚われることなく、肥大した前立腺の中から癌を取り出し観察するなど、教科書を超えた学びをすることができた。実習を通して私は、単に解剖の知識を得ただけでなく、「学びとは何か」を考究し、今後の生き方に繋がる多様な視点を手にすることができた。
 
黙祷が終わり、棺に一礼をした。お世話になったご遺体とこれでお別れだ。7年前、父の棺に最後のお別れを言ったときの思い出が重なる。中学2年生の私は、あのとき不安と焦燥感でいっぱいだった。だが、今は違う。私は、日々多くの幸せに囲まれて、立派な医師になる道を歩んでいる。あのときの自分に教えてあげたい、「想像できないような豊かな毎日が君を待ち受けている」と。家族をはじめ、私を大切にしてくれた友人、多様な視点を下さった先生方、そしてご献体下さった方、ここまで自分の人生を豊かにしてくれた多くの人たちに深い感謝の気持ちを感じた。

 夢と希望に満ち溢れながら、私は解剖実習室から一歩を踏み出した。


令和6年度 優秀作

解剖実習を終えて

医学群 医学類 2

菅井 翼


 私がこの解剖実習で一番印象に残っているのは初日にご遺体を見た時だ。白衣と解剖セットを持ち、友達と話しながら解剖実習室へ向かって歩いていたが、白い布に包まれたご遺体が一面に並べられているのを見た瞬間、その異様な雰囲気に圧倒された。その後、ご遺体を包んでいる布をめくるとき、恐怖と緊張で手が震えた。しかし、先生から「系統解剖実習を終えるまで、皆さんの先生はご遺体です」という言葉を聞いて、医学の発展のためにとお体を寄贈していただいたのだから、ただ解剖をこなすのではなく、この6週間の解剖期間は最大限解剖に時間を費やし、ご遺体から少しでも多くのことを学ばせていただこうと決意した。

 この解剖期間はほぼ毎日約4時間の解剖を行い、その後には予習、復習、部活、テスト勉強をこなさなければならず、間違いなくこれまでの大学生活で一番忙しい期間だった。しかし、この解剖期間を乗り越えられたのは、「医学の発展のためにとお体を寄贈してくださった故人・ご遺族の期待に応えたい」「少しでも多くのことを学んで立派な医者になりたい」と初日に決意したからだ。

 また、解剖実習中に何度も感じたことは、人間はひとりひとり異なるということだ。解剖実習を通して、正中神経と吻合した筋皮神経やがんに浸潤され肥大化した副腎など、予習したものとは異なる神経や臓器を何度も目にした。これらは講義やアトラスからは得られない貴重な学びとなった。加えて、アトラスのような紙に描かれた画像やイラストで学ぶより、実物を目の当たりにすることで圧倒的に理解が深まった。今後も人間はひとりひとり違うということを心に刻み、医師となった後には患者の症状だけを見るのではなく、全人的に患者を診られるようになりたいと考えた。

 最後の実習の日、私は近くの花屋で購入した花束を持って納棺式に臨んだ。その時は初日に感じた恐怖心は全くなく、多くのことを学ばせてくださった私たちの先生であるご遺体への感謝の気持ちであふれていた。棺に枕やシーツを敷き、ご遺体を棺に入れ、最後に蓋を閉めるときには、こみあげてくるものを感じた。私は春日4丁目に住んでおり通学する際には毎回慰霊塔の横の道を自転車で通っている。解剖実習をするまでは何のモニュメントか分からず素通りしていたが、今では毎回解剖実習のことを思い返し、心のなかで感謝の気持ちを伝えている。今年のお盆の時期にはもう一度花束を手向け、感謝の気持ちを伝えたい。

 最後になりますが、ご献体いただいた故人やご遺族の方々、解剖の知識を熱心に教えてくださった先生方や先輩方、その他解剖実習に関わってくださったすべての方々に感謝申し上げます。