「記憶の神経回路網理論」


森田 昌彦 (筑波大学・電子・情報工学系)


 脳は巨大で複雑なシステムであり,その情報処理機構を解明するには神経生理学などの実験的方法だけでなく,計算論的モデルによる理論的方法を用いることが不可欠である.しかし,「記憶」についての計算論を展開することにはさまざまな困難があり,これまでの理論的研究は,必ずしも脳の記憶機構の解明に結び付いてはいなかった.しかしながら,最近の理論的および実験的研究の進歩により,徐々に両者を結び付けることが可能になりつつある.本講演では,そのような研究の成果を,なるべく数式を用いず分かりやすく紹介する.
 神経回路網による情報処理の原理は
・アーキテクチャ(回路網の構造)
・ダイナミクス(回路網の状態変化)
・コーディング(情報の表現法)
・学習アルゴリズム(シナプス強度の変化則)
の4つの要素からなる.伝統的な連想記憶のモデルは,これらの要素はいずれも単純で,かつ興味深い性質を持っているため,脳における記憶の基本的モデルとして長く研究されてきた.しかし,このモデルには二つの大きな問題点がある.一つは記憶の能力があまり高くないこと,もう一つは生理学的な知見と本質的な部分で合わない点があることである.
 第一の問題点を探っていくと,ダイナミクスに本質的な原因があることがわかる.これを解消するために考案された非単調神経回路モデルは,第二の問題点も解決できることがわかってきた.また,静止したパターンだけでなく,時間的に変化するパターンの記憶まで考慮すると,脳の記憶原理として妥当なものは非常に限られる.そのような原理に基づいて構成したモデルを示すとともに,それが脳の記憶機構,特に海馬や大脳基底核のはたらきに関して示唆することについて述べる予定である.


参考文献

  1. Morita, M.: Associative memory with nonmonotone dynamics, Neural Networks, vol.6,pp.115-126 (1993).
  2. Morita, M.: Memory and learning of sequential patterns by nonmonotone neural networks,Neural Networks, vol.9, pp.1477-1489 (1996).
  3. Morita, M.: Computational study on the neural mechanism of sequential patternmemory, Cognitive Brain Research, vol. 5, pp.137-146 (1996).
  4. 甘利俊一,酒田英夫編:脳とニューラルネット,pp.127-142,朝倉書店 (1994).
  5. 外山敬介,杉江 昇編:脳と計算論,pp.54-69,朝倉書店 (1997).
※最後の2編は,本講演の内容に沿って比較的平易に書かれています.また,次のWWWページにて全文を公開しています.
http://volga.esys.tsukuba.ac.jp/~mor/paper_list.html


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