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修了生によるショートエッセイ

研究ド素人のアラフォー女、博士課程奮闘記~仕事と子育て、そして親の介護と共に駆け抜けた私の3年6ヵ月~
新田千枝
(2019年度博士修了)

 2019年9月、私は長年の夢だった博士号(ヒューマン・ケア科学)を取得しました。これには多くの先生方、また研究を手伝ってくださった大学院生の皆さん、家族、友人、そして調査にご協力してくださった皆さまの支えのおかげです。本当にありがとうございました。
 謝意を示せたところで、本題に入ります。以下、「研究ド素人の子持ち、仕事持ちアラフォー女がどうやって、このステキな「筑波大学社会精神保健学」研究室にたどり着いて、博士号を手にしたのか?」について記します。単なる一事例に過ぎませんが、博士課程進学を迷っている方、研究室探しをされている方の、お役に立てれば幸いです。

 私の博士号取得への道のりのスタートは、悪路をライトもつけずに非力な車で突っ走るようなものでした。遡ること15年、修士課程修了と同時に出産・育児へ突入し、2歳児を抱えて1度目の博士課程に進学。そこで待っていたのは、重症小児喘息の息子の看病(もちろん、ワンオペ育児)と研究、勉強の両立でした。当時の大学は、ダイバーシティや育児をする女性研究者の支援という考え方は浸透しておらず、博士課程は完全に男社会でした(特に当時在籍していたコースが特別だったのかもしれませんが、研究のミーティングや勉強会は早朝や夜間、深夜に及ぶこともあり、特段用事がなくても院生控室に常駐することが求められ、アルバイトも極力禁止という方針でした)。そのため、私のように育児をしながら、片道100㎞遠方から通学するという学びのスタイルは許容されがたく、いつしか浮いた存在になっていたのだと思います。当然、当時の指導教員から私に向けられた評価も厳しいものでした。結果、「あなたに博士号は無理」と言われました。こうして私は一度博士号取得をあきらめなければなりませんでした。しかし、胸中は「母親となり育児をしながら博士になることは贅沢なことなのだろうか」との悔しさでいっぱいでした。その後、元同僚が次々と学位を取得し、大学教員のポストに就職を決める様子を眺めては、自分自身が不甲斐なく思え、悔し涙を流しました。

 でも、博士がダメならせめて、「心のケアの専門家として誰にも負けないキャリアを付けよう!」と考え必死に働きました。その間の臨床実務の中で、アルコール依存症のケアの困難さ、死亡率の高さなどの問題に遭遇しました。とりわけ、定年退職後にお酒がやめられなくなり、認知症のような状態になり、ただ入院してベッドに横になっているだけの高齢のアルコール依存症患者さんの姿をみて、「何とかできないものか」という問題意識を強く持ちました。「そうだ、これを研究テーマに博士課程にもう一度挑戦してみよう!」と思い立ったのが2015年、幸い息子は8歳に成長し、喘息症状も沈静化しつつありました。しかし、人生2度目の博士課程進学を思い立ってはみたものの、正直どこの大学院に進学してよいかわかりませんでした。少し調べてみても「依存症」というテーマで指導を受けられそうな大学は国内に数えるほどしかありません。そんな中、ふと思い出したのが、修士課程在籍時に児童虐待関連の研究補助をさせていただき、ご縁のあった社会精神保健学分野の森田展彰先生でした。久しぶりにドキドキしながら森田先生に連絡を取ってみると、「ぜひ、一緒に依存症の研究ができたら嬉しい」と、思ってもみない温かい言葉が返ってきたではありませんか!修士論文を書いて以来、研究の「け」の字もしていなかった私に門戸を開いてくださっていることに感謝感激でした。また、久々に研究室訪問をし、森田先生に「子どもは小学生になったのですが、私のような者でも大丈夫でしょうか。」と尋ねると、「全然問題ない。博士在籍中に3人産んだ人もいるぐらいだよ」と笑顔。これまた衝撃でした。そして、私は1度目の博士課程の失敗があったので、「研究室の方針はどのようなものでしょうか。」と伺うと、「うちは、良い意味で方針ないから」と即答されました。また、斎藤環先生と大谷先生とはゼミ見学の際に初めてお会いしたのですが、お二人ともお優しく、アサーティブで的確、思いやりのある指導をされている姿を見て、完全ノックアウトでした。「こんなに熱心に学生のことを考えてくださるなんて!」私は心の中で、「この和やかな雰囲気、なんて素晴らしいんだ!ここなら自分なりのペースで成果を出せるかもしれない、ここで絶対博士号を取る!」と決めました。

 こうして私は2016年、アラフォーにして人生2度目の博士課程へ進学しました。この時私は「もう失敗は許されない、後はないんだ」という覚悟で、以下の4箇条を自分自身に課しました。

「絶対博士号取得のための4箇条」
1. 博士論文研究を進めるための「時間」を確保し、研究活動を生活の中心に据えること。
2. 博士論文研究を進めるための「お金」を確保すること。
3. 博士論文研究を進める中で出会う「人との縁」を大切にし、感謝を忘れずに周囲に「信頼・信用される自分」になること。
4. そして、「3年間」で博士論文を書き終える事。

 これら4つを実践すべく必死にひた走っていると、不思議なもので、研究が上手くいくように力を貸してくださる人、研究の道標を示してくださる人と貴重な出会いがありました。さらに幸運にも学術振興会特別研究員DCに採用され、大学院の学費免除、給料と研究費を得ながら研究を進められる環境を手に入れることができました。また、病弱だった息子も健やかに育ち、シッター代わりになれば…と入塾させた中学受験塾に見事にハマってくれて(笑)、私の平日夜間・土日の勉強時間が確保されました。
 そして、毎週のゼミ参加は、本当に楽しみでした。先生方の指導や他の学生から頂いたコメントはどれも貴重で、これらに対してあれこれ考え、調べ、まとめること自体が、研究を前進させる原動力であったと思います。

 しかし全てが順風満帆とはいきませんでした。博士課程1年目の冬、独居の実父が61歳で若年性認知症を発症し、生活が立ち行かなくなり経済的な支援も含めて全般的なフォローをしなければならず、6ヵ月ほど完全に研究活動を停止せざるをえませんでした。介護ですっかり疲れ果てた私は博士号取得をあきらめかけましたが、ここでも、指導教員の森田先生に「大変なら少し時期を延ばせばいい」と励まされ続けることができました。その後、父に成年後見人を申し立てることで、私にのしかかっていた負担を減らすことに成功し、再び研究活動に戻ることができました。こうして、予定より6カ月多くかかりましたが、2019年9月に、3年6ヵ月で無事学位を取得することができました。多くの人々の支えのおかげで長年の夢をかなえることができました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 「社会人が大学院で博士号を目指す」ことは、現役学生に比べて不利なことが多いと思います。家庭や仕事の事情、自分自身の体力や能力に限界を感じたり、様々な要因で研究へのモチベーション維持が難しくなってしまったり・・・。それでも、この筑波大学社会精神保健学分野には、様々な障壁を乗り越えて学位取得をサポートする体制・環境が整っていると思います。ですので、今現在博士課程進学を躊躇している方がいらしたら、絶対にあきらめないでください。ただ、社会人が博士号取得を目指すにはそれなりの情熱と覚悟が必要なのも確かです。一人ひとり内容は異なると思いますが、先に私が掲げた「絶対博士号取得のための4箇条」のように、学位取得を実現させるための自分なりの行動指針を決めておくと良いと思います。
 真剣に動くならば必ずや助っ人は現れます。

 最後に、どうしてここまで私は学位取得にこだわったのでしょうか。それは紛れもなく、「研究ができる心のケアの臨床家」になりたかったからです。そして、「実際にここまで苦労して学位を取得して良いことがあったか?」という問いに対して・・・もちろん、答えは「YES」。
 今、研究職として「好きなことで生計を維持している」ということが喜びですし、何よりも博士課程のプロセスを経たことで得たスキルや知識、ステキな人たちとの出会いは、何物にも代えがたい貴重な宝物です。

~最後までお読みいただきありがとうございます。この記事を通じて、第一歩を踏み出すことを躊躇している方の背中をそっと押すことができたなら嬉しいです~