活動報告

     

「アルツハイマー病アミロイドβペプチド(Aβ)を分解するシステムの同定」

西道隆臣(理化学研究所脳科学総合研究センター)

 1. 研究の背景
 神経変性疾患全般における最大のリスクファクターは加齢である。したがって、患者数において最大の神経変性疾患であるアルツハイマー病を知ることは、脳老化の本質に迫ることであるといってよいだろう。脳の老化は、その他の組織における老化と異なって、体細胞分裂の低下によって説明できる割合が少ないので、物質代謝のレベルでの品質管理が重要であることは容易に推測できる。しかし、原因と結果の時間的距離が数十年におよぶために、因果関係の樹立は容易ではない。
 この意味で、家族性アルツハイマー病原因遺伝子の同定は、アルツハイマー病における因果関係の樹立に決定的な役割を果たし、「Aβ仮説」の強い根拠となった。また、原因遺伝子変異のフェノタイプの解析の結果、アミロイド生成の異常は僅かであり(通常1.5倍程度の上昇)、僅かな変化が数十年の間に蓄積して、発症に至ることが明らかになった。(アルツハイマー病を理解する上で、この時間のファクターは決して無視できないものであることが、意外に認識されていない。)
 しかしながら、これらの研究の対象となった家族性(優性遺伝する)アルツハイマー病は、全アルツハイマー病患者のごく一部(1%以下)を占めるだけであり、99%以上を占める孤発性(優性遺伝しない)アルツハイマー病の原因は不明である。また、アポリポ蛋白質Eのε4は唯一普遍的でかつ最大の遺伝的リスクファクターではあるが、原因遺伝子ではない。
 孤発性のアルツハイマー病は、基本的に家族性と同様の病理変化を示し、Aβが蓄積するが、Aβ生成が上昇する証拠は得られていない。合成が上昇しないのに蓄積するということは、分解の低下が原因でないかと推測される(図参照)。しかし、Aβの生成系についてはすでに詳細に検討されていたのに対して、分解系については全く分かっていなかった。本研究は、このような背景をもとに開始された。
 また、これまでの成果から、以下のことが明らかになっていた。(1) ある種の中性エンドペプチダーゼがAβ分解の律速を担う(Iwata et al. Nature Med. 6, 718-719, 2000)。(2) 脳内には少なくとも6種類の中性エンドペプチダーゼが存在し、その中でネプリライシンがもっともAβ分解活性が強い(Shirotani et al., J. Biol. Chem., in press (available at http://www.jbc.org/cgi/reprint/M008511200v1)). (3) 脳内の中性エンドペプチダーゼ活性の大半をネプリライシン活性が占める (Takaki et al. J. Biochem. 128, 897-902, 2000)。これらの結果に基づいて、ネプリライシンノックアウトマウスにおけるAβ代謝を検討した。

 
 
  図の説明
Aβ代謝と蓄積
Aβは定常的にアミロイド前駆体蛋白質(APP)から合成され、正常状態では速やかに分解される。合成の上昇、あるいは、分解の低下が蓄積の原因と考えられる。
 

 2.成果
 脳内のβアミロイド分解について、2つの方法で調べた。1つは、放射性多重標識した合成Aβペプチドを脳内に投与し、その分解過程を高速液体クロマトグラフィーで調べる方法である。もう一つは、非常に感度の高い酵素抗体法を用いて、内在性のAβ存在量を測定する方法である。その結果、以下の点が明らかになった。
[1] 放射性標識Aβの分解が、ネプリライシンノックアウトで顕著に減速していた。ネプリライシンが主要なAβ分解酵素であることを示している。
[2] ネプリライシンノックアウトマウスにおいて、内在性Aβの量が約2倍に上昇していた。ネプリライシンが内在性Aβの分解を担うことを示している。
[3] 上記いずれの方法を用いた場合も、ネプリライシン遺伝子が半分だけ欠損しているヘテロのノックアウトマウスにおいて分解の抑制が見られた。脳内Aβの量は、ネプリライシンの遺伝子量に逆相関していた。これは、脳内のネプリライシン活性が部分的に低下するだけで、Aβの量が増加し、蓄積が促進されることを意味する。
[4] ネプリライシンノックアウトマウスの脳内におけるAβ含量は、海馬でもっとも高く小脳でもっとも低かった。これは、アルツハイマー病の病理像とよく相関する。さらに、McGeerら(University of British Columbia)が我々の成果に基づいて、アルツハイマー病患者の脳においけるネプリライシンの発現を検討したところ、特に海馬で発現が低下していることを見いだした報告ともよく一致している。

 3.今後への期待
 加齢に伴う脳内のネプリライシンの活性あるいは発現の低下がβアミロイドの量を上昇させ、アルツハイマー病を引き起こす可能性があることが示唆された。今後、以下のような発展が期待される。
[1] 新たな遺伝的危険因子の予測
ネプリライシンの遺伝子発現は、組織特異的に制御されている。神経細胞はタイプ1のmRNAを発現しているので、この発現制御に関わる遺伝子領域における変異や多型はアルツハイマー病の発症リスクに影響を与えると推測される。
[2] 危険因子の同定と除去による予防
ネプリライシンの発現や活性を低下させるものは危険因子となり得る。これらを同定し、除去することによって発症のリスクを抑えることができる。
[3] 活性あるいは発現の制御による発症の抑制
遺伝子治療あるいは遺伝子転写制御によって、脳内のネプリライシンの発現を選択的に上昇させることが出来れば、孤発性アルツハイマー病だけでなく家族性アルツハイマー病の発症を抑制することが出来ると期待される。
[4] 発症前診断
脳の老化に伴ってネプリライシンの発現が低下するならば、その存在量を定量する事によって各個人の発症リスクを事前に予測することが出来ることが期待される 。

 4.おわりに
 「生体内における個々の蛋白質の固有の寿命はどのようにして決定されるか?」という問いは、実は、日本のプロテアーゼ研究者が数十年にわたって取り組んできた命題である。したがって、本研究は、この生化学の伝統的命題に対する解答を得るための努力の一環でもある 。