活動報告


     

「運動前野の細胞活動は動作企画に必要な情報の統合を行う
丹治 順 (東北大学・大学院医学研究科・生体システム生理学・教授)

 【研究の背景】
 霊長類の大脳前頭葉には多数の領域があって、行動の発現と動作の選択ないしは運動の制御に関与すると考えられている。最近の脳機能画像法ないしは脳活動イメージング法の進歩によって、行動制御の諸局面において、多数の前頭葉領域のどこが顕著に活動するかに関する知見が増加しつつある。しかし、より具体的に、行動決定や動作選択におけるどの時期に、いかなる活動変化によって情報の処理・変換が行われているかについての知見は、未だ殆ど得られていないし、それらの知見は脳活動描画法では得ることはできず、細胞活動の解析による他はない。今回の一連の研究は、前頭葉の多数領域における細胞活動解析をおこない、動作のプログラミング過程において、行うべき動作の決定に必要な要素的情報が、如何に統合されるかを明らかにしたものである。

 【今回の研究】
 ヒトを含む霊長類の動作は極めて複雑多岐にわたる。特に上肢の動作においては、動作の対象物に向かって直接アクセスする必要性から、その空間的制御の複雑性が増すことになる。動作の実行時において、正確に対象に到達する動作実行時の制御機構にも精密なコントロールは要求される。しかしそれよりも興味深いのは、その実行以前に動作の企画をする過程である。
 眼前にある物体をキャッチするべく、その物体に対して腕を伸ばし、手で捕らえる動作を考えてみよう。その動作を行おうとするときに、まずどの物体に対して、どちらの(右か左かの)腕を使って動作するかを決める必要がある。それらを決める時に、脳はそれらの決定に必要な情報を、知覚情報ないしは記憶情報から獲得し、次にそれらの情報を組み合わせて、行うべき動作の情報に変換することを行う。動作の企画をする段階では、動作対象の空間的な位置と、動作に使用する体部位の情報が統合される必要がある(例えば、左方向のターゲットに向かって、右腕を使って動作するというように)。
 動作のプラン形成に必要な上記の過程、すなわち要素的な情報の獲得と、複数の要素的情報の統合は脳のどの部位で、どのように行われるであろうか。それらの過程は大脳の前頭前野、運動前野、一次運動野の細胞活動に、どのように反映されるであろうか。この疑問に答えるために、以下の実験研究を行い、興味深い発見があった。
 実験モデルとして、4種類の動作を設定した(図1)。(1)右腕で前方右のターゲットを捕捉する、(2)左腕で右方のターゲットを捕捉する、(3)右腕で左方のターゲットを捕捉する、(4)左腕で左方のターゲットを捕捉する、のいずれかである。動作決定に必要な要素的情報は全て視覚情報として与えた。実験にはニホンザルを用いた。初期条件として、スタート点に手を置き、眼前のスクリーンに出現するスポットを固視して、指示を待つ状況を設定した。次に(1)動作のターゲットあるいは(2)動作に使うべき腕(右又は左)という2種類の要素的情報を、2段階の視覚信号によって与えた。スクリーン中央の固視点が青色に変化したときは(1)を、緑色のときには(2)を意味し、右・左の区別を示すために、色表示された固視点の右又は左に白色の正方形を、指示信号として提示した。2段階で継時的に与えた指示信号は0.5秒ずつで、その後それぞれ遅延期間を置き、数秒後に動作準備の警告信号を、さらにその1秒後に動作開始信号を与えた 。


図1.
A.研究に使用した作業課題。行うべき動作の情報を2段階に分けて与え、使うべき腕の情報→動作のターゲットの順(上段)か、その逆順(下段)に指示した。指示信号は中央の青ないし緑の図形と、その右又は左側の正方形の位置で構成した。 B.指示信号に従って計画するべき動作は、4種類であることを示す。 C. 記録解析部位のうち、特に興味深い細胞活動の得られた運動前野の位置をサル大脳の表面図に示す。AS,主溝;CS,中心溝;SPS,上前中心溝;Sp,弓条溝の棘。

 上記の課題を正確に遂行している際に、大脳皮質の多数の領域から細胞活動の記録・解析を行った。当初は前頭前野の細胞活動に着目し、その活動特性を調べた。指示信号に対する反応が注目されたが、前頭前野の細胞応答の多数は、指示信号がスクリーンの右又は左に出現したという、視覚的情報を反映するか、あるいは中央の信号の色または形態を反映するものであった。つまり前頭前野では、視覚情報の時間的連鎖をモニターすると解釈される活動を行っていたことになる。次いで、腹側の運動前野を探索したが、細胞活動の特性は前頭前野のそれに近似していた。
 本研究において最も興味深かったのは背側の運動前野における細胞活動であった。第1の指示信号に対する細胞応答を調べたところ、それは単なる視覚応答ではなく、すでに@ターゲットはどちらかを表現するか、あるいはA使うべき腕はどちら側かを表現していた。さらに、第2の指示信号に対する応答の半数は、@とAの両者の情報を合わせ持っていることが判明した。すなわち、どちら側の腕を用いて、どのターゲットに向かって腕を伸ばすかを表現することが明らかとなった(図2) 。


図2.
行うべき"アクション"を表現する細胞活動。運動前野背側部で観察された典型的な例の活動を時系列的に点表示したもの。細かい点は細胞が発火した時点を示し、横1列は1回の作業課題遂行時に対応するので、aからhまでの8種類の条件下における各々10回の課題遂行における細胞活動の時間経過がまとめられている。RA, LAは各々右腕、左腕を意味する指示信号の出現時点を示し、RT, LTは右・左のターゲットを意味する指示信号を示す。この細胞は、使うべき腕が右で、左のターゲットを捕捉するという指示によって、企画するべき動作が決まった時点で、著明に活動が高まっている。細胞の活動時期は、動作自体の開始点(右端の小四角で図示)よりもずっと先行している。

 以上の実験結果は、動作を決定することに必要な空間的ターゲットと、用いるべき体部位の情報という,2種類の要素的情報が運動前野で統合され、動作の企画段階において、行うべき動作の情報として用意されている事を意味する。そのような特性を示す細胞活動は、前頭前野では少なく、また一次運動野では全く観察されなかった。大脳皮質内側の捕捉運動野にも、そのような活動は観察されなかった。
 今回の研究によって、行うべき動作を決定し、企画するという機能を行うに際して、視覚系から得られた認知情報が、どのように獲得され、統合されて、動作情報に変換されるかという過程が、大脳前頭葉における多数の領野において、どのように進行するかという実態が、細胞活動の特性の変遷として具体的に解明されたといえよう 。