活動報告

     

「虹彩細胞から視細胞特異的表現型への分化誘導」

高橋政代(京都大学・附属病院・探索医療センター)

 1. 研究の背景。
 近年、再生医療実現にむけての研究が様々な臓器を対象に行われている。対象臓器のひとつとして眼球があり、前眼部(角膜、水晶体)についてはすでに古くから機能を再生させるための移植が行われている。すなわち、混濁した角膜あるいは水晶体の代わりに提供眼からの角膜や人工レンズを移植して透明性を回復し視機能を再生させることが可能となっており、非常に早くから再生医療が行われている臓器とも言える。(もともと再生は内在性の組織幹細胞が自ら修復するものであり私自身は移植が再生医療と呼ばれることに抵抗を感じるが昨今の風潮や事情で「再生」と標榜せざるを得ないので機能再生という言葉を使用することにしている。)
 しかし、後眼部と呼ばれる網膜疾患ははるかに遅れをとっている。中枢神経である網膜は障害されると再生することがなく、現在の失明原因のほとんどは不可逆的な網膜障害に帰結する。網膜の機能を回復させるためにヒトでは胎児網膜細胞の移植がいくつかの網膜疾患に対し行われているが、例え効果があがろうとも患者ひとりに対して数体の胎児網膜を同時に必要とする移植は倫理的あるいは量的な不足と言う問題を解決することはできず、一般的な治療とはなり得ない。そこで、胎児網膜に変わる細胞移植源として培養によって増やせる神経幹細胞あるいは前駆細胞が注目されている。
 我々は過去に留学先のSalk研究所Gage研究室で培養されていた成体ラット海馬由来神経幹細胞を網膜に移植し、良好な生着と分化を得ることを世界に先駆けて観察することができた。生着した細胞の中には網膜固有の神経細胞と酷似した形態を持つ細胞もあったが、外的環境としては最も網膜神経の分化に適していると考えられる胎児網膜の器官培養を宿主としてレチノイン酸で前処理して最も成熟神経に分化しやすい状態にした神経幹細胞を移植しても網膜固有の神経マーカーを発現する細胞は得られなかった。他にも胎児網膜との供培養やペレット培養など試みたが網膜細胞、特に疾患の治療に必要な視細胞を得ることはできなかった。
 これらの結果を脳由来の神経幹細胞の限界を示すものと考え、眼球由来の細胞から視細胞を得ること、しかも臨床的に倫理的問題と拒絶反応の問題をクリアすることができるように本人から採取可能な細胞ということで虹彩上皮細胞に注目して視細胞への分化誘導を試みたのが先の論文である。

 2. 実験の概要
 虹彩に着目した理由は三つある。まず第一に虹彩色素上皮細胞は神経網膜と同じ眼杯内層から生じ、視細胞と発生起源を共有していること、第二としてイモリでは虹彩色素上皮細胞からレンズが再生されるなどもともと分化転換能に優れた細胞として知られていたこと、そして第三として虹彩は周辺虹彩切除術によって自己組織が安全確実に採取できることである。

1) 虹彩から視細胞特異的表現型を誘導する
 成体ラットの虹彩組織を塩基性線維芽細胞増殖因子存在下の無血清培地で培養すると、多くの細胞が増殖してくる。この虹彩細胞を神経分化誘導条件下に移行させて3週間培養を続けると神経細胞のマーカーであるニューロフィラメント200を発現する細胞が観察された。しかしこの培養条件下では視細 胞蛋白であるロドプシンやリカバリンを発現する細胞は全く認められなかった。
発生時における網膜神経前駆細胞からの視細胞への分化は外的因子だけでなく、内的因子によっても制御されている。これらの内的因子のうちCrxは視細胞の発生と機能維持に重要な役割を示すホメオボックス遺伝子である。そこで虹彩細胞にCrxを遺伝子導入することにより視細胞を誘導できるかを検討した。
 まずアデノウィルスベクターを用いてCrxを虹彩細胞に遺伝子導入し、神経分化誘導の培養条件下に移行して引き続き3週間培養を行った。免疫細胞化学的解析により視細胞特異的蛋白であるロドプシン(10.6%)や視細胞蛋白であるリカバリン(11.8%)を発現する細胞が認められた。しかし同様にしてコントロールのGFP遺伝子を虹彩細胞に導入したときには、これらの視細胞蛋白は全く認められなかった。
 アデノウィルスベクターによるCrx遺伝子導入では視細胞蛋白を発現する虹彩細胞は分裂細胞由来であるのか、分裂を完了した分化細胞由来であるのかが判別できない。そこで分裂細胞にしか遺伝子導入されないレトロウィルスベクターを用いてCrxの遺伝子導入を試みた。レトロウィルスベクターを用いてCrxGFP遺伝子を同時に虹彩細胞に強制発現させると、GFP陽性細胞の96%で視細胞特異的蛋白であるロドプシンの発現が検出された。一方、同様にしてコントロールのGFP遺伝子のみを強制発現した虹彩細胞ではロドプシンの発現は全く得られなかった。このことからこの培養条件下では視細胞特異的蛋白の発現にはCrxが遺伝子導入される必要があることが分かる。またレトロウィルスは分裂細胞にしか遺伝子導入されないため、Crx遺伝子導入前に虹彩細胞を増殖させれば、視細胞の移植源として細胞を増幅できる可能性もある。

2) 海馬の神経幹細胞から同様の方法で視細胞特異的表現型は誘導できない
 先に書いたGage研究室の成体ラット海馬由来の神経幹細胞は自己複製能と多分化能を有することがしっかりと証明されたクローン細胞である。虹彩と同様にして、この海馬由来の神経幹細胞にCrxを遺伝子導入することにより視細胞を誘導できるかを検討した。アデノウィルスベクターを用いて海馬由来神経幹細胞にCrxを遺伝子導入し、神経分化誘導条件下に移行してもロドプシンを発現する細胞は全く得られなかった。コントロールのGFP遺伝子を海馬由来神経幹細胞に導入するとGFPを発現する細胞は観察されることから、この培養条件下では海馬由来の神経幹細胞はCrxに応答することができないと考えられる。虹彩色素上皮細胞は発生学的に神経網膜と同じ眼杯内層に由来するため、虹彩細胞のみがCrxに応答して視細胞蛋白を発現できるのかもしれない。

 3. 臨床応用をめざして
 この論文の実験をすすめている最中、アメリカから毛様体上皮細胞に網膜神経幹細胞が存在するという論文がscienceに発表された。我々と着眼は同じで眼杯由来の細胞である毛様体上皮細胞からロドプシン陽性細胞を得たというものであった。その論文と比べて我々の成果は虹彩という実際患者本人から容易に採取できる組織を使ったこと、遺伝子を導入することによって高率にロドプシン陽性細胞を得ることができたことが臨床応用に一歩近付いたと評価されたと考える。
 虹彩から得られたロドプシン陽性細胞が視細胞としての機能を有しているか、また網膜に移植した場合に宿主細胞とシナプスを作りネットワークの一員として機能するのかなど、臨床応用するためには明らかにしなければならないことも多い。また、視機能を回復するためにはまだ細胞数が足りない。しかし、虹彩組織は周辺虹彩切除術により視機能に影響することなく、安全確実に自己組織を採取することができる。そのため、虹彩から得られた細胞が移植後も視細胞として機能することが確認できれば、将来拒絶反応のない視細胞の自家移植も可能になるだろう。臨床にたずさわる者としてこの研究と実際の治療までの距離は一番良くわかる。数年前までのように無限の彼方ではないがすぐそこというわけでもない臨床応用に向けて少しずつ進めていくより他ない。

 謝辞 
 本研究は小阪美津子先生(JST PRESTO研究者)、斉藤泉先生、斉藤裕美先生(東京大学医科学研究所)、影山龍一郎先生(京都大学ウィルス研究所)らの研究室との共同研究として行われたものであり、感謝の意を表します。