活動報告

     

「内在性神経前駆細胞による虚血損傷後の海馬錐体ニューロンの再生と脳機能回復」

中福雅人(東京大学・大学院医学系研究科・神経生物学)

 このニュースレターの読者の中には、昨今の「再生医学」なる用語の氾濫に思わず眉を顰めたくなる方々も多かろう。特に、先端脳研究班には疾患研究に携わる臨床家が多数参加されており、最近のマスコミ報道に踊る「夢の再生治療」には懐疑的な見方をされる方が少なからずいらっしゃるはずである。
 神経再生の研究は、前世紀の巨人Cajal以来の長い歴史をもつ、神経科学の重要なテーマのひとつである。また、多数の神経疾患罹患者を抱える我が国では、脳を再生させるような画期的治療法の開発が切実・急務の課題である。にもかかわらず、多くの研究者が「脳の再生医学」に疑問符を付けて論ずるのは、その期待の大きさとは裏腹に、現時点では科学的な根拠に乏しく単なる希望的観測に過ぎない事柄が、あたかも証明されたかのように世に流布していることが最大の理由であろう。
 1980年代以降、神経栄養因子、遺伝子治療、そして最近の細胞死抑制薬と、神経疾患の治療にむけた先端的な取り組みは幾度も大きな転換を見せてきた。いずれも動物モデルでは驚くほどの成果をあげ、「夢の治療」ともてはやされた一時期があった。にもかかわらず、実際にヒト疾患に応用され成果を挙げている例は皆無と言ってよい。この厳しい現実から目を逸らすことは出来ないのである。脳の再生医学に関する研究もまた同じ道を歩む危機を潜在的に孕んでいることを、多くの研究者が危惧していると考えられる。再生医学が果たしてまっとうな学問たりうるのか、さらに将来実際の治療にまで発展しうるのかは、研究に対する気運や期待の高まっているここ数年の展開にかかっているとも言える。
 本欄にそぐわない文面からこの稿を始めたのは、我々が最近発表した論文を紹介するこの一文を、このような再生医学を取り巻く現状を再確認した上で読んで頂き、ご助言、ご批判を仰ぎたいが為である。

 1.研究の背景
 前置きはさておき、損傷神経組織の再生は臨床神経科学の大きな夢であり、基礎神経科学の重要な課題である。しかし、Cajal以降今日まで1世紀にわたって、「ヒトを含めた哺乳動物の中枢神経組織においては、損傷後に有意な自己修復・再生は無い」とされ、また再生を誘導する具体的な手だてが決定的に欠けていた。しかし、この長く世に流布してきた考えを覆す知見が、ここ数十年の間に次々に報告されてきた。中でも状況打破の大きなきっかけとなったのは、1992年のWeissらによる神経幹細胞の同定であろう。この発見は、損傷で失われたニューロンそのものを再生させうる具体的な可能性を広く認識させることになった。
 一般に神経幹細胞とは、分裂によって自己複製を繰り返す能力と、中枢神経系の主要な3種類の細胞系列であるニューロン、アストロサイト、オリゴデンドロサイトのいずれにも分化しうる多分化能を併せもつ細胞と定義される。幹細胞の定義については、研究者によって若干考えが異なることに注意が必要で、上記のような定義をした場合でも、ひとつの幹細胞が全ての種類のニューロン・グリアへと分化しうるとするか否かは、意見が分かれる。また、「幹細胞」なる用語が流布するにつれて、増殖・分化能を有する細胞を全て幹細胞と称する風潮があるが、それは誤りである。例えば成熟個体の脳内には、幹細胞と比較して増殖能や分化能の点でより制限された、いわゆる前駆細胞が多数存在する。本稿では、幹細胞およびこれら前駆細胞を総称して「神経前駆細胞」と呼ぶことにする。幹細胞であれ、その他の前駆細胞であれ、障害によって失われたニューロン、グリアを新たに生み出すためのソースとなることが、再生医学では期待されている。
 現在、神経前駆細胞を用いた再生療法としては、大別して2種類のアプローチが模索されている。そのひとつは、その増殖能を利用して大量培養し、これを損傷組織内に導入する、いわゆる移植療法である。現在、このアプローチは特にパーキンソン病、脊髄損傷等を対象として盛んに研究されている。移植用の神経前駆細胞のソースとしては、胎児あるいは成体の神経組織の他、最近では全能性を有するES細胞や骨髄間質細胞などの非神経組織由来の細胞の利用が提唱されており、再生医学のホットトピックのひとつとなっている。
 一方、胎児の神経幹細胞の同定に引き続いて、ヒトを含めた様々な動物種の成体脳内にも同様の性質を示す細胞が存在することが確認された。すなわち、成熟個体の神経組織が新たなニューロン・グリアを生み出す潜在的な能力を保持していることが明らかになったのである。とすれば、損傷によって失われたニューロンを再生させるために、この成体に内在する神経前駆細胞を利用するアプローチが考えられる。今回の我々の研究目的は、このアプローチが果たして何処まで可能なのかを、虚血脳損傷モデルを用いて検証することにあった。

 2.研究結果
i) 全脳虚血による海馬ニューロンの障害
 共同研究者である東大・脳神経外科の桐野らのグループでは、スナネズミおいて一過的に脳全体の血流を遮断するいわゆる全脳虚血の状態を誘導すると、海馬に特異的な細胞死、すなわち遅発性神経細胞死が誘導されることを、今からちょうど20年前に見出していた。この現象はラットなどの齧歯類に共通して観察され、また一過的心停止後のヒト脳で観察される海馬損傷に類似性が高いことから、脳卒中のモデルのひとつとして、その後多くの研究がなされてきた。その特徴は、海馬の中でも特にCA1錐体ニューロンが、選択的にしかも極めて再現的にゆっくりとした細胞死に陥ることである。我々は、海馬は形態的・電気生理学的な解析が容易であること、また記憶・学習と言った脳機能との関連が明らかであること等の利点に着目し、この一過性全脳虚血モデルを用いて再生誘導療法の可能性を探ることにした。
ii) 虚血損傷後の海馬錐体ニューロンの再生
 我々のラットモデルでは、6分間の一過性全脳虚血の誘導後7日目に観察すると、海馬CA1錐体ニューロンはほぼ完全に死滅している。ところが、同様の虚血損傷を誘導した個体を28日目に観察すると、CA1ニューロンの数が7日目と比較して僅かではあるが有意に増加していた。そこで、虚血誘導後のラットにDNA合成の基質であるチミジンのアナログであるBrdUを投与することで、脳内で分裂する神経前駆細胞を標識した。その結果、損傷後28日目のCA1には多数のBrdU陽性細胞が観察され、その一部がニューロンに分化していることが判明した。
 一方、我々はこの研究以前に、海馬近傍の脳室周囲組織には神経前駆細胞が多数残存していることを突き止めていた。正常個体では、これら前駆細胞はそのほとんどが休止期の状態で眠っている。しかし、虚血損傷後2-5日目にはこの脳室周囲の前駆細胞が一過的に活性化され、増殖することが明らかになった。そこで、この時期に一致して、前駆細胞に対する増殖因子であるFGF-2およびEGFのカクテルを、脳室内に浸透圧ミニポンプを用いて投与した。その結果、虚血後7日目の細胞死はまったく抑制されていないにもかかわらず、28日目にCA1領域に観察されるニューロンの数が著明に増加し、失われたニューロンの約40%にまで達していた。これらが脳室周囲の神経前駆細胞に由来する再生ニューロンであることは、BrdU、DiI、GFP発現レトロウイルス等を用いた前駆細胞の標識実験によって証明された。
iii) 再生ニューロンによる神経回路の再構築
 次に、再生ニューロンの性質を形態学的、電気生理学的に解析した。再生CA1ニューロンは、損傷後も温存されているCA3ニューロンからのSchaffer側枝とシナプスを形成していることが、電子顕微鏡観察によって確認された。また、この再生シナプスはグルタミン酸作動性のシナプス後電位を発生し、テタヌス刺激に応答してLTP様の可塑的な反応を示した。さらに、正常CA1錐体ニューロンの主要な投射先である海馬台にFluoroGoldを注入した個体では、再生CA1ニューロンの多くが逆行性に標識された。以上の結果から、虚血後に新生したニューロンは正常なCA1錐体細胞に近い性質・機能を有し、一旦損傷によって失われた海馬内の神経回路を再構築していることが確認された。
 最後に、海馬の関与する脳機能のひとつとして知られる空間学習・記憶能について、Morriisの水迷路テストを用いて検討した。一過性全脳虚血後のラットは、CA1ニューロンの脱落が完全となる損傷後7-11日目には、空間学習能の明らかな低下を示した。また、同様の個体を損傷後49-53日目にテストすると、空間認知に絡む記憶の長期保持の能力が著しく低下していた。一方、虚血損傷後に脳室内に増殖因子を投与することでニューロン再生を誘導した個体では、損傷後7-11日目にはニューロンの脱落や脳機能の低下に差がないにも関わらず、損傷後49-53日目には学習能および記憶の長期保持能力ともに著しい改善が認められた。

 3.研究の意義と今後の展望
 本研究の最も大きな意義は、成体脳の潜在的な再生能力を明らかにしたことである。さらに、脳室内への増殖因子投与という比較的簡単な手法を用いて、この能力を人為的に高めることが可能であった。虚血損傷によって失われる海馬ニューロンを少なくとも40%程度は再生させうるという結果は、脳のもつ潜在的な再生能力が従来の予想を遙かに超える大きなものであることを意味している。
 さらに強調するべき点は、再生ニューロンが損傷によって失われたニューロン(この場合はCA1錐体ニューロン)と極めて類似した性質を示し、機能的な神経回路の再構築に寄与しうることである。増殖因子の脳内投与は、ニューロン再生以外に様々な反応を惹起しうる可能性がある。従って、本研究の結果だけからは、学習・記憶機能の改善に再生ニューロンがどの程度寄与しているかを正確に判定することは出来ない。しかし、他の一連の結果とあわせて、新生ニューロンが脳機能の回復に関与している可能性は大きいと我々は考えている。
 本研究によって、成体脳の神経前駆細胞が再生能をもつことが明らかになった。様々な臓器・組織の幹細胞(いわゆる体性幹細胞)の生物学的な定義のひとつとして、損傷後の再生能を挙げる考え方がある。その意味で、神経幹細胞はその発見以来、この再生能に関する知見が欠落しいたために、厳密な意味で「幹細胞」とは見なされてこなかった。本研究の結果、神経幹細胞はこの点でも血液、表皮、腸管上皮といった他の組織の幹細胞と肩を並べるに至ったと言うことが出来る。
 そのような生物学的な意義とは別に、再生医学という応用面から見ると、今後明らかにされなければならない点は数多い。今回の研究では、特に海馬CA1ニューロンに焦点を当てて解析した。では、他のニューロンについてはどうであろうか?我々は同じ虚血損傷ラットの海馬において、歯状回の顆粒細胞や介在ニューロンが再生することを観察している。また、強い虚血損傷後には大脳皮質や線条体のニューロンも一部脱落するが、これらの少なくとも一部はやはり再生していた。従って、成体脳内の前駆細胞は、様々な種類のニューロンを再生する能力を保持していると考えられる。その能力がどれほどのレベルで、人為的な操作によってどれ程高めうるかは、今後の研究課題である。また、ニューロンだけでなく、脱随などのグリア細胞の変性・脱落時における再生は、現時点では不明である。さらに、虚血以外の様々な病態、特に長期間にわたってゆっくりとニューロンの脱落が進行する神経変性疾患や痴呆性疾患の場合に、今回我々が提唱した前駆細胞活性化による再生誘導療法がどこまで有効か、今後様々な動物モデルを用いた検討が必要である。いずれの場合も、有効な再生誘導法の開発を目指すための前提は、正常脳内ではそのほとんどが休止期にあると考えられる神経前駆細胞を活性化するとともに、その増殖・分化をコントロールする為のロジックを我々が理解することである。その為には、成体内の神経前駆細胞の性質について、今後分子レベルで詳細に解析していく必要がある。

 4.おわりに
 最後に、先端脳A01班のテーマである発生学の重要性をここで改めて強調しておきたい。今回我々が海馬ニューロンの再生誘導に成功したのも、発生過程を解析する過程で、海馬周囲の前駆細胞の局在や性質についての知見を蓄積していたからこそである。筆者の個人的で極端な印象として、従来の神経再生に関する研究には、「入れました。直りました。」という類の短絡的な内容があまりにも多く、そこには基本的なbiologyの視点が欠落していたのではないかと思う。その意味で今回の研究では、前駆細胞の局在や損傷後の挙動といった、再生現象のbiologyを捉えることに重きを置いて進めてきた。しかし、未だ我々が知り得たことは氷山の一角に過ぎないことが実感される。いわんやヒト疾患への応用となると、まだまだ遠い先の話である。「再生を発生と並べて論ずる」というCajal以来の夢に少しでも近づくことが、今の大きな目標である。
 余談になるが、本研究の主要な担い手は、脳外科の臨床を7年経験し、現在の治療法に限界を感じて基礎研究の世界に飛び込んできた大学院生の中富浩文君(現Mayoクリニックレジデント)であった。彼に「再生を研究したいならまず発生をやりなさい」という筆者の研究室のドグマを、「果たしてうまくいくのか?」と心の中では疑問符付きで話して聞かせた、それが全てのきっかけであった。そして、彼の情熱に応えるべく、同世代の栗生俊彦先生(東京医科歯科大・岡部先生の研究室)努力してくださった成果でもある。2002年は海馬遅発性神経細胞死の発見から20年、神経幹細胞の発見からは10年目に当たる。筆者は個人的に、節目に当たるちょうど今年、ささやかな目論見が若い力のおかげで成功したことを喜び、感謝している。
尚、本稿で紹介した研究内容は、東京大学医学部・脳神経外科の桐野高明、川原信隆、東京医科歯科大学医歯学総合研究科・細胞相関機構学の岡部繁雄、栗生俊彦、帝京大学医学部・脳神経外科の田村晃の各先生との共同研究で行われたものである。