活動報告

     

「前頭眼野後部領域は3次元空間における眼球運動信号をコードする」

福島菊郎(北海道大学・大学院医学研究科・統合生理学講座認知行動学分野)

 1.研究の背景
 
両眼視機能を備えた霊長類では網膜に視力が極めてよい部分が発達した。霊長類が視覚対象物を見つめた場合、その倒立実像はこの中心窩に結ばれる。中心窩領域はヒトでは視角にして約1.6°で非常に狭く、それからわずか数度ずれるだけで視力は極端に低下する。そのため3次元空間からの視覚情報を適切に取り込むためには、正確な眼球運動を行って空間内で意味のある種々の視覚対象を両眼の中心窩に結像させ、捕らえられた網膜像をブレずに保持しなければならない。視覚対象が身近の空間をゆっくり動く場合の随意的追跡眼球運動として滑動性眼球運動(smooth pursuit)と輻輳運動(vergence)の2つの制御系が主に使われる。滑動性眼球運動は、私たちからほぼ等距離の前額面で動く視覚対象を、左右の眼球を同じ方向にsmoothに動かして追跡する共同性眼球運動である。この運動を駆動する視覚入力の主要成分は、視標の網膜上の速度と、それを追跡する眼球速度との差(網膜速度誤差)である。輻輳運動は奥行き方向で位置の異なる対象物からの視覚情報を取り込む場合に左右の眼球を反対方向に動かす運動である。この場合の視覚情報は両眼視差と呼ばれ、視覚対象の両眼網膜への投影部位と左右眼の中心窩との距離に対応し、網膜像の位置情報になる。これまでの研究では、滑動性眼球運動と輻輳運動は網膜に投影される視覚情報の異なった成分を使い、脳内の異なった領域が個別に処理し、それぞれの運動指令も脳内の異なった領域で処理されて脳幹の最終出力の段階で両運動指令が統合されることが報告されてきた1)。この“個別処理”の定説は19世紀後半のドイツでのHelmholtzとHeringとの歴史的大論争に遡る2。脳がどのようにして左右眼の協調運動を制御するかについてHelmholtzは、脳は本来、左右眼を個別に制御し両眼の協調運動は生後獲得されるものであるという仮説を立てた。これに対しHeringは、脳は生得的に両眼に対して、同一方向(共同性眼球運動)あるいは反対方向(輻輳運動)の同一の指令信号を左右眼に送るという仮説を提唱した。例えば左の目線上を視覚対象が近づくとき左眼は動かない(図1a)。これは輻輳運動指令と共同運動指令が逆方向になるため相殺される結果であると説明した。この見事な説明により、Heringの仮説はHeringの法則(1868)として、その後、今日まで神経学の教科書の定説になっている1,2
 滑動性眼球運動の発現には大脳皮質の広い領域が関わる1)。網膜上の視覚対象の速度情報は視覚野からMT野(middle temporal area)およびMST野(middle superior temporal area)を経、一部は直接に、橋核(背外側橋核)を経て小脳片葉領域へ投射し、脳幹の神経積分回路を経て外眼筋運動ニューロンに出力される。他は、前頭葉眼球運動関連領域(前頭眼野後部領域、補足眼野)を経て橋核(背外側橋核、橋被蓋網様核)に至り、橋被蓋網様核からは小脳虫部・室頂核を経て、前庭神経核に至って脳幹回路に合流する。輻輳運動の経路は未だに確定していない。滑動性眼球運動の回路の中の複数の領域で輻輳運動応答ニューロンが報告されているが、滑動性眼球運動応答ニューロンと輻輳運動応答ニューロンは異なることが報告され、前頭眼野でもこの2種類の眼球運動の制御には異なる部位が関わることが報告された13。ただしMST野では広い視野に視覚パターンを提示しそれを、前額面で急速に動かした場合の反射性共同性眼球運動(ocular following、追従眼球運動)に応答するニューロンの一部が、同様の視覚パターンを奥行き方に動かしたときの反射性輻輳運動にも応答することが報告された4
 日常生活では、例えば自分が歩きながら身近に歩いている人の表情を読みとれるように滑動性眼球運動は、視線(空間内眼球)運動として実行される。従って前頭眼野の役割を理解するためには、前頭眼野が随意的な視線運動の際に実際にどのような信号を持つかをまず明らかにしなければならないという観点から、本研究者らは頭部を固定したニホンサルを訓練し、滑動性眼球運動課題だけでなく前庭回転刺激も用いて眼窩内眼球運動と視線運動を乖離させて前頭眼野後部領域の滑動性眼球運動ニューロンの応答特性を調べてきた。その結果、大多数(約7割)は視線運動の速度に応答し、その最適応答方向は滑動性眼球運動の最適方向と一致し、全体としてあらゆる方向が前頭眼野後部領域で再現されていることを明らかにした5。また2個の視標を用い、静止させた1個をサルに固視させ、他方を種々の方向に動かし眼球運動を起こさせずに視覚応答を調べた結果、これらニューロンの過半数は網膜上の視標の運動方向と速度情報を備えていることを明らかにした5。さらにこれらニューロンは、予測的な滑動性眼球運動と対応して応答するだけでなく、静止視標の固視中に第2の視標運動に対する予測性の視覚応答も示すことが明らかになった6。滑動性眼球運動と輻輳運動では、身近の空間内を視覚対象がゆっくり動く場合に、視線運動と予測を効果的に使うという共通要素をもつため、両眼球運動系の統合が前頭葉で起こっている可能性を考えて本実験を行ったところ、以下に示すように、前頭眼野後部領域が3次元空間での眼球運動信号の形成に重要な役割を果たすという新しい結果を得た7


図1.前頭眼野後部領域ニューロンの滑動性眼球運動と輻輳運動に対する応答と両応答の線形加算。a, e:視標呈示の模式図。b, c: 輻輳運動と水平滑動性眼球運動に対する平均化した応答。c:左目線上の非対称性輻輳運動における滑動性眼球運動と輻輳開散運動応答の線形加算。d:個々のニューロンにおける実際の応答と線形加算から得られた予測値との比較。f:仮想視標を用いた時の奥行き方向と前額面での応答と仮想空間での最適方向の応答と線形加算による予測される応答。文献7)。説明本文。

 2.研究の概要
 頭部を固定された2頭のサルの眼前には垂直と水平の2種類のスクリーンが提示され、スクリーン上のレーザースポットを目で追跡するよう訓練されている。垂直スクリーンを用いて前頭眼野後部領域から滑動性眼球運動応答を調べ、同一ニューロンを記録しながら、サルの鼻の高さに呈示した水平スクリーンを用いて輻輳運動に対する応答を調べた。水平スクリーン上のスポットは、サルから見て正弦波状に奥行き方向に動かされた。また液晶シャッター付き眼鏡を用いてコンピューター画面上に3次元仮想空間内を動く視標を提示し、それを滑動性眼球運動と輻輳運動で追跡させた(図1e)。
 前頭眼野後部領域の122個の課題関連ニューロンについて、滑動性眼球運動と輻輳運動を個別に調べた結果、大多数(66%)は両眼球運動に応答し、25%は滑動性眼球運動のみに、9%は輻輳運動のみに応答した。両眼球運動に応答したニューロンの過半数で発射のピークは輻輳あるいは開散運動の最大速度にほぼ一致した。これらは前節で述べたように滑動性眼球運動時には特定の最適応答方向を持ち、この方向は多数のニューロンで全体としてあらゆる方向が再現されていた。そこで滑動性眼球運動の最適応答方向が水平のニューロン群について滑動性眼球運動と輻輳運動が要求される視標追跡課題中の応答を、個々の眼球運動課題の応答と比較した例が図1(a-c)に示してある。このニューロン群は両眼中央線上で視標が近づくとき(輻輳)に発射が増え、かつ左向きの滑動性眼球運動で発射を増加した(図1a,b)。奥行き視標が左の目線上で近づくとき(図1a)、右目は輻輳運動を起こし、かつ左に動く。この運動時の実際のニューロン応答は、図1cに示すように両眼中央線上で視標が近づくときの発射と左向き滑動性眼球運動での発射の線形加算と一致した。個々のニューロンについて滑動性眼球運動と輻輳運動が加算される方向での視標刺激に対する応答の位相と利得を、実際の応答と予測される応答で比較したのが図1dにまとめてある。傾きが0.8-0.9、相関係数0.84-0.93で両者がよく一致することを示す。これらのニューロンは奥行き視標が右の目線上で近づく場合でもそれらの応答は両眼球運動の加算で説明できた。この場合、左眼が右に動くことになるので、滑動性眼球運動応答と輻輳運動応答は相殺されることになり、特に滑動性眼球運動時に発射が止まったが、細胞内電位変化を推定し負のニューロン活動を仮定することにより応答が相殺される方向でも線形加算で説明できた7。最適方向が水平方向以外のニューロンにおける滑動性眼球運動と輻輳運動との加算は、コンピューター画面上に仮想視標を提示し、それを追跡させることによって調べた(図1e)。この場合も前額面での最適方向と奥行き方向での応答の最適方向はほぼ一致し、応答の大きさも図1(f,g)に示すように両眼中央線上での応答と前額面での応答の線形加算で説明できた。以上の結果は、滑動性眼球運動と輻輳運動の統合が前頭眼野で起こっていること、さらにその領域が3次元空間に最適ベクトルを持つ眼球運動信号を再現することを示す。この最適ベクトルを模式的に示したのが図2(a,b)である7
 これらのニューロン記録部位(図2c)にGABA作動薬muscimol(10μg) を微量注入して、その領域を不活性化したところ、滑動性眼球運動の速度が低下し、利得(眼球速度/視標速度)はほぼ0.5-0.6にまで低下した。これらの運動障害に伴い輻輳運動も同様に障害された7


図2.前頭眼野後部領域に再現される3次元空間における眼球運動信号。点と直線は個々のニューロンの最適応答ベクトルを、起始点を眼前の一点として示す。a、側面図。b、上から見た図。c、1頭のサルの記録部位。*はmuscimol注入部位。文献7)。

 3.両眼視機能の発現に必要な両眼の協調運動の制御における前頭眼野後部領域の役割
 前頭眼野後部領域にはsmoothな視線運動を発現させるために必要な視標運動の網膜情報、眼球運動情報、前庭情報が再現されており、この領域の滑動性眼球運動ニューロンの大多数は、視線運動の速度情報を備えている5。さらにこれら前額面での視線運動信号に加えて奥行き方向の眼球運動信号も加算されることにより7、この領域は3次元空間での視標追跡を適切に行うための両眼の協調運動の制御に必要であると解釈される。この解釈は、この領域の不活性化が前額面での視線運動のみならず輻輳運動も障害することにより支持される7。弓状溝前壁の衝動性眼球運動ニューロンもまた、両眼視差情報をもつことが報告されているので8、前頭眼野領域の役割について、これまでの前額面での眼球運動の制御ではなく、3次元空間における両眼の協調運動の制御という新たな理解が必要である。これまでの眼球運動モデルでは、滑動性眼球運動と輻輳運動が別のシステムであるという定説のため、両者を統合したモデルは全く存在しない。本結果から3次元空間の視標運動およびそれを追跡する眼球運動について、前額面と奥行き方向を統一的に説明出来る新しい空間モデルの開発が必要になる。
 正確な眼球運動による視覚情報の適切な取り込みは、3次元空間での種々の運動行動、特に身近の物体に対する頭部や手指等の運動に必須である。前頭眼野の3次元空間に対する眼球運動信号が、手を含めた体の運動制御にも使われる可能性が示唆される910

文献

1)Leigh R et al. The neurology of eye movements. 3rd ed. Oxford University Press New York, 1999

2)King WM et al. New Anat (2000) 261: 153-161

3)Gamlin PD et al. Nature (2000) 407: 1003-1007

4)Takemura A et al. J Neurophysiol (2001) 85: 2245-2266

5)Fukushima K et al. J Neurophysiol (2000) 83: 563-587

6)Fukushima K et al. Exp Brain Res (2002) 145: 104-120

7)Fukushima K et al. Nature (2002) 419: 157-162,

8)Ferraina S et al. J Neurophysiol (2000) 83: 625-629

9)Kakei S et al. Nat Neurosci (2001) 4:1020-1025

10)Mushiake H et al. J Neurophysiol (1997) 78:567-571