活動報告

   


「夏のワークショップ」報告

(1) 佐藤宏道 (大阪大学健康体育部)

「先端脳」第1回夏のワークショップに参加して

 脳は生命現象の複雑さと不思議さの構造的実現の極致であり、それは生体機能構築に関する人間の好奇心を刺激してやまないが、また脳のでき方そのものが精神機能の制約でもある。私は大脳皮質を研究対象とする神経生理学者だが、情報を処理しているときのニュ−ロンの振る舞いはどれほど脳がうまくできているのかを如実に語り、感動的である。脳の機能構築はまだほんの一部しか理解されていないが、それでもすでに研究分野が細分化し、情報量も研究の進展速度も飛躍的に高まり、その反面、個人の研究者がカバーできる範囲は限られてきている。「先端脳」は脳研究の基礎分野・臨床分野の統合(合併?)プロジェクトであり、脳についての理解から脳疾患の治療まで、生物が実現した最も高度の情報処理システムを統合的に扱う。そしてその成果は、世界の脳科学をリードするのみならず、納税者の知的好奇心の満足と、臨床医学的恩恵をもたらさなくてはならない。金澤一郎先生は懇親会の挨拶で、ミレニアムプロジェクトである「先端脳」の成否が、今後の脳研究行政に与える影響を話され、各班員がseriousに状況を意識するべきであり、また今後のこのグループの活動についても、「厳しくやるぞ」という方針を示された。「総合脳」の代表、濱清先生は、「要するに脳研究者を育てることが大事。結果を出し、それを示すことは大事だが、この厳しいcompetitionを経て編成されたグループであれば必ず成果はでる。研究は自由でなければならず、また日本の脳研究は人を増やすことも含めてますます振興されるべきだ。」とおっしゃった。どちらのお話も今の脳研究の置かれている状況をよく表していると思った。アメリカのactiveな研究チームがそうであるように日本も様々の分野の協力体制を作り、またその成果をわかりやすく一般に還元(広報)することが大事だ。
 私は昨年度まで10年間継続した「脳の高次機能」に関する特定(重点)領域研究で育てていただいた。スター研究者に与えられる大型予算と異なり、文部省の科学研究費は若い研究者を育てることに大きな意義がある。個人レベルの研究をサポートする奨励研究や一般研究とは別に、チームプロジェクトとしての特定研究ではグループの成員による相互啓発と共同プロジェクトの遂行ができるかどうかが成功の大きなポイントであろう。彦坂興秀先生は「異分野との交流から新しい研究の展開」を強調された。話を通じやすくするためには、相手の専門の枠組みに対する配慮が必要である。臨床の話、蛋白分子・遺伝子の話はシステムレベルではどう表現できるのか、システムはどのように要素を構造化することにより機能を最適化しているのか、そこから、どのように逸脱したときに機能的な異常となるのか、などということの説明に、少なくとも初めは気をつかうべきである。理解し得ぬ専門用語は背景に概念や方法論を含んでおり、それらは共有されなくてはならない。5年のプロジェクトだが、このような交流がうまくいき、「先端脳」のメンバーが幅広い視点からの脳理解と多角的な研究プロジェクトの協力体制を構築することができたならば、「先端脳」の意義は計り知れないと思う。
 私は感想文を書くことを依頼され、必死になって大学ノート44ページに及ぶメモを取った。しかし、ほとんどの班員の方々は会場におられ、私の詳細かつ怪しげなレポートを必要となされないと思うので「感想」に終始した。ともあれ150名の公募班員を含む約200名の「先端脳」のメンバーの中には今回初めてお会いした方も多い。5年間のプロジェクトの間に一人でも多くの方のお話を伺いたいと思う。末筆ながら、「先端脳」の立ち上げ、および運営にご尽力いただいている諸先生方に心より御礼申し上げます。

(2) 吉原良浩(理化学研究所・脳科学総合研究センター・ シナプス分子機構研究チーム)

 8月21日ー22日、最高気温37度という残暑厳しい京都において「先端脳・夏のワークショップ」が開催された。本ワークショップにおいては脳の発生・回路網形成から神経変性疾患、記憶・学習、精神機能、モデリングにいたる話題を著名な7名の先生方が紹介され、現在の神経科学の注目領域に関する知識を浅く広くではあるが得ることができた。本稿においては特に筆者の研究分野に近い3名の発表について要点をまとめるとともに、それぞれの講演に対する筆者の独断と偏見に満ちた感想を述べさせていただきたく思う。
 先陣を切って筑波大学の桝正幸先生が「脳の発生・分化の分子機構」について話された。神経誘導とオーガナイザー分子に始まり、神経幹細胞からの細胞分化、パターン形成、軸索誘導・反発によるガイダンスへと数段階の重要な発生学的事象をもとにして、それらの責任分子の構造・発現・機能をわかりやすく解説された。また、ところどころにアフリカツメガエル、線虫、ショウジョウバエなど現在の神経生物学研究において必須となったモデル動物の話をうまく散りばめられたところなどは心憎いものがあり、最後まで聴衆の興味を飽きさせずに話は進んでいった。筆者はまるで大学の講義(それも秀逸のもの)を聴いているような錯覚におちいるほどのまとまり、流れの良さを感じたが、ひとつ欲を言えば現時点での発生神経生物学の問題点及び将来の方向性を示唆するような話も加えていただきたかった。また軸索ガイダンスの次の重要過程であるシナプス形成について省略されたことも若干残念であった。
 次に大阪大学の津本忠治先生が「神経回路網発達の入力依存性とそのメカニズム」について話された。最初に津本先生が「今日はバイアスのある話、懐古談的話をします。」と言われたが、ところどころに最新のデータも盛り込まれ、まさに温故知新の精神で研究に取り組んでおられる姿がひしひしと伝わってきた。遺伝的プログラムによって一度形成された神経回路網がその後、入力および神経活動によって調整されていくのが脳の設計思想であり、大脳皮質視覚野における眼優位性コラム構造形成と体性感覚野におけるバレル構造形成の2つの例を用いてその分子機構に迫る最近の研究へと話は進んでいった。NMDA受容体やBDNFなど活動依存的神経回路調整に関与する分子が見つかってきたが(未だ論争あり?)、詳細な分子・細胞メカニズム及びシステムレベルでの解明はまだまだこれから、と感じざるをえなかったのは私だけであろうか?
 2日目は東京大学の三品昌美先生の「記憶・学習の分子基盤」から始まった。古くから脳部位の破壊実験や脳障害の臨床例をもとにして、記憶を司るいくつかの脳部位が同定されてきたが、現在の潮流は分子の破壊実験によってそのメカニズムを解明する研究であると述べられた。また、海馬長期増強現象が学習・記憶のモデルとして本当に適切かという問題点について、数種のノックアウトマウスを例にとって論じられた。さらには、樹状突起スパインやシナプス前終末の経時的可視化技術、コンディショナルな遺伝子破壊法、神経活動のin vivo多重測定法、シナプス構成要素のプロテオーム解析などの最新技術の導入がこれからの学習・記憶研究に新たなブレイクスルーをもたらす可能性を示唆された。学習・記憶のメカニズムについての研究は、分子から細胞、神経回路、システムさらには行動レベルあるいはモデリングに至るまでの広範囲の理解と実験技術が必要であり、「先端脳」のメンバー相互間の共同研究が最も期待されるテーマであると筆者は考える。
 以上のように、本ワークショップに参加したことで少なからず新たな知識を吸収でき、筆者にとって有意義な2日間であった。次回はもう少しテーマを絞り込んでいただき、より深い知識を得られるようなワークショップとなることを期待する。

(3)石浦章一(東京大学・大学院総合文化研究科)

「アルツハイマー病A03とタンパク質沈着性変性疾患A04の今後」

 京都で行われた特定(C)の班長発表を聞いたが、日本の研究がどの方向に進むべきか、皆が決めかねているという印象を受けた。柳澤勝彦(長寿医療研究センター)は、A03班長の井原康夫(東京大学)の代理として世界のアルツハイマー病研究の現状を手際よくまとめた。特に、老人斑の主成分であるアミロイドβタンパク質の生成・沈着機序とともに、原因遺伝子の1つであるプレセニリンがタンパク質の細胞内輸送や情報伝達に関わっていることが大きな話題になっていることや、タウ遺伝子の変異、リン酸化などをからめて議論した。また、自身の研究であるコレステロール代謝とAPP輸送についても紹介し、細胞内でのβタンパク質の生成部位が問題になっていることを強調した。依然として、アミロイド前駆体とプレセニリン、そして種々のセクレターゼの相互関係の像が描けないのが現実であるが、これを通り越して、仮説から治療薬に直進している欧米の現状に追随するのか、日本は独自の研究路線を歩むのか、判断が迫られている。
 私自身は、γセクレターゼがプレセニリンである、と海外の仕事を定説のように断言するような世間の人々の論調は好まないが、柳澤の総論はアミロイド沈着についてどのような問題が存在し、海外では何に力を入れているか、日本はどうなのか、がわかるようなクリアな好演であった。アルツハイマー病は基本的には神経細胞が脱落していく疾患であるから、A03だけではなく他の分野からも原因と治療に対して新しい概念が提案されることが必要で、それを進めていく可能性のある若い研究者が多かったということは非常に好ましく感じられた。
 一方、アルツハイマー病だけでなく、脳に何らかの繊維状物質がゆっくりと沈着することによって神経細胞が死んでいき、その部位差によって表現型が異なるものが1990年代から注目を集めている。タンパク質中のポリグルタミン鎖の伸長によるもの、特定のタンパク質の沈着(シヌクレイン、プリオン、SODなど)が原因であるもの、タンパク分解システムの異常(パーキンソン病の一部)、などである。特に、CAGリピートの伸長という劇的な発見のいきさつと悲惨な症状の対比、治療法が確立されていない疾患の遺伝子診断の是非をめぐる倫理的問題の出現、責任遺伝子の生理的意義が皆目わからないこと、などから、ハンチントン病が世界的にも最も注目を集めているものの、我が国の研究者はその他いくつかのリピート伸長疾患の原因解明に大きく寄与してきた。これは、1つの発症メカニズムの解明が他の多くの類似疾患の治療法開発に結びつくであろうという見通しがあったためであった。
 A04班長の辻省次(新潟大学)は、これらCAGリピート増幅と各種の疾患との関連の追求、CAGリピート病の責任遺伝子の発見から動物モデルの作成、タンパク質架橋阻止薬剤を用いた沈着性疾患の治療の開発と、常にわが国の研究をリードしてきた(異論がある人がいるかもしれないが、これは個人的に何度も話したことのある私の印象だ)。話を聴いた方々は、彼を超えるような斬新な方法での治療の方向性を打ち出さない限り、オリジナリティーのある研究とは言えないということを肝に銘じておく必要がある。
 目的のある研究は、背中に1億人の目があることを忘れてはいけないが、それを殊更言わないで、「病気の原因を明らかにしてください」、「新しい治療法を見つけてください」とだけ言って、これだけ多様な人材に自由な発想で研究していただく誘惑にかられるのは、私だけだろうか。