病気のことを理解したい

 生物は、世代を交代することによって、今日まで生き続けてきました。当然のことですが、ひとりひとりの命(一個体の生命)には限りがあります。世代交代は、私達が知っているすべての生物にとって、存在し続けるための必要条件になっています。しかしながら私達人間はもとより、動物や鳥にも、病気や死を悲しみと感じていると思われる行動が見られます。このような感情をもつまで生物が進化した以上、病気を治療しようとする試みや、老いや死を止める方法への憧れが生まれることは自然なことであり、そこに至る道筋として、病気について知ることを強く望むようになったと思われます。

病理学とは

 この「病気を知る」、すなわち病気がどのような原因で発生し、どのような機序で臓器や個体の機能を障害し、ヒトを死に至らしめるかということを研究する学問として誕生したのが、病理学pathologyです。学問体系として成立したのは、1761年にGiovanni Battista Morgagni(1682-1771)によって『De Sedibus et causis Morborum per Anatomen Indagatis; 病気の座と原因』が発表されたのが始まりとされています。Morgani達は、50年間にわたって病気で亡くなった方の解剖検査(病理解剖または剖検といいます)を行い、その所見を解析して、生前の症状と身体や臓器の硬さ、色などの変化の関連を研究しました。これによって個々の病気がどのようなものかという概念が形成され、病気が分類され、ヒトの病気に関する知識の包括的な体系が形成されたのです。病理学の誕生によって、それまで観念論的に捉えられていた病気を科学的に理解することが初めて可能になったと言えます。

 現在私は、「病理学とは、生検(組織診、細胞診)を通じて個々の患者の診断に寄与し、臨床病理検討会や病理解剖によって医療のクオリティーコントロールに貢献するとともに、科学技術の進歩を統合して病気の本態を解明し、疾患概念・分類の確立・改定を行う学問である」と定義しています。前半は、病理が病院で医療活動として行っていることの説明であり、後半は、病理学が学問としてもっている研究課題を表現しています。

実験病理の役割

 広い意味で、実験病理学(Experimental Pathology)がどのような学問かを理解するには、細菌学者Robert Kochの3原則を考えるのが理解しやすいと思います。「コッホの3原則」とは、ある微生物がその病気の原因であることを証明するには以下の3つの条件が必要であるというものです。

1.ある特定の感染症に罹った個体はその病変部において
   特定の微生物が常に見出されなければならない。
2.その微生物は感染個体から純粋に分離培養されなければならない。
3.その純粋培養は感受性宿主(実験動物)へ接種されると同一の感染症をおこし、感染病変部から再び同一の微生物が分離されなければならない。

 コッホの3原則の1と2は、患者さんの検査として行われるものですが、3も必要であるということは、実験なしに病気の原因を突き止められないことを意味します。ヒトの病気を調べ、こういう原因で、このような機序で病気が起こっているのだろうと推定できても、それは科学的実験によって因果関係を実証することによって初めて正しいと証明できるのです。人体解剖などによって得られた結果から考えられる病気の起こりかたのメカニズムを実験によって実証する学問、それが実験病理学ということになります。「コッホの3原則」をより一般化するとしたら、以下のようになります。

『ある異常が特定の病気の原因であると証明するには、以下の3つの条件が必要である。

1.ある特定の病気に罹った個体には特定の異常が見出されなければならない。
2.その異常はその病気の個体から純粋に取り出されるか、あるいは
   同じ異常を正常個体に導入することが可能でなければならない。
3.その異常を感受性宿主(実験動物)に再現すると同一の病気をおこし、
   病変部から再び同一の異常が見出されなければならない。』

 肺炎や腎炎など炎症を意味する炎という文字がついている病気があることを皆さんご存知だと思います。Julius Cohnheim(1839-1884)は、「例えば正常の肺を調べるにはどんな屍体でもいいが、肺炎を調べようとすると事情は全く異なっている。発病後、2日で死亡したか、3日で死亡したか、またもっと遅く8日目に亡くなったかによって所見が違ってくる。肺の炎症は進行性であるのに、屍体解剖は単に死の瞬間の肺の状態を示すに止まるのであり、このギャップは病理学的実験によって初めて埋められる。」と述べ、実験病理学研究によって、現在の炎症性疾患の理解の基礎をつくりました。東京大学の山極勝三郎(1863-1930)は、ウサギの耳にコールタールを塗り続けると皮膚癌が発生することを世界で初めて証明した実験病理学研究で、ノーベル医学生理学賞の最終候補になりました。しかし、20世紀が始まったばかりの時代においては、わけのわからない極東の島国の研究者に権威あるノーベル賞は与えられないという不当な選考が行われ落選してしまった、と後に報道されています。逆にいうと、山極先生のような先人達の研究のすばらしさが世界に認められたため、私達日本人研究者の仕事も世界で正当に評価されるような時代を実現できたのだと思います。

 現在、様々な新しい研究分野の発展により、病気を理解するための実験研究は、病理学という名前をもたない様々な分野、感染生物学(細菌学、ウイルス学など)、免疫学、分子生物学、ゲノム科学、発生工学、病態生化学などを専門とする研究者達のもので、かつてないスピードで進行しています。このような時代になり、病理学の域の中にある狭義の実験病理学のアイデンティティは何かということが問題にされることがあります。病理学者が行う実験病理学の方法論的特徴は、1).病気の臓器や組織をすりつぶしたり、そこからある要素だけを分取したりしないで、あるがままの状態で病気を理解する、2).病的な現象を目に見える変化によって(幾何学的に)捉える、3).人体病理学の知識と照らし合わせながら、ヒトの病気を体系的に把握する、という3点にあるように思われます。しかし、医学が細分化される前からある分野なので、実験病理学の守備範囲は広大で、個々の実験病理学者の数だけ、研究のスタイルがあると言ってもよいほどです。先に名前を挙げた様々な分野の実験科学者は、だれでも実験病理学研究を行っていると名乗ってよいと思われます。この幅広い実験医学とも呼ぶべき実験病理学の中で、いわゆる病理学者が行う実験病理学は、どのような未来を切り開くのか、その真価を問われる時代を迎えていると感じます。