分子細胞生物学教室（入江研）

　本当にいいボスというのは、実験がうまく進行しているときには何も言わずに仕事をまかせてくれて、実験がうまくいかなくて困っているときに助けてくれるという話を聞いたことがありますが、Iraはその点はさすがでした。じつはHerskowitz Labの中では「Iraはあまりにも学生をヘルプしない。」ということで文句をいう大学院生もいたのですが、IraのSuggestionは言われたそのときは「わけわからんことを言っているなあ」と思うようなことでも、後々「それが当たっている」ということはよくあったように思います。そのIraが2003年にがんで亡くなったことは本当に残念なことで、私の独立を報告できなったことも本当に残念に思っています。Iraは自分の出身高校の学生にサイエンスに興味を持ってもらうプログラムを支援するなど、サイエンスの裾野を広げる活動にも熱心な偉大な研究者でした。さて私はIraのようないいボスになれるでしょうか？？？

　さて、独立してどんな研究室をつくっていこうか？これがいまのところの一番の問題であり、楽しみでもあります。私はこれまでに4つの研究室（大嶋研、松本研、Herskowitz Lab、高井研）と経験してきて、そのときいた立場も違いますが、研究室には（1）非常に自由で、どちらかというと学生をほったらかしにして、研究を進めさせるタイプの研究室と、（2）統制が取れていて、学生と頻繁なDiscussionをしながら研究をすすめていくタイプの研究室、があったように思います。これはこれほど極端ではなくても世間一般でもそうだと思います。一般的に、学生に取っては（1）がよくて、スタッフになると（2）がいいようになるという気もしますが、研究というのは本人が楽しいだけではダメで、研究室の生産性（論文の数）をあげる必要もあるし、学部や学生の人数にもよるから、どちらがいいのかは難しいところです。私自身は、大嶋研時代の修士課程2年の途中から当時の指導教官であった助手の荒木さん（現・国立遺伝学研究所教授）が留学したこともあって、修士課程2年から博士課程2年までの2年間は完全に自分勝手なペースで実験をしていました。当時の大嶋研の研究報告（仕事のセミナー）は半年に一度でしたし、Eメールもない時代だったので荒木さんとの国際電話でのやりとりもそれほど頻繁ではなかったので、日々の自分の実験のペースをコントロールするのは自分自身だけ、という非常に危険な状態でやっていました。ただ、実験操作とかについては小川さんをはじめ大嶋研の先輩や同級生たちに大変お世話になりました。その前の修士の2年までは助手の荒木さんに直接指導されていて、このことはシニアな大学院生に指導されるよりはよかったと思うし、荒木さんが企業への就職希望であった私をこの世界に長く引き止めた張本人の一人であるのは間違いないと思います。荒木さんは阪大理学部出身で、いかにも「趣味：実験」という人でしたが、そのときやっていた酵母のmutant取りとその解析が私の好みにあっていたようで、実験は好きだったし楽しかったです。後日、荒木さんの話では、「僕が留学するのはわかっていたから、君が4年と修士1年のときになるべくひんぱんにDiscussionして一人でも実験ができるように鍛えておいた。」とか言っていましたが、本当なのでしょうか？？たしかにランチはよく二人で行っていたという記憶はあります。ただあんなに自由に実験をさせてくれたことはその後の自分にとって非常によかったと、いまでも大嶋先生にも荒木さんにもたいへん感謝をしています。その後、松本研、高井研と経験を重ねていくうちに、「自分の考えだけで実験をすすめていくのは確かに楽しいが、一大学院生の考えはやっぱりたいしたことがないので、世界に通用するサイエンスをやりたいのであれば、豊富なDiscussionと情報交換が非常に大事である。」ということを学びました。さて、（1）と（2）をどのようにバランスさせると、実験をやっている本人が楽しくて、生産性のあがる研究室はできるのでしょうか？

　理想の研究室には、研究室の運営システムだけでなく、もちろん魅力的な研究テーマが最も重要です。私は、「RNA局在と翻訳制御による非対称分裂の制御機構」を研究テーマに選んでいます。このニュースレターの読者の方々にはよくわかっておられることですが、RNA研究の分野はこれからますます発展する分野ですし、非対称分裂の制御にRNA局在が関わっているという例は、酵母の接合型変換やショウジョウバエの神経幹細胞などの有名な例だけではなく、もっともっといろんなシステムで利用されていると思うからです。私は、Herskowitz labから帰国後、自分の研究の幅を広げるため、酵母以外の動物細胞の系も勉強したいと思い、高井教授のもとで、上皮細胞の細胞間接着の形成機構を研究し、その過程で培養細胞やノックアウトマウスの解析などの手法も勉強してきました。本特定領域の先生方も研究されているように、神経細胞では、mRNA局在や局所的な翻訳制御の重要性が認識されています。mRNA局在はいまわかっている以上に、もっともっと多くの重要な生命現象に関わっていると思います。酵母の系については、私自身はいつも考えが足りなくて、そろそろ酵母でかることも少なくなってきたかな、と思っていたときもありましたが、世の中には賢い人がいっぱいいて、まだまだ驚くような新成果が得られているし、きっとこれからも出てくると思います。酵母の系は、論理的思考をしながら研究をすすめるにはとてもよい系で、とくに名大の松本先生の論理的な考えには学ぶべき所が多かったです。今後は、酵母と動物細胞の系を比較しながら、「RNA局在と翻訳制御による非対称分裂の制御機構」の研究を進めていきたいと考えています。余談ですが、高井研の助教授時代、中村義一先生から、「助教授なのに教授のテーマを手伝っていたらアカンやろ。」というお叱りのお言葉をいただいたことはよく憶えています。また、饗場弘二先生や坂本博先生には私の独立のことで相談にのっていただいて、たいへん感謝しています。高井研での勉強が無駄ではなかったことを、いい仕事をして示したいものです。

　このように書いてきましたが、入江研は現在一人であり、私一人では理想の研究室を作ることはできません。理想の研究室をつくるには、優秀で楽しい研究室のメンバーが必要です。「RNA局在と翻訳制御による非対称分裂の制御機構」の研究に興味があって、これから私といっしょに理想の研究室を作ってくれる元気な学生さんがいたら、是非参加してほしいです。工学部、理学部、医学部と3つの学部の研究室での経験を生かして、私がこれまでに学んできたもの（研究の楽しさ、論理的な考え方、さまざまな実験手法 etc）を学生さんに伝えていきたいです。

　（この文章は2005年7月に書いたものです）