研究成果と達成度

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A02班
A03班
A04班
B01班
B02班
B03班
ゲノム班
A02班 「脳の発達生理機能の研究」
 われわれの脳は一千億以上と云われる多数の神経細胞からなるが、この神経細胞はその突起の作るシナプス結合によって多種多様な神経回路を形成し、さらにその回路機能が発達することによって、脳の高次機能が発現すると考えられている。このように、脳内の想像を絶するほど複雑な神経回路の形成・発達メカニズムは、最近の研究により、主に2段階に分けられることが明らかとなった。すなわち、発生・発達の初期から中期にかけての第一段階では、遺伝情報によって発現した分子によって神経回路がおおまかに形成される。しかし、このようにして生じた回路は異所性投射・過剰投射を含む冗長性の高い回路であり、第2段階として、中期から後期にかけて、神経活動による退行あるいは強化などのプロセスを経て修正される。さらに、この第2段階の神経活動に依存したプロセスには、成熟脳の学習・記憶と同じ分子やメカニズムが関与していることも示唆されている。したがって、脳機能発達の入力依存性メカニズムとそのプロセスに関与する因子の解明は成熟脳における記憶・学習のメカニズム解明に関する示唆をも与えてくれることが期待される。本研究班はこのような観点から神経活動に依存した脳内神経回路の機能発達に焦点を当て、そのメカニズム解明をめざした。

研究の概説

 計画研究では、脳のなかでも特にヒトで高度に発達し高次脳機能を中心的に担っているとされる大脳皮質と小脳皮質に焦点を当て、その生理機能発達のメカニズムを以下の3項目に分けて研究した。

1 大脳皮質視覚野の機能発達と脳由来神経栄養因子の役割
 津本忠治班員は神経細胞や神経回路の生理機能発達にとって重要な分子であると想定されてきたニューロトロフィンに注目し、4種のニューロトロフィンの大脳皮質視覚野における発現が生後発達或いは入力や神経活動によって変化するかどうかを調べた。その結果、神経成長因子(Nerve Growth Factor, NGF), 脳由来神経栄養因子(Brain-Derived Neurotrophic Factor, BDNF), ニューロトロフィン3(Neurotrophin-3, NT-3), ニューロトロフィン4/5 (Neurotrophin-4/5, NT-4/5) のうち、BDNFだけが入力や皮質神経細胞の活動によって有意に変化することを見出した。したがって、本研究ではBDNFに焦点を当て、その機能と動態解明をめざした。まず、動態を明らかにするためにBDNF遺伝子に緑色蛍光蛋白質 (Green Fluorescence Protein, GFP) 遺伝子を連結させたプラスミッドcDNAを培養神経細胞の核内に直接注入することによってBDNFを可視化する方法を開発した。その結果、BDNF-GFPは神経活動にともなってシナプス前部からシナプス後細胞に移行することを明らかにし、従来信じられてきた神経栄養因子はシナプス後から前に移行するという説を逆転させる知見を得た。また、強制発現した人工的複合タンパク質であるBDNF-GFPではなく生理的な内因性BDNFの機能を明らかにするため、全ての体細胞にGFPを発現するGFPマウスとBDNFノックアウトマウスに由来する大脳皮質細胞からなるキメラ培養標本を作製した。この標本を使って、GABA性細胞の樹状突起発達に興奮性細胞から移行する内因性BDNFが重要であることを明らかにした。この移行は神経活動依存性であるので、神経活動がGABA性細胞の発達を制御しているメカニズムが明らかとなった。

2 体性感覚野バレル構造の機能発達
 ラットやマウスなどのげっ歯類では、体性感覚、なかでも頬髭の感覚が非常に良く発達し、大脳皮質体性感覚野には、同一の髭からの入力を受ける神経細胞が集まったバレル構造が存在する。この特異的パターンの形成は、上述したように、遺伝的なプログラムに従って形成されたおおまかな地図が、神経活動によって精緻化されると思われるが、どのような分子が何をどこまで規定しているかについてはほとんど不明であった。中村 俊班員は、津本忠治班員と共同で、この発達過程におけるBDNFの役割の解明をめざした。そのため、BDNFノックアウトマウスから脳切片標本を調製し、電気生理学的解析を行った。その結果、視床から皮質4層へ投射する線維が作るシナプスでは、生後発達初期にはNMDA型グルタミン酸受容体のみからなるいわゆるサイレントシナプスが多いが、生後一週間の臨界期の間にAMPA受容体を主とする活性型のシナプスに変化すること、また、この過程は神経活動およびBDNFに依存していることを明らかにした。さらに、この変化にはAMPA受容体サブユニットの移動が関与することも明らかにした。

3 小脳皮質の機能発達
 小脳は基本的神経回路が明らかとなっており、またその機能もかなり良く知られている。その意味でその機能がどのように発達してくるかは、他の部位に比して解明し易く脳の生理機能発達メカニズム解明の突破口となる可能性が高い部位と思われ、当研究班における重点的研究対象の一つとなった。この小脳における出力細胞であるプルキンエ細胞は、出生直後は複数の登上線維による多重支配を受けているが、発達につれて過剰な登上線維が除去され、生後3週間で1本の登上線維による単一支配に変化する。渡辺雅彦班員は、この過剰シナプスの除去機構を、主にP/Q型カルシウムチャネルに焦点を当てその機能的役割解明をめざした。そのため、P/Q型カルシウムチャネルalpha-1A遺伝子ノックアウトマウスを用いて解析した。その結果、単一の登上線維が独占的に支配すべき近位樹状突起において、本来除去されるべき余剰な登上線維による多重支配と、本来遠位樹状突起にとどまるべき平行線維の異所性支配が生じていることを見出した。したがって、P/Q型カルシウムチャネルは、登上線維による単一支配の確立と、樹状突起遠近軸における平行線維と登上線維の相互排他的な神経支配の確立に不可欠な分子であることが明らかとなった。

 公募研究は各年度12名から19名の班員が参加し、多数の重要な研究成果をあげたがここではその中で主要なものだけを述べるにとどめる。
・橋本浩一班員は、登上線維により多重支配されている出生直後の小脳プルキンエ細胞において、生後一週目までに登上線維の数の減少(シナプス除去)と登上線維間のシナプス強度の差の拡大(シナプス選別)が起きることを示した。具体的には、生後10−14日のマウスにおいて、一つのプルキンエ細胞上で、一本の強い興奮性シナプス反応を起こす登上線維入力 (CF-multi-S) と、それ以外の弱い登上線維入力 (CF-multi-W) の違いを電気生理学的に解析した。その結果、シナプス前終末からの伝達物質放出様式が、CF-multi-Sでは比較的狭い領域に複数のシナプス小胞から伝達物質が放出される(Multivesicular release)のに対して、CF-multi-Wでは別々のシナプス小胞から放出された伝達物質が互いに重ならない放出様式(One-site one-vesicle release)か、CF-multi-SよりもMultivesicular releaseの程度が低いことがわかった。また、入力線維間の強弱の形成と過剰登上線維の除去との関連について調べたところ、多重支配しているプルキンエ細胞のうち、投射している登上線維の本数が2本もしくは3本で、なおかつそのCF-multi-Wのシナプス電流の振幅がCF-multi-Sの平均の20%以下である細胞は、2日以内に単一支配プルキンエ細胞に移行することを示唆する結果を得た。これらの結果は、入力線維間の機能的な強弱の形成が、多重回路の刈り込みに重要な働きをしていることを示している。
・柚崎通介班員は、小脳顆粒細胞に発現するサイトカインである、シナプトトロフィンの遺伝子欠損マウスを作成し、その表現型を詳細に解析した。その結果、シナプトトロフィンは、小脳神経回路形成のみならず、小脳運動学習の基礎過程であるシナプス長期抑圧にも不可欠であることを明らかにした。
・発達脳の可塑性の基盤として、上述した余剰神経回路の除去の他に、シナプスにおいて情報の受け手である受容体の変化(サブユニットや数などの変化)が想定されてきた。ところが、鍋倉淳一班員は、聴覚中経路核において、伝達物質がGABAからグリシンへとスイッチすることを単一神経終末レベルで見出し、発達期における神経回路の新しい形の再編成様式を明らかにした。また、このスイッチが神経回路活動に依存していることも明らかにした。
・高橋智幸班員は生後発達にともない視床抑制性シナプスを媒介するGABAA受容体のalphaサブユニットが2型から1型に変換することによりシナプス電流の時間経過が短縮することを明らにした。さらに、視床抑制性シナプス応答時間は脳波の周波数や意識と密接に関係していることから、GABAA受容体の生後発達が意識レベルの成熟をもたらすとの仮説を提唱した。
・福田敦夫班員は、発達過程の大脳皮質神経細胞の細胞内Cl- 濃度をスライスパッチクランプ法とイメージング法で計測し、さらにCl-トランスポーターのKCC2(外向き)、NKCC1(内向き)の発現をsingle-cell multiplex RT-PCR法、in situ hybridization法を用いて観測し、それらの関係を解析した。その結果、脳室帯の神経幹細胞は神経特異的なKCC2を欠き非常に高い細胞内Cl- 濃度値を示すが、分化・移動による皮質層構造の形成過程でNKCC1/KCC2発現バランスの変化によりCl- 濃度値が低下しGABA応答が脱分極から過分極に逆転することを見出した。この結果は、従来知られていた発達にともなうGABA応答の変化はCl-トランスポーターの変換によることを示したものである。
・岡村康司班員は、小脳プルキンエ細胞の自発的発火特性の生後発達メカニズムを明らかにするため、スライス標本を用いて、Naチャネル電流の解析を行い、生後10日から20日にかけて、短い脱分極後の過分極時に開く電流(resurgent電流)の電流密度が上昇することを明らかにした。更にNav1.6分子によるNaチャネル電流の発達過程での変化を明らかにするため、ツメガエル卵母細胞へNav1.6チャネルalphaサブユニット分子を強制発現させ、betaサブユニットの役割を検討した。発達初期に発現し、生後まもなく消失するbeta3サブユニットは、生後に発現するbeta1サブユニットに比較してNav1.6チャネルの不活性化を促進する機能が強いことを明らかにした。これらの結果から、プルキンエ細胞の自発発火特性の生後発達に、betaサブユニットの交代が重要な役割を担う可能性を示唆した。
・吉村由美子班員は、シナプス伝達の長期増強が発達期視覚野の眼優位可塑性の基礎過程であるかを検討するために、NMDA受容体依存性長期増強とT型カルシウムチャネル依存性長期増強の年齢依存性について調べた。その結果、前者は開眼前に頻繁に誘発されるのに対し、後者は眼優位可塑性の感受性期のピークに最も効率よく誘発されることを見出し、2つの長期増強は視覚野の発達期可塑性に異なる役割を果たすことを示す結果を得た。
・岡部繁男班員は、シナプス後部構造のリモデリングの過程を明らかにするために、GFP-PSD-Zip45およびPSD-95-GFPを発現するトランスジェニックマウスから海馬神経細胞を培養して、一週間以上にわたるシナプス構造の変化を追跡した。そのため、(1)filopodiaからspineへの形態変化とPSD蛋白質の集積過程、(2)樹状突起が伸長する際のPSD蛋白質の新しい樹状突起での集積過程、(1)細胞全体での同期したシグナルにより起こるPSD構造の分布変化、などを可視化した。その結果、神経細胞におけるシナプスリモデリングは、細胞全体に作用するglobalなシグナル系によって強く制御されていることを示す結果を得た。
・佐藤勝重班員は、膜電位感受性色素を使って個体発生に伴う脳内神経回路網のシステム構築と、それに関わる受容体の機能的発現過程について光学的解析を行った。その結果、迷走神経刺激によって、中枢神経系を広範に伝播するdepolarization waveが誘発され、それに引き続きCa2+ waveが引き起こされること、さらに、このdepolarization waveは、(1)発生のある一時期に特異的に出現すること、(2)脊髄から大脳までと非常に広範囲に伝播すること、(3)chemical synapseとgap junctionの両方が関与したdual networkを介すること、(4)迷走神経以外の他の脳神経(感覚神経)・脊髄神経を介した外来性入力、あるいは自発興奮活動によっても誘発されること等、を見出した。この結果は、胎児期の中枢神経系において、広範に伝播するdepolarization waveと、それに引き続き起きるCa2+ wave が存在し、このdepolarization waveの伝搬にgap junctionが関与していることを示したものである。
・籾山俊彦班員は、Enhanced GFP遺伝子導入ラット母体から胎生10.5日目のラットを摘出し、中脳胞部由来神経板組織を成熟ラットの線条体内に移植して、移植後4週−6ヶ月後に形態学的および電気生理学的解析を行なった。ドナー由来細胞は、移植4−6週間ではドーパミン性細胞等の中脳細胞には分化しても線条体細胞には分化しないが、移植6ヶ月後には形態学的および電気生理学的に、線条体細胞の特質を有する細胞にも分化することを見出した。
・神経可塑性の形成過程において、シナプス刺激により細胞膜直下で引き起こされた細胞内カルシウムの上昇により、カルシウムシグナルが、核内に伝播し新規遺伝子の発現を誘導することが重要であると想定されている。阪上洋行班員は、カルシウム・カルモデュリン依存性プロテインキナーゼI delta分子が、グルタミン酸及び脱分極刺激により、その細胞内局在を細胞質から核内へと移行させて、神経可塑性の形成に重要である転写因子 cAMP response element binding protein (CREB) をリン酸化することを示し、このプロテインキナーゼ系が神経活動依存的に生じる遺伝子発現を制御している新たなシグナル伝達経路である可能性を明らかにした。
・神経細胞の発火パターンはその細胞の持っているイオンチャネルによって決定されるが、脱分極で活性化されるK+チャネルには、不活性化を示すA型電流と不活性化を示さない遅延整流性電流がある。宋文杰班員は、A型電流の密度と性質の発達を調べるために、パッチクランプ法と単一細胞RT-PCR法を用いて、発達過程におけるA型電流とKv4.2およびKvベータサブユニットのmRNAの発現量を定量的に調べた。その結果、Kv4.2 mRNAは生後発達において、指数関数的に増加し、約3週齢で一定のレベルに達することが分かった。一方、A型電流は生後発達においてその振幅は増加したが、電位依存性や時間依存性に顕著な変化が見られず、Kv4.2 mRNAに比べて、その増加が緩やかであった。これらの結果から、転写と翻訳の機構の上に、mRNAとチャネル蛋白の分解の機構を考慮すると、高い相関係数でKv4.2mRNAとA型電流の発達を記述できることが明らかとなった。
・西丸広史班員は、歩行運動の際の左右肢の交代性リズム活動の発達を調べた。その結果、胎生後期のラット脊髄摘出標本において腰髄前根に5-HTによって誘発されたリズミックな発射活動は、胎生15.5日には左右で同期したパタンをとるが、胎生18.5日までには歩行運動様の左右交代性のパタンに変化することを見出した。また、胎生15.5日の腰髄摘出標本にGABAA受容体拮抗薬のビククリンおよびピクロトキシンを灌流投与したところ、左右のリズムは同期しなくなった。一方、胎生18.5日ではこれらの拮抗薬の投与により左右交代性のリズムが同期するようになった。これらの結果から、胎生期リズム形成回路網の左右間の神経結合は主にGABAA受容体を介したシナプス伝達が担っており、その作用が発達に伴って興奮性から抑制性に変化することにより5-HT誘発リズムが左右で同期したパターンから交代性のパターンに変化することが示唆された。このことから、歩行運動の発達の際に生じる左右肢交代性のリズム活動の発達分化にはこうしたシナプス入力の発達に伴う変化が重要なことが明らかとなった。


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