研究成果と達成度

A01班
A02班
A03班
A04班
B01班
B02班
B03班
ゲノム班
A03班 「脳の老化および病態に関する研究」
 この班の目的は、アルツハイマー病 (Alzheimer's disease; AD) 発症の分子メカニズムを解明し、それに基づいて有効な治療法または予防法の手がかりを得ることである(ゲノム的アプローチはゲノム班の項を参照されたい)。2000年の時点で、続く5年間で何を明らかにすべきかを当時の状況を分析し以下のように考えた。Amyloid cascade hypothesisにのっとれば、Aβの沈着自体がそれ以降の事象、すなわち、神経原線維変化、神経細胞脱落、痴呆のすべてをひきおこすわけで、まずAβの沈着自体がどうして、どのように、起こるかを解明することが重要になる。

「先端脳」開始時における問題点

 「先端脳」開始時における問題点として計画班員の専門分野全体のバランスを考えないで研究を進めることが、班組織としてアルツハイマー病研究のあり方として妥当かどうかという疑問があった。すなわち単に1研究室がある専門分野をさらに深化させるということではなく、班としての研究においては全体のバランスが重要な課題となる。アミロイドカスケード仮説に基づいていけば、γセクレターゼの研究分野に充分なヒトがいないことに気づいた。この分野は、FADの家系調査から、linkage analysis, positional cloningにつながっており、わが国からの貢献度が少ない分野であった。わずかに東大薬学系研究科の岩坪 威がPS2の作用の解明で世界と互しているのみであった。γセクレターゼが基礎生物学おいて重要な分野になることは誰もが気づいていた。すなわち膜内で切断する特異なプロテアーゼは多くの膜タンパク質の分解(および生理活性物質の産生)に関わっているはずであり、まだ誰も解明していない未知の分野であった。それだけでなく、創薬のターゲットとしても脚光をあびつつあった。将来的に膜内切断がコントロールできるようになれば、直ちに創薬に結びつくはずであった。このような重大な分野であるにもかかわらず、γセクレターゼの酵素としての性質を解明しようとするグループはせいぜい岩坪グループくらいであった。このような状況があり、井原の研究室の半分をγセクレターゼの研究に割くことを覚悟した。またnicastrinの発見者である西村正樹はおくれてγセクレターゼのグループの仲間入りをしたのである。このようにして、アミロイドカスケード仮説との関係で整理すれば、人員配置は以下のようになり、全体としてはわが国のアルツハイマー病研究はバランスのとれた配置となったのではないかと思っている。

APP→Aβ γセクレターゼ ;井原、岩坪、西村
  α、βセクレターゼ ;石浦
Aβの重合 とくにラフトとの関連において ;柳澤、田平、(井原)
Aβの分解   ;西道
神経原線維変化   ;井原、高島、森
ワクチン療法   ;田平

研究の概説

1 γセクレターゼ
 井原康夫はγセクレターゼの酵素学的性質を明らかにしようとして研究をはじめた。まずはじめたことはin vitro assay systemの確立である。とくに膜画分を用いたcell-free systemの確立に全力を注いだ。γセクレターゼがβCTFに働き、AβとAICD (γCTF)が産生されるはずである。Aβの産生に関してはすでに多くの研究者が先行していたので、AICDの産生に関して検討を開始した。Aβ40, Aβ42が主に産生されることが知られていたので、当然AICDは41-99, 43-99と考えていた。しかし、TOF mass ではAICDは49-99, 50-99の主に2種類であることがわかり、予想外の結果であった。この意義がある程度わかりかけたのは、以前に、これもγセクレターゼの基質であるNotchの切断部位がAβの切断部位と膜内部位が相当異なっていることに疑問をもったことを想い出してからである。Aβは、βCTFが膜のほぼ中央で切断されて産生されるが(S3切断)、Notch intracellular domain (NICD)は細胞質側に近い部位で切断されて生じる。アミノ酸にして約10残基の距離がある。APPだけでなく、APLP1/2も膜の真ん中でなく、細胞質よりの同様の部位にて切断されることが判明するに及んで、このS3と称される細胞質よりの部位が実際の主要な切断部位ではないかと疑うようになった。もしこの部位が第一義的な切断部位ということであれば、加水分解反応に用いられる水分子の浸透の問題もある程度回避できるかもしれない。その時点まで知られていたγセクレターゼの他の基質の切断部位もほぼ同様であり、膜の真ん中ということはなかった。これが現在ε切断(部位)と呼ばれているものである。
 切断機序としては3つの様式を考えることができる。第1に、γ切断があってからε切断が起こる:この場合にはlonger AICDが証明されるはずである。第2には、ε切断があってからγ切断が生じる:この場合にはlonger Aβが証明されるはずである。第3には、γとε切断が同時に生じる:この場合には小さな膜ペプチドが生じるはずであるが、その証明は技術的に困難であろう。第1の可能性に関してTOF massでチェックする限り、longer AICDは検出できなかった。以上から第2の可能性に関して検討することとした。Transfected cellを可溶化しAβの抗体で免疫沈降し沈降物を解析するという手続きである。この実験に入る前に、われわれは、Aβ1残基の違いでも分離できるSDS/urea gelシステムを開発した。すなわちgel system 1はAβ40-45、gel system 2はAβ46-49の分離が可能である。この新たに開発した電気泳動システムを利用して、APP transfectant内にAβ43, 45, 46, 48のlonger Aβが存在することをつきとめた。これに関連して大河内正康はdual cleavageを証明した。すなわち、γセクレターゼのもうひとつの基質であるNotchにおいてもAβに相当するペプチドが分泌されていることを明らかにした。
 岩坪 威はプレセニリン研究の蓄積を生かし、どのようなコンポーネントが酵素活性に必要なのかという検討に全力を注いだ。γセクレターゼが大きなコンプレックスを形成していることは以前から知られていたが、免疫沈降ではその他nicastrin以外のコンポーネントの同定は困難であった。ところが線虫においてSel 12の機能にニカストリンのホモログ以外に、Pen 2, Aph-1が必要であることがわかり、彼らのグループはそれぞれのDrosophila、ほ乳類でのホモログを同定し、γセクレターゼ活性を発現するには、プレセニリン、ニカストリン、Pen 2, Aph-1の4つのコンポーネントが必要であることをエレガントに証明した。同時にいかにtetramerがアセンブリーしてゆくかを推測した。その意義に関してはまだ充分にわかっていないが、NSAIDのひとつであるSulindac sulfideがnoncompetitive inhibitorであるという予想外の発見もした。NSAIDは選択的にAβ42の産生を抑制する(なおかつNotch切断に影響を与えない)ということで注目されている。
 西村正樹はrandom mutagenesisによって生じたPS1 mutantの中に、Aβ43のみを外液中に分泌するものがあることを見いだした。石浦章一はβセクレターゼまたは、αセクレターゼの活性を修飾することで、アルツハイマー病に対する創薬の可能性がないかどうか探った。とくに木曽良明との共同研究で、βセクレターゼの強い阻害剤を開発し、in vivoにおける効果も得られるようになった。

2 Aβの重合
 柳澤勝彦は、約10年前にGM1とAβの複合体を発見し、これがAβ重合のシードではないかと考えた。その後長年にわたってGAβ (GM1-bound Aβ) 形成が促進される生物学的基盤を、AD発症危険因子である老化ならびにアポリポ蛋白E4発現の神経細胞膜脂質組成に与える影響の視点で検討してきた。その結果、両因子はシナプス脂質二重膜内のコレステロール分布を変化させ、外葉中のコレステロール含量を約2倍増加させることが確認した。この事実と先のわれわれの研究結果と考えあわせ、Aβ結合を誘導するGM1クラスターの形成がこれらの因子により促進される可能性が示唆された。また、アポリポ蛋白E4遺伝子をノックインした老齢マウス脳シナプス膜より調整した膜ドメイン(ラフト)内で、可溶性Aβの重合を促進するに足るGM1量の増加が生じていることを確認した。以上のことを証明するにあたって、柳澤を中心に、松崎、内木、山口などの多数からなる共同研究の輪ができたことは特記すべきことである。
 GAβ形成の病的意義をさらに明らかにすることを目的に、脳領域特異的Aβ蓄積に焦点をあて、遺伝的変異型Aβを用いてin vitro実験を行った。その結果、22番目のアミノ酸置換を伴い、脳実質に選択的沈着を示すことが知られているArctic型Aβ(E22G)はGM1により著しい重合誘導を受けることが確認された。一方、同一部位で別種のアミノ酸に置換され、血管壁に沈着するDutch型Aβ(E22Q)はGM1による重合誘導を受けないことが確認された。以上の結果は、脳内の領域特異的Aβ沈着にガングリオシドが重要な役割を果たすことを示すものと推測した。

3 Aβの分解
 西道隆臣は、以前よりAβの脳内における分解機構に興味があり、責任プロテアーゼの同定に周到の準備をした。彼は、Aβ42をH3, C14でラベルし、脳内にインジェクションしてその分解物を同定した。分解パターン(中間代謝物の同定)からあるプロテアーゼである可能性がもちあがり、特異的な阻害剤にて分解が抑制されることから、ネプリライシンが同定された。西道以前に、SelkoeはAβ分解プロテアーゼとしてmiroglia の培養上清に同定したinsulin-degrading enzyme(IDE)を挙げた。しかし、現在では脳内の主要なAβ分解プロテアーゼはネプリライシンというコンセンサスである。西道はこのプロテアーゼ同定に引き続いて、ノックアウトマウスにおいては脳内Aβレベルが上昇すること、加齢に伴い、ネプリライシンのレベルが減少すること、ネプリライシンの発現を上昇させることにより(viral vectorを用いて)、老人斑の数が減少することを明らかにした。この事実に基づき、彼はさらに神経ペプチドソマトスタチンは、神経細胞のネプリライシンを活性化し、Aβ代謝を促進することを示した。この結果は、ソマトスタチン受容体のアゴニストを用いることによって、脳内Aβの代謝を制御し、アルツハイマー病の予防や治療に応用することができる可能性を示している。これは全く新しい原理の創薬につながる可能性を示した点で注目される。つい最近では、ネプリライシンの生物学的マーカーの重要性も判明してきた。髄液中のネプリライシンは、神経細胞軸索末端から放出されるネプリライシンとして考えられる。軽度認知障害の時期には低値で、その後ADとして進行すると高値を示すようになる。

4 神経原線維変化の形成とその意義
 高島明彦は、FTDP-17 tauのトランスジェニックマウスをいち早く作成し、解析した。PDGF-βプロモーター下流にV337M変異を持つ4リピートタウcDNAを組み込んだベクターを導入したタウマウスを作製した。発現量は内在性タウの5-10%程度であり、海馬および大脳皮質に発現が見られた。11ヶ月齢で、このマウスの海馬CA2,3部位に生化学的にSDS不溶性である過剰リン酸化タウの蓄積が観られた。さらにCAMK IIプロモーター下流にR406W変異を持つ4リピートタウcDNAを組み込んだベクターを導入したタウマウスの場合はADやR406Wの患者と類似した病理病態の特徴を持つマウスモデルであることが示された。タウリン酸化に関与する酵素の検討から変性を示す神経細胞ではGSK-3βと活性化JNKの蓄積が生じていることが明らかになった。
 井原康夫は、単純な系、および機能測定ができる系を求め、最終的に線虫を用いてタウオパチーモデルを作成した。Mec 7 promoterの下流にタウcDNAをつなげ、mechenosensory neuronにタウを発現するtransgenic wormを作製した。Mechanosensory neuronは線虫のwithdrawal responseを司っている。その結果、4 repeat tauの場合にはほとんど機能は低下しないが、3 repeat tauの場合にはわずかに機能が低下した。さらにmutant tau, P301L, R406Wの場合には大きく機能が低下した。形態学的にはmec neuronのbranchingが亢進し、タウが蓄積し、同時に微小管が消失するというヒトアルツハイマー病脳内にみられることと同じ現象が観察された。神経細胞の脱落は観察されなかった。これは予想外の観察で、タウのprimary effectが細胞死でないことを示唆する。現在unc119 promoterを用いてタウをpanneuronal expressionさせてgene chip (microarray)で解析する予定で現在進行中である。
 森 啓は、ヒトおよびマウスゲノムからエクソン10領域を含むゲノム断片をとりだし、エクソン10のスプライシング反応を比較検討し、その分子機構について新規機構を提唱した。

5 ワクチン療法
 田平 武は、現在唯一の効果のある療法として認められているワクチン療法に関して研究をすすめた。ワクチン療法は、臨床治験phase IIにおいて5-6%の患者が脳炎を合併するということで中断された。これは感作されたT cellが原因らしいということになっている。田平はこの原因を取り除くまたは極力発生頻度を減少させるために、Aβを組み込んだAAV(adeno-associated virus) を腸管に感染させて免疫したらどうかと考えた。トランスジェニックマウスではこの方法が効果のあることが判明し、現在霊長類を用いてその効果、副作用を検討中である。ヒトへの応用はまだまだ道のりがある。

 早期診断の試み
 ADの早期診断としてPETを用いた老人斑の画像化が注目されている。すでにいくつかのリガンドの開発がすすんでおり、臨床応用も目前にきている。老人斑が出現してから数十年してから臨床的なアルツハイマー病が発症するという現在のスキームからすれば老人斑の出現をとらえて神経細胞が脱落する前に何らかの予防法または治療法を講じようとするのは当然である。PETの場合にはどうしても分解能が低いという大きな弱点がある。この点に留意して、西道隆臣は老人斑に結合する19Fを含んだ新規リガンドを開発し、イメージングを成功させた。まだリガンドの用量、強磁場が必要なことなど、ヒトへ応用には達していないが、今後の技術的革新によってヒト応用可能になることは充分に考えられる。また、早期診断のためのバイオマーカーの探査も盛んで喜ばしい。たとえば、AD脳ではβセクレターゼのレベルおよび活性が低いらしいことが判明している。橋本はβセクレターゼの基質の一つを同定し、その断片を髄液中で同定し、ADにおいてそのレベルが低いらしいことを確かめている。

7 ブレインバンクの設立
 アルツハイマー病が今日のように整理されたのは、80年代から90年代にかけてヒト剖検脳を用いた膨大な研究があったからである。研究者にヒト脳材料を提供するために多くのブレインバンクが活躍した。わが国においては、残念ながらブレインバンクの歴史がなく、多くの研究者は欧米の研究者の個人的なつてまたは欧米のブレインバンクに頼るという状態であった。そのような状況の中で、「先端脳」の支援を受け、老人総合研究所に村山繁雄がブレインバンクを開設し、それが機能してきたことは喜ばしいことである。このブレインバンクはアルツハイマー病の研究ばかりでなく、未解明の高齢者痴呆の研究(たとえばtangle only dementia)に大きな役割を果たすと考えられる。

8 サブグループ活動
 A03班では、アルツハイマー病研究を推進するにあたって重要と考えられる問題点を整理し、それらに関する研究指針を議論することを目的に、3つのサブグループが組織された。それぞれ、1、2名の計画班員が世話役となり、A03班員と班員外の研究者が年に1回参集し、研究会が開催された。サブグループの第一は「タウ蛋白研究会」であり、高島班員と森班員が世話役となり、タウ蛋白のリン酸化機構を中心とした議論が活発になされた。第二は「γ-セクレターゼ研究会」であり、西村班員と大河内班員が世話役となり、アルツハイマー病発症過程の主役分子であるPSの分子生物学に常に新しい話題が提供された。第三は「マイクロドメイン研究会」であり、筆者が世話役となった。マイクロドメイン(ラフト)は細胞生物学的に重要な膜ドメインであると同時に、Aβの産生と重合の場として注目されている。研究会ではマイクロドメインの実態とアルツハイマー病発症との接点について活発な議論がなされた。これらのサブグループ活動は、アルツハイマー病研究の主要課題を掘り下げる上で有用であったことに加え、班員間あるいは班員外の研究者との共同研究を促進する上で大きな役割を果たした。
 A03班では、この他の活動として班集会を開催している。第1回の班集会では、アルツハイマー病の時間的ならびに空間的な病理変化を整理するとともに、治療薬開発研究の現状についてまとめた。第2回は、超高齢者の増加にともない今後重要性が増すと考えられる加齢依存性の非アルツハイマー病性痴呆をとりあげ、その臨床的ならびに病理学的特性について検討した。班集会はA03班に所属する基礎研究者からの要望をうけ、アルツハイマー病の包括的理解を助ける場として始めた活動である。脳の病態研究を専門領域の異なる研究者により構成される班活動として推進する際には、このような病態の基本を理解、共有する場が必要と考えられた。


A01班
A02班
A03班
A04班
B01班
B02班
B03班
ゲノム班