研究成果と達成度

A01班
A02班
A03班
A04班
B01班
B02班
B03班
ゲノム班
B02班 「システム回路形成およびその機能の研究」
 B02班は、「神経回路およびその機能」に関する先端的な研究を行う目的で設置された。脳の機能に関する研究は、反射・感覚・運動・条件付けなどのメカニズムを解明する段階から出発したが、その進展とともに研究の重点は知覚・動作発現・記憶・学習・情動・意思決定など、高次元の機能に移行しつつある。このような世界の脳機能研究の趨勢をふまえて、B02班発足時の班長であった彦坂興秀は、以下のように高い目標を掲げ、研究班は活動を開始した。

 ・知覚を認知する意識的プロセスの研究
 ・随意運動発現の研究
 ・報酬情報に基づく行動学習
 ・思考の原理に対応する脳の活動
 ・感情と社会的コミュニケーション

 計画班員が5名という構成(2名が途中交代)を考えると、これらの目標は広汎かつ遠大に過ぎる感はあったが、年平均18名の公募班員の活躍もあり、各項目に関する先進的な研究が明らかに進行した。もとより脳研究はどの研究項目にしても五年以内に終結するような性質のものであるはずはないが、脳機能理解の進展という意味で、顕著な研究成果が多く得られたことは確かといえよう。以下に紹介する代表的な研究成果は、先端的といって差し支えないと判断される。

研究の概説

1 大脳基底核による行動学習のメカニズム
 行動の発現を制御する機構の中で、行動の結果獲得される報酬の情報は、重要な要素である。言い換えると、報酬の予測と評価に基づいて将来の行動を行うか否かが決定される。したがって、行動学習には、報酬情報が決定的な役割をなす。このような報酬情報に基づいた行動制御に、大脳基底核が直接的に関与する証拠が、具体的に見つかった。すなわち大脳基底核の線条体の細胞が、将来行うべき動作に先行して、予測される報酬に対応した活動変化を示すこと、その細胞活動変化と行動上の変化に密接な対応関係のあることが明らかとなった。彦坂グループは、眼球運動の空間的選択を行わせる行動条件下にサル尾状核の細胞活動を解析した。報酬を得られることが予測される特定の方向に特異的に細胞活動が高まり、行うべき行動の選択を先導することが判った。
他方、木村 実グループは、別の観点から行動の決定と計画が動機づけ情報によって修飾される過程をサル大脳基底核の線条体において明らかにした。線条体の細胞は報酬刺激ないしは嫌悪刺激が出現することを予告する信号に選択的に応答し、それらを識別することを明らかにした。尾状核の細胞は報酬及び嫌悪予告刺激に応答性が高く、報酬の予告に高い選択性を持つことが判明した。それに対して被殻の細胞はそれらの予告刺激に対する選択性は低いが、報酬を得るべき動作開始信号に応答する例が多かった。それらはいずれも持続性発火型細胞(tonically active neuron)であった。さらに、ヒトの線条体活動をfMRIによって調べた。報酬に基づく行動学習を行わせる課題を設定することにより、尾状核が報酬に基づく学習に関与することを明らかにした。
さらに、報酬確立に基づいて複数の選択肢からひとつを選ぶ意思決定課題を行わせ、中脳ドーパミンニューロンの活動を調べた。ニューロンの発火頻度は意思決定の成否を知らせる感覚刺激に対して報酬予測誤差を表現しており、Shultzらの報告と一致していた。これに対し、課題のスタート信号に対する反応はサルの行動反応時間と負の相関を示すことを発見した。それは、中脳ドーパミン細胞が動機づけレベルを反映することを明らかにしたことになる。次いで、視床のCM核に関して研究を行い、行動の発現における関与を示唆する細胞活動を見出した。

2 随意運動発現機構の研究
 丹治 順チームは大脳の外側と内側に存在する高次運動野の機能的差異に関する研究で成果を挙げた。まず眼球運動野制御系として、大脳には前頭眼野と補足眼野が定義されているが、その2者の機能的差異は明らかでなかった。行動下における大脳の補足眼野と前頭眼野の機能を比較するために複数眼球運動(Saccade)の順序制御課題をサルに行わせ、その際の細胞活動を比較検討した。補足眼野細胞は眼球運動方向自体に対する特異性というよりも、複数の運動の順序あるいは順番を表現する細胞活動が顕著であった。順序情報を更新し、切り替える過程に関与すると見られる細胞活動も顕著であった。対照的に前頭眼野細胞では、動作の順番情報を有する例は少数であり、大多数は眼球運動の方向に対する特異性が顕著であった。次に動作選択における補足運動野と運動前野の細胞活動を比較検討した。動作のターゲット及び動作に使う体部位の選択に関して、運動前野が中心的な役割をなす事を示す実験成果が得られた。動作対象と身体情報を視覚信号で与えると、それらの情報は運動前野の腹側から背側へと送られ、必要な情報変換と情報の統合が行われることが細胞活動から明らかとなった。他方補足運動野においては、そのような視覚情報から動作情報への変換過程は殆ど行われていないが、補足運動野では主として内的情報に依拠する運動の準備過程が形成されることも実験的に確かめられた。以上の研究から、大脳の内側と外側に存在する高次運動野の機能的差異が明らかになった。
 次いで、視覚認知情報に依拠した動作選択と動作企画という観点から、大脳前頭葉の広汎な領域を対象として、領野別の特性と役割を比較検討する研究を行った。動作を発現するためには、動作対象(ターゲット)と動作する身体部位の選択が必要である。それらの情報を2種類の視覚信号で2段階に与えることによって、大脳前頭葉で(1)視覚信号の取り込み、(2)視覚信号から動作に必要な情報の抽出、(3)情報の統合、(4)動作準備の過程が生ずる実験状況を設定した。多数の領野の細胞活動を比較検討した結果、前頭前野外側(46野)の外側から腹側運動前野(PMv)にかけて、視覚信号の取り込みと情報の抽出が行われ、46野内側から背側運動前野にかけて情報の統合が行われ、それに引き続いて動作準備が行われることが明らかとなった。それに対し、前補足運動野はターゲットの情報抽出と準備に関与するが、補足運動野は視覚情報の抽出過程には関与が少ないことが判明した。補足運動野はむしろ身体部位の選択と準備に関与していた。一次運動野は運動準備と運動遂行に関与するが、視覚情報から動作情報を抽出する過程には殆ど関与しないことも明らかとなった。

3 視覚情報の認知機構の研究
 大脳頭頂葉における視覚情報の三次元的認知機構に関して、顕著な研究成果が得られた。三次元情報としての奥行き知覚は、両眼の視差による情報の他に単眼像の情報にも依拠して計算されることが神経心理学的に知られていたが、単眼像からの三次元情報処理が脳のどの部位でどのように行われているかは不明であった。泰羅グループは単眼像における物体表面のテクスチャ情報に着目して研究を行った。物体の面におけるテクスチャの密度の違い、すなわち「勾配」によって奥行きが計算されるという前提に基づいて、大脳頭頂葉の細胞がその勾配を検出するという仮説をもとに研究を行った。サルに一定の時間間隔をおいて連続的に提示される二つのテクスチャ平面の傾きが同じか違うかをボタン押しで答えさせる課題を訓練した。この課題を遂行中に頭頂連合野の細胞活動を記録したところ、頭頂間溝外側壁後方部(CIP領域)に特有な細胞活動が見つかった。多くの細胞がテクスチャ平面のかたむきに選択的な反応を示し、テクスチャ勾配の検出を行っていることが解った。これらの細胞は、テクスチャのパターン自体には反応しないことも確かめた。さらに、多くの細胞はテクスチャ勾配の同時に両眼視差に対しても感受性を有していることも見出した。以上の実験結果から、CIP細胞は単眼像のみならず両眼像による奥行き情報の検出にも関与していること、すなわちCIP領域は単眼像のテクスチャ情報と両眼視差の情報を統合している事を発見したことになる。
 他方藤田グループは、側頭葉の高次視覚野が形態知覚のみならず三次元的視覚情報処理にも関与することを研究テーマとして取り上げ、奥行き知覚・面知覚への関与を調べた。V4野の細胞活動の解析によって、ランダムドットステレオグラムに含まれる両眼視差には感受性を示すものの、左右の眼球に対応するドットの輝度コントラストを反転させると、その感受性を失うことを見出した。この所見は一次視覚野細胞の特性とは明らかに異なるものである。すなわち、ヒトとサルの奥行き知覚自体と対応して、右眼像と左眼像との間の誤った対応づけに基づく反応は、V4野では除去されていることを意味しており、言い換えればV4野の奥行き知覚生成への関与を裏付けている。
 さらに、中村グループは側頭連合野ニューロンによる異種感覚情報の統合機序の解明を進め、他方永福は上側頭葉における「顔」情報を特異的に処理する領域を解析した。「顔」の向きの情報が視線の向きにより調節されるなど、高度な情報処理の実態を明らかにした。

4 痛覚情報の脳による高次処理機構
 柿木隆介グループは脳内の痛覚認知機構の研究、特にSecond Painに関与するC線維由来の上行信号の脳内での認知機構の研究を進めた。ヒトのC線維を選択手金刺激する手法を確立し、microneurographyによって電動速度1m/秒のC線維電位を確認した。C線維由来の信号が大脳の刺激対側の一次感覚野・二次感覚野を経て島に到達し、さらに両側の帯状回と扁桃体に情報伝達されることを、脳磁図及び脳電位解析で明らかにした。帯状回と扁桃体に誘発される活動について、注意転換の影響などに関する知見も得つつあり、今後痛覚認知の情動的側面の解明に研究を進める基盤が確立された。

5 動作回数の情報を表現する細胞活動の発見
 抽象的な概念のひとつである数というものが、どのように脳の内部で形成されるかを示唆する知見が得られた。丹治らは実験モデルとして、サルに動作回数を数えさせる実験系を採用し、そのときに脳細胞の活動を詳しく調べた。その結果、大脳頭頂葉の5野において、動作回数を表現する細胞活動が多数見つかった。それらの活動は、何回目かという特定の動作回数を反映していることが証明された。すなわち数の表現そのものが、細胞活動として発見されたことになる。大脳のほかの領域では、そのような細胞活動は少なかった。さらに、大脳の5野に抑制物質ムシモールを微量注入して一過性に機能を脱落させ、その効果を調べた。5野の機能脱落によって、回数情報に基づいた動作選択が障害されることが判明した。したがって、動作回数を基にした動作選択には、5野の機能が不可欠であることも明らかとなった。このような研究成果は、抽象的な概念がどのように脳内に表現されているかを理解するいとぐちを提供するとみなされる。

6 大脳辺縁系における情動・記憶制御機構の解明
 小野武年グループは分子生物学的手法から細胞・個体レベルの生理学的研究までを含む多角的研究チームを組織して、大脳辺縁系による情動・記憶機構の解明を目指す研究を行った。Dopamine D2受容体ノックアウトマウスにおいて、オープンフィールド内での学習課題を遂行させた際の側坐核ニューロンの応答性を解析した。ノックアウト個体では、抑制型報酬応答細胞の報酬予測応答が消失していた。反面、場所応答細胞の数は3倍に増加し、場所フィールドの大きさは2倍に増加していた。それに対してD1受容体ノックアウトマウスについては、興奮型報酬応答ニューロンの反応変化など、D2の例とは異なった知見が得られつつある。他方、電気ショックストレスを付加したマウスの脳を用いて遺伝子発現を検索した。その結果、抗原提示に関わっている遺伝子CD1d2が海馬体と変円皮質で発現していることが明らかになった。

7 サル海馬体における空間情報の高次処理
 西条寿夫グループはサルの海馬体ニューロンの空間情報処理機構について研究を進めた。情景の異なる3種類の仮想空間を設定し、その中で自由に移動しているサルの細胞活動を解析した。記録された30%が仮想空間内の特定領域で活動が増加する”場所ニューロン”であった。場所ニューロンについて、3つの顕著な特性を明らかにした。すなわち(1)情景と空間位置の両方に選択性を有するもの、(2)特定領域においてのみ、報酬獲得前あるいは獲得後に活動が変化する例、(3)特定の情景を有する仮想空間において、特定方向へ移動しているときのみに活動変化を示す例名との特徴的な応答であった。以上の結果から、サル海馬体ニューロンは、空間情報だけでなく、情景の種類、報酬予告ないしは獲得のような課題関連情報(非空間情報)を空間情報と連合して符号化していることが明らかとなった。この知見はヒトのエピソード記憶の神経生理学的な基盤を提供したことになり、重要な発見といえる。

8 行動制御の論理を反映する前頭前野の活動
 研究班発足の時点では、前頭前野の機能に関する世界の理解は、Working Memoryの一語に象徴されていた。すなわち情報の短期的保持を中心とし、情報入力のための注意対象の選択、そして情報の操作と出力という過程を最重要視した前頭前野機能の考え方が主流であったといえよう。しかし、前頭前野における豊富な情報処理と多様な機能、さらに前頭前野が可能にしている行動のレパートリーの広汎さを考慮すると、Working Memory は前頭前野機能のごく一部に過ぎないことは明らかである。この研究班では前頭前野機能について渡邉グループ、澤口グループ、丹治グループがそれぞれ研究を行い、成果を挙げた。
 前頭前野の機能は行動制御ないしは行動の企画、あるいは行動の目的性の実現という観点から検索すると、新たな理解の道が開けてくることを、3グループの研究成果は明らかにした。研究成果を要約すると、何を目指して行動するかという意味での行動目標が前頭前野の細胞活動に表現されていることが判明した。行動の結果を予測し、目標にいたる道筋を明らかにすることも、細胞活動の中に読み取ることができた。さらに目的を実現するために必要な、新たな情報が生成されていることも明らかとなった。
 このような前頭前野の活動は、行動制御の論理を表現していると判断されるが、今後の研究がさらに発展し、そのような活動が行動という場を超越し、論理体系そのものを表現することを示すことができれば、それはとりもなおさず思考の論理を理解することになろう。研究の今後の発展が期待されるゆえんでもある。


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